自警録 / 第二十一章 潔き感情と正しき思想・我が商人は事業と人情とを混同する(2)
また事業と感情とを混同する事についていうべきことは、外国ではたとえば注文の日限に品物ができなければ、むろん契約破棄となる。日本とても法律上はそうであるけれども、東西の違うところは、西洋ならばおたがい知人のあいだでも Business is business で、私の交際と取引上のこととは別として考える。日本ではこれに感情をただちに入れるから、ことが縺れてくる。ゆえに前に述べた約束の時期に、品物ができなければ、感情に訴えて申し訳をすることを計る。自分が病気であったとか、あるいは親戚に不幸があったとか、子供が怪我をしたとか、出産したとか、取引にまったく関係なき一家のことをもって、申し訳に供しようとする。 借財の返済も同じことである。もっとも借財が、一家の生計のために借りた金であれば、一家の都合によって返済の能不能も定まることであるから、感情的の理由も通る場合もあまたあろうが、借財が事業のために負ったものならば、一身上あるいは一家上の都合は言うべきものではないと思う。かく入るるべからざるところに、感情を入れるから、人の交際が面白くなくなってしまう。せっかくの親しい友達のあいだが破れることなどもよく目撃することである。
書き下し
また事業と感情とを混同する事についていうべきことは、外国ではたとえば注文の日限に品物ができなければ、むろん契約破棄となる。日本とても法律上はそうであるけれども、東西の違うところは、西洋ならばおたがい知人のあいだでも Business is business で、私の交際と取引上のこととは別として考える。日本ではこれに感情をただちに入れるから、ことが縺れてくる。ゆえに前に述べた約束の時期に、品物ができなければ、感情に訴えて申し訳をすることを計る。自分が病気であったとか、あるいは親戚に不幸があったとか、子供が怪我をしたとか、出産したとか、取引にまったく関係なき一家のことをもって、申し訳に供しようとする。 借財の返済も同じことである。もっとも借財が、一家の生計のために借りた金であれば、一家の都合によって返済の能不能も定まることであるから、感情的の理由も通る場合もあまたあろうが、借財が事業のために負ったものならば、一身上あるいは一家上の都合は言うべきものではないと思う。かく入るるべからざるところに、感情を入れるから、人の交際が面白くなくなってしまう。せっかくの親しい友達のあいだが破れることなどもよく目撃することである。
現代語訳
また、事業と感情を混同することについて言えば、外国では、たとえば注文の期日までに品物ができなければ、もちろん契約破棄となります。日本でも法律上はそうですが、東西の違うところは、西洋ならば互いに知人のあいだでも「ビジネスはビジネス(Business is business)」で、私の交際と取引上のこととは別として考えます。日本ではこれにただちに感情を入れるので、ことがもつれます。ですから、先に述べた約束の期日に品物ができなければ、感情に訴えて言い訳をすることを図ります。自分が病気であったとか、親戚に不幸があったとか、子供が怪我をしたとか、出産したとか、取引にまったく関係のない一家のことを言い訳に使おうとします。 借金の返済も同じです。もっとも、借金が一家の生計のために借りた金であれば、一家の都合によって返済の可否も決まるものですから、感情的な理由が通る場合も多いでしょう。しかし借金が事業のために負ったものなら、一身上や一家の都合は言うべきではないと思います。このように、入れてはならないところに感情を入れるから、人づきあいが面白くなくなってしまいます。せっかくの親しい友人の仲が壊れることも、よく目にします。
解説

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