自警録 / 第二十五章 理想と実現・主義を抱ける者の世渡りの覚悟
一種の思想をもって世渡りを企てる者は、同じ思想を抱いている人のうちにはもっともよく受けいれられて、いわゆる調子よく世渡りもできるが、異なった思想を抱いている者、あるいはなんの思想をも抱かずに世渡りをする者に対しては、はなはだ面白からぬ印象を与えるがために、とかく彼此の批評を受けたり、あるいは、ときにはそれがために迫害も凌がねばならぬことは承知せねばならない。 普通にいう世渡りの上手だというのは、ただ無主義で無定見で無思想で、流るるままに浮かんでゆくを称するのであるが、いやしくもいずれかの主義を抱いた者は、一時調子よいことがあっても、浮き沈みのあることは覚悟せねばならない。またこの反対の勢力の風波に会わなければ、思想も練ることはできない。 僕がもっとも崇拝する人物はキリストのほかにソクラテスとリンカーンであるが、二人とも生きているあいだに名声さかんで、一時流行児となって大いにもてはやされたが、ついにその最後は世人の皆知っているとおりである。
書き下し
一種の思想をもって世渡りを企てる者は、同じ思想を抱いている人のうちにはもっともよく受けいれられて、いわゆる調子よく世渡りもできるが、異なった思想を抱いている者、あるいはなんの思想をも抱かずに世渡りをする者に対しては、はなはだ面白からぬ印象を与えるがために、とかく彼此の批評を受けたり、あるいは、ときにはそれがために迫害も凌がねばならぬことは承知せねばならない。 普通にいう世渡りの上手だというのは、ただ無主義で無定見で無思想で、流るるままに浮かんでゆくを称するのであるが、いやしくもいずれかの主義を抱いた者は、一時調子よいことがあっても、浮き沈みのあることは覚悟せねばならない。またこの反対の勢力の風波に会わなければ、思想も練ることはできない。 僕がもっとも崇拝する人物はキリストのほかにソクラテスとリンカーンであるが、二人とも生きているあいだに名声さかんで、一時流行児となって大いにもてはやされたが、ついにその最後は世人の皆知っているとおりである。
現代語訳
ある思想をもって世渡りをしようとする者は、同じ思想を抱いている人々の間ではもっともよく受け入れられ、いわゆる調子よく世渡りもできますが、異なる思想を抱く者や、何の思想も抱かずに世渡りをする者に対しては、はなはだ面白くない印象を与えるので、とかくあれこれの批評を受けたり、ときにはそのために迫害に耐えなければならないことも、承知しておかなければなりません。 普通にいう世渡り上手とは、ただ無主義、無定見、無思想で、流れるままに浮かんでいく者のことですが、いやしくもいずれかの主義を抱いた者は、一時調子がよいことがあっても、浮き沈みがあることを覚悟しなければなりません。また、反対の勢力の風波に会わなければ、思想も練ることはできません。 私がもっとも崇拝する人物は、キリストのほかにソクラテスとリンカーンですが、二人とも生きている間に名声が盛んで、一時は流行児となって大いにもてはやされたものの、ついにその最期は、世の人がみな知っているとおりです。
解説

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自警録・第二十五章 理想と実現・理想家に対する世論の変遷(1)ルーズベルトに対する世評の動くこと、実に驚くべきものである。かつては同氏を攻撃し、ほとんど蹴たおすばかりの語調が新聞や雑誌に表れ、また僕が直接話をした個人の言葉にもしばしば顕れたけれども、そののち誰いうともなく、同氏の名望が再び回復されつつある。僕はまだ同氏に面会するの機会を得ないが、氏の人格と、ことに氏が思想の人であることは彼のいうことなす事々によって明らかである。彼を嫌う人も、彼を賞むる人も、彼の人格より彼の思想について判断することを思えば、昔も今も思想家はその思想を天下に刻印するには、血をもってするの覚悟がなくてはならない。といって誤解のなきことを欲するが、われに思想あり、この思想を世に伝えんがために早くわれを殺せといわんばかりに、めざましきを好む演劇的な挙動を恣にして、態と反動を招いて、かえってはなばなしく斃れることを望むのが宜いと言うのではない。できるだけ穏便に平凡に、自分の思想を実行することにつとめることが肝心なので、これがわれわれ日々の務めである。
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自警録・第二十五章 理想と実現・最も貴ぶべき青年時代の理想世界を動かすものは思想である。暴力で一時国を建てることもできるし、国を亡ぼすこともできる。産業で国を建てることもできるし、産業で国が廃頽することもある。学芸によって国の勃興することもある、学芸によって国が惰弱に流れることもある。あるいは思想においても方向を誤ると、いかなる極端に落ちることがないともかぎらぬが、武力でも学力でも、芸術の力でも、健全なる思想が真先きに立って指導するにあらざれば、国家も社会も個人も、なんのために存在しておるかを解しないでしまう。 して思想と一口にいうものの、世の中の欲もすなわち名誉も富貴も知らない清浄無垢の青年時代に起こる思想が実に貴い。ゆえに年とともに若い思想を強めたいと思う。あるイギリスの文豪もかつて言った、 「偉大なる人物とは成熟せる脳髄をいただいて、なお幼少の心を抱くものなり」と。 すなわち大人にして赤子の心を失わない者の謂に外ならぬ。
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自警録・第十章 人生の成敗・ギリシアのソクラテスを見よむかしギリシアの哲学者ソクラテスのもとに、ある兇漢が来て、さんざん悪口を言って帰った。かたわらに聞いておった門弟が、哲学者に向かって、 「先生あいつ奴、いかにも憎い奴でございます」 といったときに、哲学者は泰然として、 「なぜにくい」といったら、 「あんなに先生を恥ずかしめたのがにくい」 といった。彼は笑いながら、 「お前は少し考え違いをしている。彼はわが輩を恥ずかしめた考えかも知れないが、俺はちっとも恥ずかしめられたとは思わない。自分が恥でも受けたような顔をしとったかね」 と答えたという。失敗もその通り、世の中で何某が大いに失敗したと四面楚歌の声が聞こえても、本の当人はどこを風が吹くかという顔をしていることがたまさかある。二千四百年前に、ソクラテスがアテネの裁判所に召喚せられ、有罪の宣告を受けて、獄屋に投ぜられたときには、アテネの者が皆々嘲り笑って、とうとうあのおしゃべり爺も、あの年になって、本性露見して畳の上でくたばりそこなったわい、と評判を立てて、もし当時アテネに新聞があったものなら、いかに当時の記者が論説やら雑報に忙しく彼の罪状を書き立て、彼がその日まで口に唱えた教訓はまったく偽善であったとか、彼の純潔なる素行はたくみに人を欺くの方法であって、その実、彼がかくのごとき事もしたであろう、ああいう事もしたと、ありとあらゆる捏造説を書き立てたであろう。 基督がゴルゴタの山上で、かの非命の最期を遂げたごときも、世人は、あの男もとうとう尻尾を現して、あのざまの死に方をしたとか、表向きには君子顔をしておっても、蔭ではだいぶ不仕末の事があったそうだ、社会主義も唱えたそうだ、某婦人と仲がよかったそうだ、謀叛の目論見さえしたそうだ、始終下等な女や悪党の仲間につき合っておったそうだ、折々は魔法みたいな事をして愚民を驚かしたそうだ、始終猫撫声をして女子供を手なずけたそうだなど、その他あらゆる悪口をもって、彼は見事に失敗したなどといったであろう。いずくんぞ知らん敗けたと思った人が最後の勝利者たることを。 負けて退く人を弱しと思ふなよ智恵の力の強き故なり
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自警録・第二十五章 理想と実現・幼年の理想は今いかに変じたか(2)一、幼少の折、かつて、あるところで話を聞いたことによって、人を怨み悪み嫉むことは、下品なものということを大いに感じたことがあったが、年経るごとに今日ははたして俺が人を怨まないか悪まないか嫉まないかと昔にくらべてみる。 一、幼少のときにある放蕩息子が身をあやまって、自分のみならず大勢の人に迷惑やら心配をかけたのをみて、婦人関係は深く慎しむべしと決心した。年経たる今日において、はたしてこの思想どおり身を処しておるか。 一、賭博のよろしくないことはつくづく親の話によって承知し、いかなる誘惑があるとも、賭博などには手を出すまいぞという思想を抱いた。年経た今日において、はたして幼少の思想にかなう行いをするか云々。 というように、問題を掲げていちいち実際と、思想というか理想というか、かつておのれの心の、向上したときに抱いた考えと引きくらべてみると、年経るにしたがって、むしろ堕落したことを発見する者が多くなかろうか。読者のなかには、僕のいうことがはなはだ子供らしい、迂遠なことだ、世渡りの道を知らぬとなじる人もあろう。僕も甘んじていわゆる世渡りの道に疎きことを自信する。僕の世渡りの道と考えることは、低い標準の上に立って行くよりも、高い程度の所にぶら下がってゆくことにしたいと日ごろ念じている。