自警録 / 第二十一章 潔き感情と正しき思想・大統領改選に現れたる米人の感情と思想
米国においては四年ごとに大統領の改選が行われる。一期ごとに選挙はさかんになり、党派もふえる。したがって候補者の数も増すために、世人の議論がなかなかやかましくなる。一家のうちでも二つに割れ三つに割れているところさえもある。 しかるに彼らの論ずるところを傍で聞くと、地質学者が化石を科学的に攻究するごとき調子がある。甲の候補者はかくのごとき長所があるから、よろしく選挙すべしというと、乙の候補者の特長は、甲に対してこう勝るとか、あるいは彼らのたがいの短所がどこにあるとか、すこぶる冷淡に論じて、たまたま議論が極端に走って、容易ならぬ結果に陥るかと思えば、政治論はそれだけで、他の点において親しく談話をする様子は、わが国においてはなかなか見えないことで、このことは独り政治にのみ関してしかるわけではない。日々の事業について、実業家がその職業を営むにつけても同じこと、おのれが損したからとて、みだりにその罪を他人にかぶせるようなことはない。むろんそのかわり大いに成功したからとて、他人に感謝する感情もないように見受ける。
書き下し
米国においては四年ごとに大統領の改選が行われる。一期ごとに選挙はさかんになり、党派もふえる。したがって候補者の数も増すために、世人の議論がなかなかやかましくなる。一家のうちでも二つに割れ三つに割れているところさえもある。 しかるに彼らの論ずるところを傍で聞くと、地質学者が化石を科学的に攻究するごとき調子がある。甲の候補者はかくのごとき長所があるから、よろしく選挙すべしというと、乙の候補者の特長は、甲に対してこう勝るとか、あるいは彼らのたがいの短所がどこにあるとか、すこぶる冷淡に論じて、たまたま議論が極端に走って、容易ならぬ結果に陥るかと思えば、政治論はそれだけで、他の点において親しく談話をする様子は、わが国においてはなかなか見えないことで、このことは独り政治にのみ関してしかるわけではない。日々の事業について、実業家がその職業を営むにつけても同じこと、おのれが損したからとて、みだりにその罪を他人にかぶせるようなことはない。むろんそのかわり大いに成功したからとて、他人に感謝する感情もないように見受ける。
現代語訳
米国では四年ごとに大統領の改選が行われます。選挙のたびに、運動は盛んになり、党派も増えます。したがって候補者の数も増すため、世間の議論がなかなかやかましくなります。一家のうちでも二つに割れ、三つに割れているところさえあります。 ところが、彼らの論じるところを傍で聞くと、地質学者が化石を科学的に研究するような調子があります。甲の候補者にはこれこれの長所があるから選ぶべきだと言えば、乙の候補者の特長は甲に比べてこう勝っているとか、あるいは彼らのそれぞれの短所はどこにあるとか、きわめて冷静に論じます。たまたま議論が極端に走って、容易ならぬ結果に陥るかと思えば、政治論はそれだけで、他の点では親しく談話している様子は、わが国ではなかなか見られないことです。このことは政治に限ったことではありません。日々の事業についても、実業家がその職業を営むにあたって同じことで、自分が損をしたからといって、むやみにその罪を他人にかぶせることはありません。もちろんその代わり、大いに成功したからといって、他人に感謝する感情もないように見受けられます。
解説

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自警録・第十五章 逆上を警む・前二例より帰納する感情の危険もちろんただ上記の二つの例をもって、米国には社会党の騒ぎもなく、政治上の腐敗もなく、自治の精神が完全無欠に発達しているというは僕の意ではない。実際かの大会においても、拳骨の撲り合いが会場の戸口で二、三度あったというし、またボストンの公園地における会合も、僕の去ったのちで巡査が来て解散したかも知れない。あるいは議論が次第に高じて来て、罵詈讒謗に終ったかも知れない。あらゆる犯罪の多い米国のことであるから、数百の人の集まったときには随分不体裁はあり得ることである。して不体裁なことのみをならべ立てようと思えば、それもはなはだ容易なわざだと思う。しかるにたびたび言うとおり僕は他山の瓦礫を捕え来たって、自国の璞玉に比してみずから快とするの愚なることを信ずるから、常に他山の石を藉りて自分の玉を磨くの用に供したいと思う。 そこで今まで述べたシカゴの大会とボストンの公園の集会を見て、我が同胞とともに顧みたいことは、一時の激昂に駆られて事をなすを慎むべき一点である。なに事をなすにも感情を交えることは危険である。むろん感情と一口に言っても高尚な感情もあるが、言うまでもなく今述べる感情は一時の客気である。とかくこの客気血気があれば考えに誤りを生じやすい。一口に熱心などと称するからよく聞こえるが、思慮のない熱心ほど己れを害し人を害するものはない。ややもすると世の中ではほとんど目的もなく騒ぎ散らすをもって、熱心があるとか、気象がさかんだとか、あるいは勇敢だとか、痛快だなどと称する。しかし熱心勇敢の気象などというものは、いわば馬みたいなもので、御する人があればこそその方向に進んで行くが、御する者なければその向く処を知らない、狂人と同然である。発狂人の多くは勇気あり熱心あり気象の旺であるのであるが、惜しいかな心を守り、気を抑える力がないのである。古人の曰く、 「この心を敬守すれば則ち心定まる、その気を斂抑すれば則ち気平かなり」と。
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自警録・第十六章 富貴の精神化・物質的米国人と思想的米国人(1)例によって口上が思いのほか長引いたが、先年僕の滞米中諸方の卒業式の演説の中について、最も僕の面白く思ったものは実業的道徳に関するもののはなはだ多い一条である。 誰も言う通り米国は拝金国で、美術も文学も理想もないように言うが、ある程度まではその通りで、米国人みずからもとかく新開の国だけあって唯物主義に陥りはせぬかとみずから虞れている。ゆえに思想家はしばしばこの点について国民に警戒を与える。してその警戒の与え方が大いに我が意を得た。如何となればとかく何事にしても弊害あれば弊害そのもののみを攻撃しないで、それに随伴する事なれば何事によらず攻撃しやすいものである。「坊主が憎けりゃ袈裟まで憎い」というのは、また同時に袈裟を憎む者は坊主自身を憎むという弊に陥りやすい。君子はその罪を憎んでその人を憎まずとあるが、かくのごときは君子にして初めてなし得ることで、我々凡夫小人は、罪ならばまだしものこと、いささかの誤りがあっても、誤った人そのものはまだしも彼の親戚友人家屋生国までも憎みやすいものである。折々は学者のうちに高慢ちきな者があると、学者そのものを嫌い、進んでは学問そのものをすら罪する傾向がある。
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自警録・第二十一章 潔き感情と正しき思想・女々しい感情皮相の感情僕が数年前、米国に留学していたころ僕の下宿屋の主婦とリンカーンの人物評を試みたことがある。この主婦は、もとはその家柄は卑しからぬ者で、南北戦争のさいには南軍方であって、最もリンカーンの政策に反対した者であったためか、リンカーンの人物を評するにも、その時の感情を揷はさんで、彼に関することならば、なにごとも曲解する傾きがあった。してこの曲解に対して、わが輩が一々弁護したところが、最後の反対論として、 「だってもリンカーンという人は非常な醜男子でしたもの」 とあたかも彼の容貌の醜なりしことが、最大の罪悪でありしがごとく述べた。 これほど明らかに口に出さなくとも、これに負けないほどの不合理な理由から、人の批評をしたり、歴史の事実を判断するものは許多ある。なかんずく無学な者か、あるいは少しばかりの学問があってもことさら婦人の仲間に多いと思う。婦人が往々にして身を誤つなどは、これと同じ筆法より、人を判断するからである。あるいは一席の歌を聴いて、その声が善ければその音声のために感情を動かされて、他のことにはなにも眼をくれない、ついに蓄音器の代用たるべき者のために身を誤ったりする。一口にいういわゆる「様子がいい」人、すなわち木偶同然の者のために身を誤るのはすなわちこれである。 また相応なる位置にある立派な人でも、かたわらにいる者のために、おべんちゃらをもって、あるいは御追従をもって、その感情をやわらげられて、判断力を失うことは歴史にたくさんある。一身を誤る理由の多くあるうちにも感情ほど大なる力はおそらく少なかろう。 学者の説によれば人類の進歩は思想において発達するとともに、感情はいよいよ鈍くなるという。ことごとくこの議論には敬服はせられぬけれども、議論にあらずして実際において、劣等人種もしくは修養なき者は感情ことに小さな女々しい感情に左右せらるること多きを思って、僕みずから感情家たるゆえか、これこそいちばん改革すべきところであると思う。
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自警録・第二十五章 理想と実現・米国で僕の深く印象された米人の理想過般渡米の日、数多の著名なる人々、いわゆるこの国の思想界の指導者ともいうべき人々に直接あって、その人物に触れ、その思想の一端をうかがうの機会を得て、もっとも僕の心に深き印象を与えたことは思想の力という一条であった。 いわゆる黄金崇拝物質的の米国などと綽名されてあるこの国民が奢侈贅沢の弊害に陥る傾向が割合いに少ない。換言すれば一方には巨万の富を積みながらこれに安んじないで、なんなりこれ以上の、富以上の事業をまっとうせんと努力する気前と精力は、この国民の大いに買ってやるべき気象である。 わが同胞はだいたいにおいて貧乏であるから、富貴の誘惑なるものを知らない。貧乏人が金持を批評することは、とかく見当が違うことが多い。自分で金を持ってみると、金持の心理的作用もその誘惑もよく理解しうると思う。しかして我が国において少しく金を持った人は、多くなにに使うかと、彼らのなすところを米国の金持に較ぶれば、米国人は確かに日本人のいまだ持っておらない思想なるものに動かされておることを察しうる。
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自警録・第十六章 富貴の精神化・弁士の富論アメリカの習慣で羨ましく思うものは、かの大学卒業式を熾にすることである。いったい米国の諸大学は通常卒業式は一年一回で(シカゴ大学のごとく四回ある処もあるけれども)、して大概七月の初旬に行われる。卒業式の順序は、あるいは音楽とか卒業生総代の答辞とか、あるいは卒業生の演説とかいろいろあるが、大学卒業式にして独り当時学校のみならず国民全般にとって重要と思うことは式場における名士の演説である。その演説は翌日新聞に掲載され、某が如何なる問題について如何なる説を吐いたかが全国に行き渡る。ゆえにいずれの大学においても著名の学者あるいは実務家を一名ないし二名招待して式のうちの最も重きものとする。これらの人の選ぶ問題は必ずしも教育に関係しない。政治、外交、経済にわたることもあれば、軍事にわたることもある。歴史を説く者もあれば、未来を卜する者もある。自国の名誉を誇る者あれば、自国の短所を剔く者あり、実に勝手な説を吐いて独り学校卒業生のみならず全体の公衆に訴える。 またこの式場に臨む人は日本の学校のようにただに卒業生に限らず、また親戚に限らず、あるいは十年二十年、中には五十年以前に卒業したなどという人々も昔を偲ぶために出席し、地方の紳士淑女はいうまでもなく、遠方からもわざわざ集い来たる数ははなはだ少なくない。僕は先年の初夏、親しく久しぶりで二、三の卒業式に臨み、かつ他の大学の卒業式の記事を新聞によって知ったが、大学の卒業式の折りは実に米国民の思想の最高点に達した時と言って過言であるまいと思う。いかにその演説が教育に関係するを要しないとても、青年が主賓になっている以上は、招かれる弁士はただ能弁だとか悧口だとかいうだけの資格では足りない。自らその人と為り、その品性を斟酌して招待するからして、演説に自ら重みがついて、時勢遅れの学説もあったり、あるいはあまりに理想に奔って実行出来ぬ空論を述べる者もあろうが、とにかく一年中米国の思想界が最も上品な形に顕れるのはこの時であろう。
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自警録・第十五章 逆上を警む・世界の耳目を集中さした共和党の大会(1)大正元年の夏のころ、僕は米国に滞留していたが、そのころ日本の新聞通信にも顕れたことで、シカゴ市における共和党の大会は近年にない大騒ぎで、独り米国の一大出来事たるのみならず、世界の視聴もことごとくシカゴ市に集中した。僕はシカゴまでは行かなかったが、直接または間接に関係ある人の話を聞いたり、新聞の報道を読んだりして、いかに人心が荒やいでほとんど狂するごときさまなるかを見て、これが日本であったならば抜刀騒ぎになるであろう。 米国においてもせめて、拳骨ぐらいの喧嘩があるであろうと、大会の閉会になるまで、好奇心をもって種々の新聞に眼をくばっておった。さなきだに犯罪や自殺多き夏の季節に、一万四千の腕白者が大都会の一堂に会合したことであり、群集心理の特徴として逆上しやすき時、出席者のうちの大多数は、自称政治家、自ら天下に我一人の気前の連中だからなおさらの事、一芝居の起こることを期待しておった。しかるになんぞ図らん、開会の始めにあたり上院にその人ありと聞こえたルート氏が座長に選ばれた。この人の手腕でも出席者の昂奮を撫め得ないであろう。なにしろ会場における不満連の総大将兼黒幕としてはルーズヴェルト氏自ら采配を取っているという始末であるから、我々の考えでは珍事なしには終らぬと気遣ったのも、今思えば杞憂に過ぎなかった。