自警録 / 第二十五章 理想と実現・幼年の理想は今いかに変じたか(2)
一、幼少の折、かつて、あるところで話を聞いたことによって、人を怨み悪み嫉むことは、下品なものということを大いに感じたことがあったが、年経るごとに今日ははたして俺が人を怨まないか悪まないか嫉まないかと昔にくらべてみる。 一、幼少のときにある放蕩息子が身をあやまって、自分のみならず大勢の人に迷惑やら心配をかけたのをみて、婦人関係は深く慎しむべしと決心した。年経たる今日において、はたしてこの思想どおり身を処しておるか。 一、賭博のよろしくないことはつくづく親の話によって承知し、いかなる誘惑があるとも、賭博などには手を出すまいぞという思想を抱いた。年経た今日において、はたして幼少の思想にかなう行いをするか云々。 というように、問題を掲げていちいち実際と、思想というか理想というか、かつておのれの心の、向上したときに抱いた考えと引きくらべてみると、年経るにしたがって、むしろ堕落したことを発見する者が多くなかろうか。読者のなかには、僕のいうことがはなはだ子供らしい、迂遠なことだ、世渡りの道を知らぬとなじる人もあろう。僕も甘んじていわゆる世渡りの道に疎きことを自信する。僕の世渡りの道と考えることは、低い標準の上に立って行くよりも、高い程度の所にぶら下がってゆくことにしたいと日ごろ念じている。
書き下し
一、幼少の折、かつて、あるところで話を聞いたことによって、人を怨み悪み嫉むことは、下品なものということを大いに感じたことがあったが、年経るごとに今日ははたして俺が人を怨まないか悪まないか嫉まないかと昔にくらべてみる。 一、幼少のときにある放蕩息子が身をあやまって、自分のみならず大勢の人に迷惑やら心配をかけたのをみて、婦人関係は深く慎しむべしと決心した。年経たる今日において、はたしてこの思想どおり身を処しておるか。 一、賭博のよろしくないことはつくづく親の話によって承知し、いかなる誘惑があるとも、賭博などには手を出すまいぞという思想を抱いた。年経た今日において、はたして幼少の思想にかなう行いをするか云々。 というように、問題を掲げていちいち実際と、思想というか理想というか、かつておのれの心の、向上したときに抱いた考えと引きくらべてみると、年経るにしたがって、むしろ堕落したことを発見する者が多くなかろうか。読者のなかには、僕のいうことがはなはだ子供らしい、迂遠なことだ、世渡りの道を知らぬとなじる人もあろう。僕も甘んじていわゆる世渡りの道に疎きことを自信する。僕の世渡りの道と考えることは、低い標準の上に立って行くよりも、高い程度の所にぶら下がってゆくことにしたいと日ごろ念じている。
現代語訳
一、幼いころ、ある所で話を聞いたことがきっかけで、人を恨み、憎み、妬むことは下品なことだと大いに感じたことがあったが、年を経るごとに、今日の自分ははたして人を恨まず、憎まず、妬まないか、昔と比べてみる。 一、幼いとき、ある放蕩息子が身を誤り、自分だけでなく大勢の人に迷惑と心配をかけるのを見て、女性関係は深く慎むべきだと決心した。年を経た今日、はたしてこの考えどおりに身を処しているか。 一、賭博がよくないことは、親の話によってつくづく承知し、どんな誘惑があろうと賭博には手を出すまいという考えを抱いた。年を経た今日、はたして幼少の考えにかなう行いをしているか、云々。 というように、問題を掲げて、一つ一つ現実と、思想というか理想というか、かつて自分の心が向上したときに抱いた考えとを引き比べてみると、年を経るにしたがって、むしろ堕落したことを発見する人が多いのではないでしょうか。読者の中には、私の言うことがはなはだ子供っぽくて回りくどく、世渡りの道を知らないと非難する人もいるでしょう。私も、世渡りの道に疎いことを自ら認めて甘んじます。私が世渡りの道と考えることは、低い基準の上に立って進むよりも、高い程度のところにぶら下がって進むことにしたい、と日ごろ念じているのです。
解説

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本の中身を見るこの章句が説くこと
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『初学訓』巻之五一人と才能を争ふべからず、人と威勢を争ふべからず、人の才あるを妬むべからず。おのれ立たんとして、人をも立つべし、我のみ立たんとすべからず。心けはしく、人を言ひ貶すは、人をそこなひ、物をやぶるなり。不仁と云ひつべし。
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『呻吟語』内篇・修身・真修と語る可し人と為りて善を揚ぐる者の心を復すること無く、惡を稱する者の口を實にすること無くんば、亦た以て真修と語る可し。
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『太上感応篇』悪行・他の栄貴を見て、他の流貶を願ふ他の栄貴なるを見ては、他の流貶せられんことを願ふ。他の富有なるを見ては、他の破散せんことを願ふ。他の色の美しきを見ては、心を起して之を私す。他の貨財を負ひては、他の身の死せんことを願ふ。
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人物志・釋爭前に在る者は然れば之を害せられ、功有る者は人之を毀り、毀敗する者は人之を幸とす。
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史記 白起王翦列伝韓・趙恐れ、蘇代をして幣を厚くして秦の相応侯に説かしめて曰く、「武安君は馬服子を禽にせるか」と。曰く、「然り」と。また曰く、「即ち邯鄲を囲まんとするか」と。曰く、「然り」と。「趙亡びば則ち秦王は王たらん、武安君は三公と為らん。武安君の秦の為に戦ひ勝ち攻め取る所の者は七十余城、南のかた鄢・郢・漢中を定め、北のかた趙括の軍を禽にす。周・召・呂望の功と雖もこれに益さず。今、趙亡びて、秦王王たらば、則ち武安君必ず三公と為らん。君能くこれが下と為らんか。これが下と為るを欲すること無しと雖も、固より已むを得ざらん。秦嘗て韓を攻め、邢丘を囲み、上党を困しむ。上党の民皆反りて趙の為にす。天下の秦の民たるを楽しまざるの日久し。今、趙を亡ぼさば、北地は燕に入り、東地は斉に入り、南地は韓・魏に入らん、則ち君の得る所の民は幾何人も亡し。故に因りてこれを割かしめ、以て武安君の功と為すこと無きに如かず」と。是に於いて応侯、秦王に言ひて曰く、「秦の兵労る、請ふ韓・趙の地を割きて以て和するを許し、且つ士卒を休めん」と。王これを聴き、韓の垣雍・趙の六城を割きて以て和す。正月、皆兵を罷む。武安君これを聞き、是に由りて応侯と隙有り。
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史記 司馬穰苴列伝已にして大夫鮑氏・高・国の属之を害み、景公に譖る。景公、穰苴を退く。苴、疾を発して死す。田乞・田豹の徒、此れに由り高・国等を怨む。其の後、田常の簡公を殺すに及び、尽く高子・国子の族を滅ぼす。常の曾孫和に至り、因りて自立して斉の威王と為り、兵を用ゐ威を行ふに、大いに穰苴の法に放ひ、而して諸侯斉に朝す。