自警録 / 第二十二章 感情より出た職業選択・職業とこれに従事する者の不釣合い
世の中を見渡すと、職業とこれを営む者とのあいだの釣合いが当を得たものと得ないものとがあることは、何人も意外としないものはあるまい。両者の関係はちょうど夫婦のようなもので、世には、似た者夫婦もあれば、いかにしても釣合いの説明できぬような場合も少なくない。昔の人も円きものが三角の穴に入らんとし、四角のものが円きところに箝らんとするといったが、実にそのとおりで、おそらくなんの職業にしても、これに従事せる人につきいちいちに調べたならば、もとよりその職業につく目的をもって進みきたり、かつ現在の職業に甘んずる人は百人に一人あるや否や我らは大いに疑わざるを得ない。 自分の知れる人について考うるも、現在の地位に甘んじ、かつ得意でいる者ははなはだ少ない。たまたまそういう人がありとするも、そは年来の予定の行動の一部をなしたのでなく、むしろ計らずその地位に箝ったという場合が多い。 たとえば法学士にして某職にある者に質せば、中学時代よりその目的としたる位地に達したと答うる者は百人に一人もあろうか疑わしい。まして秩序的教育を受けぬ人は、おのれが望むがままに今日の地位に進める人はほとんどあるまいとまで疑われる。
書き下し
世の中を見渡すと、職業とこれを営む者とのあいだの釣合いが当を得たものと得ないものとがあることは、何人も意外としないものはあるまい。両者の関係はちょうど夫婦のようなもので、世には、似た者夫婦もあれば、いかにしても釣合いの説明できぬような場合も少なくない。昔の人も円きものが三角の穴に入らんとし、四角のものが円きところに箝らんとするといったが、実にそのとおりで、おそらくなんの職業にしても、これに従事せる人につきいちいちに調べたならば、もとよりその職業につく目的をもって進みきたり、かつ現在の職業に甘んずる人は百人に一人あるや否や我らは大いに疑わざるを得ない。 自分の知れる人について考うるも、現在の地位に甘んじ、かつ得意でいる者ははなはだ少ない。たまたまそういう人がありとするも、そは年来の予定の行動の一部をなしたのでなく、むしろ計らずその地位に箝ったという場合が多い。 たとえば法学士にして某職にある者に質せば、中学時代よりその目的としたる位地に達したと答うる者は百人に一人もあろうか疑わしい。まして秩序的教育を受けぬ人は、おのれが望むがままに今日の地位に進める人はほとんどあるまいとまで疑われる。
現代語訳
世の中を見渡すと、職業とこれを営む者とのあいだの釣り合いが、よくとれているものと、そうでないものがあることは、誰も意外とは思わないでしょう。両者の関係はちょうど夫婦のようなもので、世には似た者夫婦もあれば、どうにも釣り合いの説明がつかない場合も少なくありません。昔の人も、丸いものが三角の穴に入ろうとし、四角いものが丸い所にはまろうとする、と言いましたが、まことにそのとおりで、おそらくどんな職業でも、それに従事している人について一人ひとり調べてみれば、もともとその職業につく目的をもって進んできて、しかも現在の職業に満足している人は、百人に一人いるかどうか、私たちは大いに疑わざるをえません。 自分の知っている人について考えても、現在の地位に満足し、しかも得意でいる者はたいへん少ないのです。たまたまそういう人がいるとしても、それは長年の予定していた行動の一部としてそうなったのではなく、むしろ思いがけずその地位にはまったという場合が多いのです。 たとえば法学士で何かの職にある者に尋ねても、中学時代からの目標だった地位に到達したと答える者は、百人に一人もいるか疑わしいものです。まして、系統立った教育を受けていない人は、自分の望むままに今日の地位に進んだ人はほとんどいないのではないかとさえ疑われます。
解説

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自警録・第二十二章 感情より出た職業選択・難を求むる職業選定の依頼少し年老った者は年若い者いわゆる後進者より職業選択について相談を受けぬ者はほとんどあるまい。あるいはすでに一定の職業にある者よりしてなお他に活路を求めたき希望を訴えられぬ人はなかろう。 わが輩もかくのごとき相談を、平均したら三日に一度ぐらいの割合に受けている。はなはだしきは簡単なる手紙をもって、自分の姓名と生年月日とを認め、これに現在の職業を書き加えて、他に発展の途を講じたいが、何をなしたらよかろうかと、あたかも卜者に尋ねるがごとき信書がくる。わが輩も返事に窮し躊躇していると、三銭切手を封入せる以上返事をうながす権利があると催促されたことも一、二度でない。 いったい自己の職業選定に、毫も知らぬ他人に相談することがすでに大なる誤りである。前述のごとき場合には、僕はつねに親はもちろん、その他親類、親友なりもしくは土地の先輩にしてよく当人の性質をわきまえる人に相談せよと返事する。いかに詳しく認めても、一片の手紙におのれの性質をいい現すことは、とうていできることではない。よし筆はいかに達者でも、書くべき材料、すなわち自己の性質を客観的に記叙することはおそらく不可能であろう。したがって一面識だもなき人に自分の生涯を左右する職業の選定を相談しても、けっして満足な返事は得られぬと思う。 ある具体的の問題あり、かくすればかくなり、こうすればこうなると、理詰で判断はできるが、自分はだいたいの見地よりこの問題を見る力なく、取捨去就に迷うゆえ、いわゆる先輩の判断を乞うというならば、知らぬ人に対しても相当の考えを立て判断を下すこともできようが、その性質および周囲の事情に深き関係を有する職業選定は、日ごろ交際ある人にあらざればなかなか判断のできるものでない。 おそらく職業の選択は細君の選択よりもいっそう困難であろう。細君の選択には往々にして媒介者の言に一任し、しかして結婚の式を挙げたのち、始めて両者の気象の合わぬことを発見し、離婚する場合がはなはだ多い。世界の文明国中で離婚数の多きこと日本のごときはなしというも、要するに選択に注意せぬためであろう。ましてさらに困難な職業を選ぶに、見ずしらずの他人を頼み、あるいは一時の感情にかられて決定することは危険のはなはだしきものである。
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自警録・第二十二章 感情より出た職業選択・感情よりする職業選択にも有利の場合ありわが輩はいま感情にかられるといった。わが輩はあえて感情そのものが悪いというのでない。ことにあたるには熱するくらいになるがいい。熱するというのはすなわち感情の昂奮する謂である。しかしことにあたるか否かを判断するときは、須く感情を避け冷静に是非曲直の判断を下すを要する。 折々青年にして時々の新聞を見て大いに憤慨し、その日の感情により自分の将来の職業を定めんとする者がある。軍国の際のごときことに然り、将軍の凱旋を見て、おのれも軍人にならんと思い、某代議士が演説に大喝采を得たるを聞いては、おのれもただちに代議士たらんことを思い、あるいは実業家が拝謁を賜わりたりと聞き、おのれも実業家たらんと思うように、一時の現象に眩惑されて終身の方針を定むることは、必ず悪い結果をもたらすとは断言されぬが、危険が多いとはいいうる。 いったい「三つ子の魂百までも」というがごとく、何人にも幼少の折、漠然とした職業選定の傾きが心に備われるものである。いわゆる学者向きであれば研究的にできており、あるいは才子的のものもあれば、あるいは事務的のものもある。人はおのおのその心の構造を異にしている。ただ自分も判然とそれを自覚しなければ、世間の人は無論、親さえも明らかに観察することはできない。しかるに、この混沌たる有様のなかにも、おのずから輪廓だけはぼんやりと現れている。 鶏卵にたとえていえばちょうど黄身も白身もまだ判然と分かれておらぬ程度である。それが月日を経るに従い、黄身は黄身、白身は白身と分かれ、さらに進んでは頭もでき、手も足もそなわり、一つの雛に化するように、きわめて幼少の折から自然的に各分業的の萠あるものである。しかるにこの観念ははなはだ漠としているゆえ、前述のごとく自己の認識にのぼらぬのである。 しかるにある外部の刺激によってこの自覚が急に鮮明となることがしばしばある。天性軍人になるべき資格を孕める者が一日新聞を見て始めて自己の天職のいずれに存するかを発見するがごときはそれで、かくのごとき場合においては一時的の感情と見ゆるものがけっしていわゆる一時的感情にあらずして、先天的感情の発揮である。ゆえに職業を選ぶにつき一見一時的感情とみゆる動機によりて定むることも必ずしも誤りなりとは言えぬ。
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自警録・第二十二章 感情より出た職業選択・余の友人にも同じ経験があるしかしこれは独り伊藤公のみでない。ときどき凡人の間においてもまた同様である。僕の友人にもまたこれを証明すべき適切の事例があるから、ここにこれを挙示したい。 彼は青年時代、学校にあるやいずれの学科も人並にできたためにかえって職業の選択に大いに迷った。ある時は実業家にならんと考えたこともあるが、子供のときには政治家になる望みがもっとも強かった。そののち世の中の腐敗を聞き宗教家にならんとまで考え込んだことあり、また学者となって身を立てようという考えを起こしたこともある。 しかるに彼が十九歳のころなりしと聞く。一夜北国にありて月明に乗じ独り郊外を散歩し、一軒立ての藁家の前を通過せんとした。ふと隙漏る光に屋内を覗うと、炉を囲める親子四、五人、一言だも交さずぼんやりとして安を貪っていた。そのころ彼は、宗教家たらんとの念が最高潮に達していたときであったが、この有様を見、この考えが急に一転した。というのは親子夫婦共働し、雪を踏んで家に帰れば身体すでに疲憊し、夕食を終ればたがいに物語るだけの元気も失せ、わずかに拾った薪に身を暖め、安を貪るがごとき輩が、どうして教育や宗教などを考うる余地があろう。彼らをして人間らしい精神をもたせるには、まずなによりも衣食足るの道を講ぜしめねばならぬ。 さりとて衣食の充足のみに進ましむればただ奢侈に流るるのみである。衣食充足の道を講ずるとともに、精神的教訓を与うることはもちろん必要であるが、ともかく下層階級の経済状態を改善するは、すべての改良の根本なりとの観念に打たれ、その翌日より倫理学、心理学の書をかたづけ、急に経済学の書を読み始めたという談を聞いた。これだけの談を聞けば、彼は一時の感情に打たれて職業を決したようにも思われるが、また詳しくその事情を聞くとこの考えに到達するに順序があったようである。すなわち彼の先代の関係だとか、あるいは彼の北国における境遇とかいろいろさまざまの勢力が知らずしらず彼をある方面に向かわしめていたのを、この冬の一夜の出来事がいよいよ自覚的にこれを決定せしめたものである。
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自警録・第二十二章 感情より出た職業選択・感情的誤解の根本原因かくのごとき誤解を生ずるのは、要するに自分の一個に関する具体的の事実をば、抽象的文字をもって説明するから、その説明がかえって真情を離れ、世間に対する聞こえはよいが、実際にはあてはまらなくなるのである。抽象的の文字を使えば意味の範囲がひろくなり、高尚に聞こゆるかわりに、また他の意味をも含んでき、したがって自己の場合にまったくあてはまらなくなることがある。たとえば飲みたい食いたい、それについては金を儲けたい、金を儲けるために何品を幾円で買い、これを幾円で売れば幾円を儲けるという具体的問題ありとする。この動機は飲食の欲である。これを満足する方法として商売し、商売の目的は何千百円を儲くるにある。ことを始むるときは爾く具体的に細密にもくろみするが、しかしこれを人に語るときは私は実業に従事するという。 実業といえば抽象的文字である。したがって意味が広い。そのなかには商売のみならず、工業農業も入る。保険、運輸の事業も入る。これに従事するとなると丁稚小僧となり自転車で走ることも、炎天のもと、裸足で畑に草取りするのも、自動車で会社に出勤することも含まれ、範囲が非常にひろくなる。なにを商売して何円儲けるという具体的希望が、実業従事という抽象的言葉にいい現されると、実際から遠いものとなる。 物理学にいう固形体のものを流動体に変じ、ガス体に変ずるがごとく、嵩は大きくなるけれども、つかみどころがなくなりがちである。ゆえに職業を選ぶにはそもそも自分がある職業を志願し志を立てたときの具体的境遇、情実をしずかに考うると、その志望がいかに根底あることか、また一時の軽々しい動機に起こりしかわかるであろう。 すなわち抽象的のひろい意味の言葉を用うるにいたった本にさかのぼって、しずかに考えると思い半ばに過ぐるものがありはせぬか。大きなひろい意味の言葉を用うるときはしばしば自ら欺くことがある。わが輩はとくに職業を選定せんとする青年に自己の動機を回顧せんことを勧む。先人の言に曰く、 「凡そ人事を区処する、当に先ずその結局を慮り、而して後に手を下すべし、楫無きの舟を行る勿れ、的無きの箭を発する勿れ」と。 して楫を執るとき、箭を放つときは心静かに落ちつけて、よくよくおのれの力先きの方向に留意するを要する。
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自警録・第二十二章 感情より出た職業選択・一時の感情か否かを判断する道(1)以上例示したるごとく生涯を一貫する職業選定の決心は、能力の多少、位地の上下を論ぜず、一時の些細なることのために定められる場合は決して少なくないから、前述の一時の感情に迷わさるるなというに対し、この感情は果たして一時的なりや否やという問題を、自ら提供しておのれに省み、しかも冷静に自己の真意を分析するを要する。 すなわち約言すれば熱情を冷静に考えよということになる。なにゆえにおのれはこのことにつき、かく熱するかを篤と攻究したいのである。凝っては思案に能わずと、古人も教えている。凝るとは熱するの謂である。ものを思い込むと他を顧みる余地も余裕もない、ゆえにとかく過ちを生じやすいのである。もっとも実際にことにあたるときは他を顧みず猛進せねばならぬが、ことにあたるか否かを考うるあいだは凝ることは禁物である。しかるに青年の一大特長はものに熱するにある。二十代前後は感情のもっとも旺盛なとき、三十代前後は手腕のもっとも発達するとき、四十前後は知識のもっとも発達するとき、しかして五十前後は思慮のもっとも深いときである。 青年は知識にも思慮にもまた手腕においても、まだまだ不足あるかわりに、ある命令のもとに仕事するときはもっとも熱してあたる。これが彼らの特長なると同時に、方向を誤ることもまたこれより起こる。彼らは思慮も熟せず判断力も固くないから、見るもの聞くものその他すべて五感に触るるものによりて心の底までも動揺されやすい。かく動揺されるときは、さなきだに思慮分別の熟せぬ青年はいよいよ心の衡平を失い、些事をも棒大に思い、あるいは反対に大事を針小に誤る傾向がある。これも無理ならぬことで、実際のことにあたり責任の地位を踏めることなき者は、なかなかに自己の言行のおよぼす範囲を適当に計量することはできぬ。青年にこの弱点あることは青年自身も承知している。承知しているゆえ、いわゆる先輩の意見を叩き、職業を選定せんとするのである。
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自警録・第二十二章 感情より出た職業選択・一時の感情か否かを判断する道(2)しかし先輩がいかに思慮あるとも、いかに判断力を備うるとも、青年がある事に熱するゆえんを容易に判断しうるものでない。たとえば政治家たらんと熱する者ありとせよ、なにゆえに政治家たらんと熱するかと聞かば、必ずや天下人心の腐敗とか、政党宜しきを得ぬとか、ひととおり何人も首肯するような理由を述ぶるであろう。しかるにこういう漠然としたことでは、なかなか熱心ということは起こりがたい。ゆえにさらに深く立ち入りてその理由を質せば彼の熱心せる理由は必ずしも政治に関係するものでないようなことが出てくる。 某が自分の村に政談演説したとき熱烈なる拍手喝采を得た。それが彼の心を動かしたという場合には、彼の熱心は政治のためにあらずして拍手喝采のためである。拍手は政治にあらず。また実業家を志望する人に聞けば日本は貧乏であるときまりきった議論を述ぶる。しからば今日急にそのことを思いつき、その方面に猛進せんとする志はなにより起こりしかと質せば、これまた実業になんの関係もなきことが導火線となれることがある。 たとえば某令嬢を慕いたるも実業家ならねば嫁せしめぬというを聞き、実業を志望したというがごとき滑稽的動機すらも現にわが輩の耳にしたところである。かくのごときはおそらくは自分も知らずに行えるので、滑稽な動機に動けることに気づかずにいるのであろう。