自警録 / 第二十二章 感情より出た職業選択・感情的誤解の根本原因
かくのごとき誤解を生ずるのは、要するに自分の一個に関する具体的の事実をば、抽象的文字をもって説明するから、その説明がかえって真情を離れ、世間に対する聞こえはよいが、実際にはあてはまらなくなるのである。抽象的の文字を使えば意味の範囲がひろくなり、高尚に聞こゆるかわりに、また他の意味をも含んでき、したがって自己の場合にまったくあてはまらなくなることがある。たとえば飲みたい食いたい、それについては金を儲けたい、金を儲けるために何品を幾円で買い、これを幾円で売れば幾円を儲けるという具体的問題ありとする。この動機は飲食の欲である。これを満足する方法として商売し、商売の目的は何千百円を儲くるにある。ことを始むるときは爾く具体的に細密にもくろみするが、しかしこれを人に語るときは私は実業に従事するという。 実業といえば抽象的文字である。したがって意味が広い。そのなかには商売のみならず、工業農業も入る。保険、運輸の事業も入る。これに従事するとなると丁稚小僧となり自転車で走ることも、炎天のもと、裸足で畑に草取りするのも、自動車で会社に出勤することも含まれ、範囲が非常にひろくなる。なにを商売して何円儲けるという具体的希望が、実業従事という抽象的言葉にいい現されると、実際から遠いものとなる。 物理学にいう固形体のものを流動体に変じ、ガス体に変ずるがごとく、嵩は大きくなるけれども、つかみどころがなくなりがちである。ゆえに職業を選ぶにはそもそも自分がある職業を志願し志を立てたときの具体的境遇、情実をしずかに考うると、その志望がいかに根底あることか、また一時の軽々しい動機に起こりしかわかるであろう。 すなわち抽象的のひろい意味の言葉を用うるにいたった本にさかのぼって、しずかに考えると思い半ばに過ぐるものがありはせぬか。大きなひろい意味の言葉を用うるときはしばしば自ら欺くことがある。わが輩はとくに職業を選定せんとする青年に自己の動機を回顧せんことを勧む。先人の言に曰く、 「凡そ人事を区処する、当に先ずその結局を慮り、而して後に手を下すべし、楫無きの舟を行る勿れ、的無きの箭を発する勿れ」と。 して楫を執るとき、箭を放つときは心静かに落ちつけて、よくよくおのれの力先きの方向に留意するを要する。
書き下し
かくのごとき誤解を生ずるのは、要するに自分の一個に関する具体的の事実をば、抽象的文字をもって説明するから、その説明がかえって真情を離れ、世間に対する聞こえはよいが、実際にはあてはまらなくなるのである。抽象的の文字を使えば意味の範囲がひろくなり、高尚に聞こゆるかわりに、また他の意味をも含んでき、したがって自己の場合にまったくあてはまらなくなることがある。たとえば飲みたい食いたい、それについては金を儲けたい、金を儲けるために何品を幾円で買い、これを幾円で売れば幾円を儲けるという具体的問題ありとする。この動機は飲食の欲である。これを満足する方法として商売し、商売の目的は何千百円を儲くるにある。ことを始むるときは爾く具体的に細密にもくろみするが、しかしこれを人に語るときは私は実業に従事するという。 実業といえば抽象的文字である。したがって意味が広い。そのなかには商売のみならず、工業農業も入る。保険、運輸の事業も入る。これに従事するとなると丁稚小僧となり自転車で走ることも、炎天のもと、裸足で畑に草取りするのも、自動車で会社に出勤することも含まれ、範囲が非常にひろくなる。なにを商売して何円儲けるという具体的希望が、実業従事という抽象的言葉にいい現されると、実際から遠いものとなる。 物理学にいう固形体のものを流動体に変じ、ガス体に変ずるがごとく、嵩は大きくなるけれども、つかみどころがなくなりがちである。ゆえに職業を選ぶにはそもそも自分がある職業を志願し志を立てたときの具体的境遇、情実をしずかに考うると、その志望がいかに根底あることか、また一時の軽々しい動機に起こりしかわかるであろう。 すなわち抽象的のひろい意味の言葉を用うるにいたった本にさかのぼって、しずかに考えると思い半ばに過ぐるものがありはせぬか。大きなひろい意味の言葉を用うるときはしばしば自ら欺くことがある。わが輩はとくに職業を選定せんとする青年に自己の動機を回顧せんことを勧む。先人の言に曰く、 「凡そ人事を区処する、当に先ずその結局を慮り、而して後に手を下すべし、楫無きの舟を行る勿れ、的無きの箭を発する勿れ」と。 して楫を執るとき、箭を放つときは心静かに落ちつけて、よくよくおのれの力先きの方向に留意するを要する。
現代語訳
このような誤解が生じるのは、要するに、自分一個に関する具体的な事実を、抽象的な文字で説明するために、その説明がかえって真情から離れ、世間への聞こえはよいが、実際には当てはまらなくなるからです。抽象的な文字を使えば、意味の範囲が広がり、高尚に聞こえる代わりに、他の意味をも含むようになり、したがって自分の場合にまったく当てはまらなくなることがあります。たとえば、飲みたい、食べたい、そのためには金を儲けたい、金を儲けるために何の品を何円で買い、これを何円で売れば何円儲かる、という具体的な問題があるとします。この動機は飲食の欲です。これを満たす方法として商売をし、商売の目的は何千何百円を儲けることにあります。事を始めるときはこのように具体的に細かく見積もりますが、これを人に語るときは、「私は実業に従事しています」と言います。 実業といえば抽象的な文字です。したがって意味が広い。その中には商売だけでなく、工業も農業も入ります。保険、運輸の事業も入ります。これに従事するとなると、丁稚小僧となって自転車で走ることも、炎天のもと裸足で畑の草取りをすることも、自動車で会社に出勤することも含まれ、範囲が非常に広くなります。何を商売していくら儲けるという具体的な希望が、「実業に従事する」という抽象的な言葉で言い表されると、実際から遠いものになります。 物理学でいう、固体のものを液体に変じ、気体に変じるように、かさは大きくなりますが、つかみどころがなくなりがちです。ですから、職業を選ぶには、そもそも自分がある職業を志願し志を立てたときの、具体的な境遇や事情を静かに考えれば、その志望がどれほど根底のあるものか、また一時の軽々しい動機から起こったものかが分かるでしょう。 つまり、抽象的で広い意味の言葉を用いるに至ったもとにさかのぼって、静かに考えれば、思い半ばに過ぎるものがありはしないでしょうか。大きく広い意味の言葉を用いるとき、しばしば自分を欺くことがあります。私は、とくに職業を選ぼうとする青年に、自分の動機を振り返ることを勧めます。先人の言葉にいわく、 「およそ人事を処理するには、まずその結末を考えて、その後に手を下すべきである。かじのない舟を進めてはならない。的のない矢を放ってはならない」と。 そして、かじを取るとき、矢を放つときは、心を静かに落ち着けて、よくよく自分の力と先の方向に気を配る必要があります。
解説

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本の中身を見るこの章句が説くこと
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『墨子』魯問魯君、子墨子に謂いて曰く、「我れに二子有り。一人なる者は學を好み、一人なる者は人に財を分かつを好む。孰れを以て太子と為して可ならんか」と。子墨子曰く、「未だ知る可からざるなり。或いは賞を為す所、是を為すに興らんなり。釣る者の恭なるは、魚に賜うが為に非ざるなり。䑕に蟲を以てするは、之を愛するに非ざるなり。吾れ願わくは主君の其の志と功とを合わせて觀んことを」と。
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『墨子』大取義は利、不義は害なり。志と功とを辯と為す。秦馬に有る有るは、馬に有る有るなり。來たる者の馬を智るなり。衆き世を愛すると、寡なき世を愛すると相い若く、兼愛の有ること相い若し。尚世を愛すると後世を愛すると、一に今の世の若し。人なり。鬼は人に非ざるなり。兄の鬼は、兄なり。天下の利、驩ぶ。聖人に愛有りて利無しとは、俔日の言なり、乃ち客の言なり。天下に人無しとは、子墨子の言なり。猶お在り。已むを得ずして之を欲するは、之を欲するに非ざるなり。臧を殺すに非ざるなり、専ら盜を殺すも、盜を殺すに非ざるなり。凡そ愛人を學ぶ。小圜の圜は、大圜の圜と同じ。方の尺に至りて至らざると、鍾に至らずして至るとは、異ならず。其の至らざるは同じ。逺近の謂なり。是れ璜なり、是れ玉なり。
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人物志・八觀是の故に、其の愛敬の誠を観て、通塞の理、得て知るべきなり。何をか其の情機を観て、以て恕惑を弁ずと謂ふ。夫れ人の情に六機有り。其の欲する所を杼べれば則ち喜び、其の欲する所を杼べざれば則ち悪み、自ら代歴するを以てすれば則ち悪み、謙損を以て之に下れば則ち悦び、其の乏しき所を犯せば則ち婟(こだわ)り、悪を以て婟を犯せば則ち妒む。此れ人性の六機なり。夫れ人情は其の志を遂げんと欲せざるは莫し。故に烈士は奮力の功を楽しみ、善士は督政の訓を楽しみ、能士は治乱の事を楽しみ、術士は計策の謀を楽しみ、弁士は陵訊の辞を楽しみ、貪者は貨財の積を楽しみ、幸者は権勢の尤を楽しむ。苟くも其の志を賛すれば、則ち欣然たらざる莫し。是れ所謂其の欲する所を杼べれば則ち喜ぶなり。若し其の能くする所を杼べざれば、則ち其の志を獲ず。其の志を獲ざれば則ち戚ふ。是の故に、功力建たざれば則ち烈士奮ひ、徳行訓へられざれば則ち正人哀哀たり、政乱れて治まらざれば則ち能者歎歎たり、敵能未だ弭まざれば則ち術人思思たり、貨財積まざれば則ち貪者憂憂たり、権勢尤ならざれば則ち幸者悲しむ。是れ所謂其の能を杼べざれば則ち怨むなり。人情は前に処らんと欲せざるは莫し。故に人の自伐を悪む。自伐は、皆勝たんと欲するの類なり。是の故に、自ら其の善を伐れば則ち悪まざる莫きなり。是れ所謂自ら伐りて之を歴すれば則ち悪むなり。
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