自警録 / 第二十一章 潔き感情と正しき思想・感情濫用の弊を撓める必要(2)
すなわち客観的に冷静にものの理を求むる心である。これに反し、人心とは道心のその正を失ったところで、我田引水的に勝手しだいの理屈を案ずる心理動作で、自己の感情によりて万事を判断する心である。自己の希望がものの理と符合すればよいが、なかなかそう甘くゆくことが少ないから、結局感情に駆られて為すことは、理に背くこととなりやすい。 さらに注意したきは、友人あるいは会合において討論するさいなどには、一層この点に注意しないと正々堂々たる議論はそっちのけになって、人身攻撃のごとき、あるいは卑怯なる言葉に陥って、自己が弁護せんとする議題をもかえって損われ、加うるにおのれの人品まで下劣にすることは往々にして見ることである。理屈において負けたならば、一本参ったと綺麗に敗ければ男らしくもあり、かえって自分の主張に泥をつけないものとなるに、おのれの議論が弱いときには、その弁護に感情を含まして、みすぼらしい論法など振りまわす。よし皮肉をもって一時勝利を得るにしても、その実は敵に敗けたものである。 ことを論ずるにあたり、悪口雑言をはさむのは、理は尽きて、自己の主張の論拠のなきを自白すると同然である、つまり負けた証拠にほかならぬ。思想と議論はあくまでも冷静たるを要す。また実行と性情はあくまでも熱烈たるべし。ことにあたるに果断なくてはならぬが、その果断も一時的感情より来たるものは誤りやすいから、思慮の上にも思慮をめぐらして、定めねばならぬ。「果断義より来たる者あり、智より来たる者あり、勇より来たる者あり。義と智を併せて而して来たる者あるは上なり。徒らに勇のみなる者殆し」
書き下し
すなわち客観的に冷静にものの理を求むる心である。これに反し、人心とは道心のその正を失ったところで、我田引水的に勝手しだいの理屈を案ずる心理動作で、自己の感情によりて万事を判断する心である。自己の希望がものの理と符合すればよいが、なかなかそう甘くゆくことが少ないから、結局感情に駆られて為すことは、理に背くこととなりやすい。 さらに注意したきは、友人あるいは会合において討論するさいなどには、一層この点に注意しないと正々堂々たる議論はそっちのけになって、人身攻撃のごとき、あるいは卑怯なる言葉に陥って、自己が弁護せんとする議題をもかえって損われ、加うるにおのれの人品まで下劣にすることは往々にして見ることである。理屈において負けたならば、一本参ったと綺麗に敗ければ男らしくもあり、かえって自分の主張に泥をつけないものとなるに、おのれの議論が弱いときには、その弁護に感情を含まして、みすぼらしい論法など振りまわす。よし皮肉をもって一時勝利を得るにしても、その実は敵に敗けたものである。 ことを論ずるにあたり、悪口雑言をはさむのは、理は尽きて、自己の主張の論拠のなきを自白すると同然である、つまり負けた証拠にほかならぬ。思想と議論はあくまでも冷静たるを要す。また実行と性情はあくまでも熱烈たるべし。ことにあたるに果断なくてはならぬが、その果断も一時的感情より来たるものは誤りやすいから、思慮の上にも思慮をめぐらして、定めねばならぬ。「果断義より来たる者あり、智より来たる者あり、勇より来たる者あり。義と智を併せて而して来たる者あるは上なり。徒らに勇のみなる者殆し」
現代語訳
すなわち、客観的に冷静に物事の道理を求める心です。これに反して人心とは、道心がその正しさを失ったもので、我田引水的に勝手な理屈を考える心の動きであり、自分の感情によってすべてを判断する心です。自分の希望が物事の道理と一致すればよいのですが、なかなかそう都合よくいくことは少ないので、結局、感情に駆られて行うことは、道理に背くことになりやすいのです。 さらに注意したいのは、友人や会合で討論する際には、いっそうこの点に注意しないと、正々堂々たる議論はそっちのけになって、人身攻撃のようなことや卑怯な言葉に陥り、自分が弁護しようとする議題までかえって損ない、さらに自分の人品まで下劣にすることが、しばしば見られることです。理屈で負けたなら、一本取られた、とさっぱり負ければ男らしくもあり、かえって自分の主張に泥をつけないものとなるのに、自分の議論が弱いときには、その弁護に感情をまじえて、みすぼらしい論法を振りまわします。たとえ皮肉で一時の勝利を得ても、実際は敵に負けたのです。 物事を論ずるにあたって、悪口雑言をはさむのは、理が尽きて、自分の主張の論拠がないことを白状するのと同じで、つまり負けた証拠にほかなりません。思想と議論は、あくまで冷静であることが必要です。そして実行と性情は、あくまで熱烈であるべきです。事に当たっては果断でなければなりませんが、その果断も一時的な感情から出たものは誤りやすいので、思慮の上にも思慮をめぐらして定めなければなりません。「果断には、義から来るものがあり、智から来るものがあり、勇から来るものがある。義と智を併せて来るものがあるのは上である。いたずらに勇ばかりの者は危うい」
解説

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本の中身を見るこの章句が説くこと
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