自警録 / 第二十一章 潔き感情と正しき思想・女々しい感情皮相の感情
僕が数年前、米国に留学していたころ僕の下宿屋の主婦とリンカーンの人物評を試みたことがある。この主婦は、もとはその家柄は卑しからぬ者で、南北戦争のさいには南軍方であって、最もリンカーンの政策に反対した者であったためか、リンカーンの人物を評するにも、その時の感情を揷はさんで、彼に関することならば、なにごとも曲解する傾きがあった。してこの曲解に対して、わが輩が一々弁護したところが、最後の反対論として、 「だってもリンカーンという人は非常な醜男子でしたもの」 とあたかも彼の容貌の醜なりしことが、最大の罪悪でありしがごとく述べた。 これほど明らかに口に出さなくとも、これに負けないほどの不合理な理由から、人の批評をしたり、歴史の事実を判断するものは許多ある。なかんずく無学な者か、あるいは少しばかりの学問があってもことさら婦人の仲間に多いと思う。婦人が往々にして身を誤つなどは、これと同じ筆法より、人を判断するからである。あるいは一席の歌を聴いて、その声が善ければその音声のために感情を動かされて、他のことにはなにも眼をくれない、ついに蓄音器の代用たるべき者のために身を誤ったりする。一口にいういわゆる「様子がいい」人、すなわち木偶同然の者のために身を誤るのはすなわちこれである。 また相応なる位置にある立派な人でも、かたわらにいる者のために、おべんちゃらをもって、あるいは御追従をもって、その感情をやわらげられて、判断力を失うことは歴史にたくさんある。一身を誤る理由の多くあるうちにも感情ほど大なる力はおそらく少なかろう。 学者の説によれば人類の進歩は思想において発達するとともに、感情はいよいよ鈍くなるという。ことごとくこの議論には敬服はせられぬけれども、議論にあらずして実際において、劣等人種もしくは修養なき者は感情ことに小さな女々しい感情に左右せらるること多きを思って、僕みずから感情家たるゆえか、これこそいちばん改革すべきところであると思う。
書き下し
僕が数年前、米国に留学していたころ僕の下宿屋の主婦とリンカーンの人物評を試みたことがある。この主婦は、もとはその家柄は卑しからぬ者で、南北戦争のさいには南軍方であって、最もリンカーンの政策に反対した者であったためか、リンカーンの人物を評するにも、その時の感情を揷はさんで、彼に関することならば、なにごとも曲解する傾きがあった。してこの曲解に対して、わが輩が一々弁護したところが、最後の反対論として、 「だってもリンカーンという人は非常な醜男子でしたもの」 とあたかも彼の容貌の醜なりしことが、最大の罪悪でありしがごとく述べた。 これほど明らかに口に出さなくとも、これに負けないほどの不合理な理由から、人の批評をしたり、歴史の事実を判断するものは許多ある。なかんずく無学な者か、あるいは少しばかりの学問があってもことさら婦人の仲間に多いと思う。婦人が往々にして身を誤つなどは、これと同じ筆法より、人を判断するからである。あるいは一席の歌を聴いて、その声が善ければその音声のために感情を動かされて、他のことにはなにも眼をくれない、ついに蓄音器の代用たるべき者のために身を誤ったりする。一口にいういわゆる「様子がいい」人、すなわち木偶同然の者のために身を誤るのはすなわちこれである。 また相応なる位置にある立派な人でも、かたわらにいる者のために、おべんちゃらをもって、あるいは御追従をもって、その感情をやわらげられて、判断力を失うことは歴史にたくさんある。一身を誤る理由の多くあるうちにも感情ほど大なる力はおそらく少なかろう。 学者の説によれば人類の進歩は思想において発達するとともに、感情はいよいよ鈍くなるという。ことごとくこの議論には敬服はせられぬけれども、議論にあらずして実際において、劣等人種もしくは修養なき者は感情ことに小さな女々しい感情に左右せらるること多きを思って、僕みずから感情家たるゆえか、これこそいちばん改革すべきところであると思う。
現代語訳
私が数年前、米国に留学していたころ、下宿屋の主婦とリンカーンの人物評をしたことがあります。この主婦は、もとは家柄が卑しくない人で、南北戦争のときは南軍側であり、リンカーンの政策にもっとも反対した者であったためか、リンカーンの人物を評するにも、そのときの感情をはさんで、彼に関することなら何事も曲解する傾きがありました。そして、この曲解に対して、私が一つ一つ弁護したところ、最後の反対論として、 「でもリンカーンという人は、ひどい醜男でしたもの」 と、まるで彼の容貌の醜さが最大の罪悪であったかのように述べました。 これほどはっきり口に出さなくても、これに負けないほど不合理な理由から、人の批評をしたり、歴史の事実を判断したりする者は大勢います。とりわけ無学な者か、少しばかり学問があっても、ことさら婦人の仲間に多いと思います。婦人がしばしば身を誤るのも、これと同じ筋道で人を判断するからです。あるいは一席の歌を聴いて、その声が良ければ、その音声に感情を動かされて、ほかのことには何も目をくれず、ついには蓄音器の代わりになる程度の者のために身を誤ったりします。一口にいう、いわゆる「様子がいい」人、つまり木偶同然の者のために身を誤るのは、これです。 また、相応の地位にある立派な人でも、そばにいる者のおべっかや追従によって感情をやわらげられ、判断力を失うことが、歴史にはたくさんあります。一身を誤る理由は多くありますが、その中でも、感情ほど大きな力はおそらく少ないでしょう。 学者の説によれば、人類の進歩は、思想において発達するにつれて、感情はいよいよ鈍くなるといいます。この議論のすべてには敬服できませんが、議論ではなく実際において、劣った人種、もしくは修養のない者は、感情、ことに小さな女々しい感情に左右されることが多いのを思って、私自身が感情家であるせいか、これこそいちばん改革すべきところだと思います。
解説

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本の中身を見るこの章句が説くこと
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