自警録 / 第二十一章 潔き感情と正しき思想・感情濫用の弊を撓める必要(1)
普通にいう癪に触るとか、虫が好かないとか、はなはだ漠とした言葉をもって、われわれの感情的の作用をいいあらわしているが、この癪、この虫がわれわれ日常の生活をどれほど害しているのか、統計に積もると大したものであろう。 なにかの会合に出席しても、この虫がいなかったならば、有益にかつ愉快に過ごしうるだろう。合理的の事故なくして不愉快に思ったり、途中歩いてもなんの理由なく、見ること聞くことが気に触ったり、家へ帰ってきてもまた同じく一生世を面白くなく渡るのは、とかく詰まらぬことに感情の作用をたくましくするにあることを思えば、われわれは勉めてこの害を矯めるようにせねばならぬと思うが、僕はけっして英米人をそのまま傚って彼の風に化せよとはかつても言ったこともない。また今もなおそういう議論は主張しないけれども、彼らにくらべてわれわれが世渡りするに、少なからず損をしていることは確かである。 善悪正邪はとにかく、損徳の点から打算しても、なんの必要もなきところに、感情を費すことはおろかな業である。僕はかつて精力の貯蓄なる題のもとに、精神の力も貯蓄すべきことを論じたことがあったが、感情の貯蓄についても同じような説をときたい。 ただ読者に誤解なきよう願いたいことは、高尚または有益なる感情をも殺せという意は僕に更にない。すなわちさきに言うた感情を貯蓄せよなる言葉の内に、感情を有することの望ましきを含ましてある積りだが、ただ感情の入って邪魔になるところに、感情を入るるべからずというに過ぎぬので、さきにいった商業家の取引あるいは政治の党派論のごときはもっともその適例と思う。学理あるいは歴史の研究についてはいうまでもない。昔のシナの学者も道心と人心と区別して説いたそうである。道心は人心のその正を得たる心と王陽明は説いたが、正を得るとは、人欲のまざらないところで、つまらぬ感情のなきをいうところであると思う。
書き下し
普通にいう癪に触るとか、虫が好かないとか、はなはだ漠とした言葉をもって、われわれの感情的の作用をいいあらわしているが、この癪、この虫がわれわれ日常の生活をどれほど害しているのか、統計に積もると大したものであろう。 なにかの会合に出席しても、この虫がいなかったならば、有益にかつ愉快に過ごしうるだろう。合理的の事故なくして不愉快に思ったり、途中歩いてもなんの理由なく、見ること聞くことが気に触ったり、家へ帰ってきてもまた同じく一生世を面白くなく渡るのは、とかく詰まらぬことに感情の作用をたくましくするにあることを思えば、われわれは勉めてこの害を矯めるようにせねばならぬと思うが、僕はけっして英米人をそのまま傚って彼の風に化せよとはかつても言ったこともない。また今もなおそういう議論は主張しないけれども、彼らにくらべてわれわれが世渡りするに、少なからず損をしていることは確かである。 善悪正邪はとにかく、損徳の点から打算しても、なんの必要もなきところに、感情を費すことはおろかな業である。僕はかつて精力の貯蓄なる題のもとに、精神の力も貯蓄すべきことを論じたことがあったが、感情の貯蓄についても同じような説をときたい。 ただ読者に誤解なきよう願いたいことは、高尚または有益なる感情をも殺せという意は僕に更にない。すなわちさきに言うた感情を貯蓄せよなる言葉の内に、感情を有することの望ましきを含ましてある積りだが、ただ感情の入って邪魔になるところに、感情を入るるべからずというに過ぎぬので、さきにいった商業家の取引あるいは政治の党派論のごときはもっともその適例と思う。学理あるいは歴史の研究についてはいうまでもない。昔のシナの学者も道心と人心と区別して説いたそうである。道心は人心のその正を得たる心と王陽明は説いたが、正を得るとは、人欲のまざらないところで、つまらぬ感情のなきをいうところであると思う。
現代語訳
世間でいう癪に触るとか、虫が好かないとか、きわめて漠然とした言葉で私たちの感情の働きを言い表していますが、この癪、この虫が私たちの日常生活をどれだけ害しているのか、統計に積もればたいしたものでしょう。 何かの会合に出席しても、この虫がいなかったなら、有益に、かつ愉快に過ごせるでしょう。合理的な理由もなく不愉快に思ったり、道を歩いても、理由もなく見るもの聞くものが気に触ったり、家に帰ってきても同じで、一生世の中を面白くなく渡るのは、とかくつまらないことに感情を働かせてしまうところにあると思えば、私たちはつとめてこの害を矯めるようにしなければならないと思います。しかし私は、決して英米人をそのまま真似て、彼らの風に染まれと言ったことはありませんし、今もそういう議論は主張しません。ただ、彼らに比べて私たちが世渡りするうえで、少なからず損をしていることは確かです。 善悪や正邪はさておき、損得の点から計算しても、何の必要もないところに感情を費やすのは、愚かなことです。私はかつて「精力の貯蓄」という題で、精神の力も貯蓄すべきことを論じたことがありますが、感情の貯蓄についても同じような説を説きたいと思います。 ただ、読者に誤解のないよう願いたいのは、高尚で有益な感情まで殺せという意図は私には少しもないということです。先に言った「感情を貯蓄せよ」という言葉の中に、感情を持つことが望ましいという意味を含ませたつもりで、ただ、感情が入ると邪魔になるところに感情を入れてはならないと言っているだけです。先に挙げた商業家の取引や政治の党派論などは、もっともよい例だと思います。学問や歴史の研究については言うまでもありません。昔の中国の学者も、道心と人心を区別して説いたそうです。道心とは人心がその正しさを得たものだと王陽明は説きましたが、正しさを得るとは、人欲のまじらないところ、つまらない感情のないことをいうのだと思います。
解説

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史記 高祖本紀且つ吾の軍を霸上に還す所以は、諸侯の至るを待ちて約束を定めんのみ。」と。乃ち人をして秦の吏と県郷邑を行かしめ、之に告諭す。秦人大いに喜び、争ひて牛羊酒食を持ちて軍士に献饗す。沛公又譲りて受けず、曰く、「倉粟多し、乏しきに非ず、人に費さしむるを欲せず。」と。人又益々喜び、唯だ沛公の秦王と為らざらんことを恐る。
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『呻吟語』内篇・應務・一の拙法有り世人の相與するは、面上に非ざれば則ち口中なり。人の心は固より面と口とに掩ふ能はず。而して測る可からざる者は則ち面と口とに盡きざるなり。故に惟だ人心のみ最も畏る可く、人心最も知る可からず。此れ天下の陷阱にして、古今生死の衢なり。余に一の拙法有り。之を推すに至誠を以てし、之を施すに至厚を以てし、之を持するに至慎を以てし、是非を遠ざけ、利名を讓り、後下に處せば、則ち夷狄鳥獸も骨肉腹心とす可し。將に深き者をして且つ心を傾けしめ、險なる者をして且つ德に化せしめんとす。而して何ぞ陷阱の予に及ばんや。
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『晏子春秋』外篇上・景公坐路寢曰誰將有此晏子諫景公路寝に坐して、曰く、「美なるかな室、其れ誰か将に此を有たんとするか」と。晏子対えて曰く、「其れ田氏か。田無宇は垾を為せり」と。公曰く、「然らば則ち奈何」と。晏子対えて曰く、「善を為す者は、君上の勧むる所なり。豈に禁ず可けんや。夫れ田氏は、国門に柝を撃つの家にして、父は以て其の子に托し、兄は以て其の弟に托し、今に於て三世なり。山の木は市の如くにして、山に加えず。魚塩蚌蜃は、海に加えず。民財之が為に帰す。今歳凶饑にして、蒿種芼斂は半ばならず、道路に死人有り。斉の旧四量は、四升を豆と為し、豆四にして区、区四にして釜、釜十にして鐘なり。田氏の四量は、各々一を加う。家の量を以て貸し、公の量を以て収む。則ち糴する所以、百姓の死命を澤うこと多し。今公家は驕汰にして、田氏は慈恵なり。国の澤は是に焉くにか帰せん。田氏は徳無しと雖も、民に施す有り。公厚く斂め、田氏は厚く施す。詩に曰く、『汝に与うる徳無しと雖も、式て歌い且つ舞う』と。田氏の施しは、民之を歌舞するなり。国の帰するも、亦た宜ならずや」と。
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『洗心洞箚記』卷下・第七十九條或ひと梁恵王曰く寡人の国に於けるやの章の義を問ふ。曰く、恵王の尽心と、後章の其の心を尽くす者は其の性を知るなりの尽心とは、字同じくして旨異なり。如し先づ之を弁ぜずして、一章の義を解すれば、則ち無数の言語を費して、天理人欲、終に分暁なること能はざるなり。夫れ恵王の尽心は、即ち人心を尽くす者なり。人心は、便ち是れ人欲にして不仁なり。恵王の戦を好むの心は、乃ち人欲の中尤も不仁なる者なり。人欲の中尤も不仁なるの心を尽くして、飢民を転遷し以て其の多少を計較す。要するに一身を肥やして独楽を極めんと欲する者なり。盗賊の心と奚を以て異ならんや。是の故に終に其の民を糜爛し子弟を駆りて以て之に殉ぜしむ。是れ皆自ら人心を尽くす上より来る。然らば則ち人心を尽くすは、断絶せざるべからざるなり。