自警録 / 第二十一章 潔き感情と正しき思想・偉大なる思想が何ゆえに萎縮するか
いかなる文字でも、善き意味にも悪き意味にも用いらるるが、感情なる言葉ほど、ときには善く、ときには悪く用いらるる言葉は少なかろう。人を讃めて言うときに、あの人は感情家であるから、言うことが活気があるとか、あるいは精神がこもっているなどという。これに反し、あの人は感情家だから、議論が学理の軌道をはずれ、とかく横道に走るともいう。 いったい感情は読んで字のごとく、われわれの感覚といわゆる人情との二つを含むものであるから、善くもとれるし、悪くもとれると同じく、正しきにも走り、正しからざるにも走りやすい。感情はいわば一種の力であって、感情あればこそ思想も力を添え、感情の力なければ、人の考えはとかく冷淡にして働きに現れることは少ない。よし現れても、その運動量が弱い。 感情は意志や思想に力をつけるものであるゆえ、誤った思想に感情が混じると、その誤りがいっそう恐ろしくなる。ここにおいて、僕はしばしば感情の教育ということを口にするが、人の感情をして私を去って潔からしめたならば、自ら正しき思想に結びついて、偉大なる力を惹き起こすものであるが、もし感情にして卑しい女々しいものであれば、することなすこと小さくなって、偉大なる思想さえも、小感情のために、大きなところを失って縮まってしまう。おたがいも折々見ることで、知り合いの人のなすことを傍観しても、思慮はたいそうよく、すなわち思想においては間違いはなくとも、これを実行せんとするにあたり小さな感情から割り出すがために、とかく卑劣な穢い挙動に終ることがままある。あるいは人の思想をまたは行動を判断するについても、小さな感情をまじえてするがために、せっかくの大きなことも善きことも充分認識せられないでしまうことが多い。 イギリスの諺に「いかなる英傑も彼の側に侍る小姓の眼には偉大と映じない」とある。これ英傑が偉大ならざるにあらずして、小姓が偉大ならざるがためである。それと同じく、小さなる感情を挾む人には、いかに善きことも、いかに大なることも、けっして真の性質を会得しえない。僕自ら古今の英雄や豪傑を批評するにつけて、小さなる感情よりすることをたびたび恥ずかしく思う。
新字:いかなる文字でも、善き意味にも悪き意味にも用いらるるが、感情なる言葉ほど、ときには善く、ときには悪く用いらるる言葉は少なかろう。人を讃めて言うときに、あの人は感情家であるから、言うことが活気があるとか、あるいは精神がこもっているなどという。これに反し、あの人は感情家だから、議論が学理の軌道をはずれ、とかく横道に走るともいう。 いったい感情は読んで字のごとく、われわれの感覚といわゆる人情との二つを含むものであるから、善くもとれるし、悪くもとれると同じく、正しきにも走り、正しからざるにも走りやすい。感情はいわば一種の力であって、感情あればこそ思想も力を添え、感情の力なければ、人の考えはとかく冷淡にして働きに現れることは少ない。よし現れても、その運動量が弱い。 感情は意志や思想に力をつけるものであるゆえ、誤った思想に感情が混じると、その誤りがいっそう恐ろしくなる。ここにおいて、僕はしばしば感情の教育ということを口にするが、人の感情をして私を去って潔からしめたならば、自ら正しき思想に結びついて、偉大なる力を惹き起こすものであるが、もし感情にして卑しい女々しいものであれば、することなすこと小さくなって、偉大なる思想さえも、小感情のために、大きなところを失って縮まってしまう。おたがいも折々見ることで、知り合いの人のなすことを傍観しても、思慮はたいそうよく、すなわち思想においては間違いはなくとも、これを実行せんとするにあたり小さな感情から割り出すがために、とかく卑劣な穢い挙動に終ることがままある。あるいは人の思想をまたは行動を判断するについても、小さな感情をまじえてするがために、せっかくの大きなことも善きことも充分認識せられないでしまうことが多い。 イギリスの諺に「いかなる英傑も彼の側に侍る小姓の眼には偉大と映じない」とある。これ英傑が偉大ならざるにあらずして、小姓が偉大ならざるがためである。それと同じく、小さなる感情を挟む人には、いかに善きことも、いかに大なることも、けっして真の性質を会得しえない。僕自ら古今の英雄や豪傑を批評するにつけて、小さなる感情よりすることをたびたび恥ずかしく思う。
書き下し
いかなる文字でも、善き意味にも悪き意味にも用いらるるが、感情なる言葉ほど、ときには善く、ときには悪く用いらるる言葉は少なかろう。人を讃めて言うときに、あの人は感情家であるから、言うことが活気があるとか、あるいは精神がこもっているなどという。これに反し、あの人は感情家だから、議論が学理の軌道をはずれ、とかく横道に走るともいう。 いったい感情は読んで字のごとく、われわれの感覚といわゆる人情との二つを含むものであるから、善くもとれるし、悪くもとれると同じく、正しきにも走り、正しからざるにも走りやすい。感情はいわば一種の力であって、感情あればこそ思想も力を添え、感情の力なければ、人の考えはとかく冷淡にして働きに現れることは少ない。よし現れても、その運動量が弱い。 感情は意志や思想に力をつけるものであるゆえ、誤った思想に感情が混じると、その誤りがいっそう恐ろしくなる。ここにおいて、僕はしばしば感情の教育ということを口にするが、人の感情をして私を去って潔からしめたならば、自ら正しき思想に結びついて、偉大なる力を惹き起こすものであるが、もし感情にして卑しい女々しいものであれば、することなすこと小さくなって、偉大なる思想さえも、小感情のために、大きなところを失って縮まってしまう。おたがいも折々見ることで、知り合いの人のなすことを傍観しても、思慮はたいそうよく、すなわち思想においては間違いはなくとも、これを実行せんとするにあたり小さな感情から割り出すがために、とかく卑劣な穢い挙動に終ることがままある。あるいは人の思想をまたは行動を判断するについても、小さな感情をまじえてするがために、せっかくの大きなことも善きことも充分認識せられないでしまうことが多い。 イギリスの諺に「いかなる英傑も彼の側に侍る小姓の眼には偉大と映じない」とある。これ英傑が偉大ならざるにあらずして、小姓が偉大ならざるがためである。それと同じく、小さなる感情を挾む人には、いかに善きことも、いかに大なることも、けっして真の性質を会得しえない。僕自ら古今の英雄や豪傑を批評するにつけて、小さなる感情よりすることをたびたび恥ずかしく思う。
現代語訳
どんな文字でも、良い意味にも悪い意味にも用いられますが、感情という言葉ほど、ときに良く、ときに悪く用いられる言葉は少ないでしょう。人をほめて言うときに、あの人は感情家だから、言うことに活気があるとか、精神がこもっているなどと言います。これに反して、あの人は感情家だから、議論が学理の軌道をはずれて、とかく横道にそれるとも言います。 だいたい感情とは、字のとおり、私たちの感覚といわゆる人情の二つを含むものですから、良くも受け取れ、悪くも受け取れるのと同じように、正しいほうにも走り、正しくないほうにも走りやすいのです。感情はいわば一種の力であり、感情があればこそ思想も力を得、感情の力がなければ、人の考えはとかく冷淡で、働きとして現れることが少ないのです。たとえ現れても、その運動量が弱いのです。 感情は意志や思想に力をつけるものですから、誤った思想に感情が混じると、その誤りはいっそう恐ろしくなります。そこで私はしばしば感情の教育ということを口にします。人の感情が私心を去って清らかになれば、おのずから正しい思想と結びついて、偉大な力を呼び起こします。しかし、もし感情が卑しく女々しいものであれば、することなすこと小さくなって、偉大な思想さえも、小さな感情のために大きなところを失って縮んでしまいます。お互いにときどき見ることですが、知り合いのすることを傍観していても、思慮はたいへんよく、つまり思想においては間違いがなくても、これを実行しようとするときに、小さな感情から割り出すために、とかく卑劣で汚い振る舞いに終わることがよくあります。あるいは人の思想や行動を判断するにも、小さな感情をまじえてするために、せっかくの大きなことも善いことも、十分に認識されないで終わることが多いのです。 イギリスの諺に「どんな英傑も、その側に仕える小姓の目には偉大に映らない」とあります。これは英傑が偉大でないのではなく、小姓が偉大でないためです。それと同じく、小さな感情をはさむ人には、どんなに善いことも、どんなに大きなことも、決して本当の性質をつかめません。私自身、古今の英雄や豪傑を批評するにつけて、小さな感情からすることを、たびたび恥ずかしく思います。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
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