自警録 / 第二十章 忠告の取捨・功を奏する忠告と奏せぬ忠告(1)
人を批評するにも、人を判断するにも、また人に忠告を与えるにも、先方の事情を深くかつ同情的に汲むにあらざれば、われわれの批評がけっしてその当を得ない。かえってわれわれの判断が誤りやすい、すなわちわれわれの忠告は功を奏しない。 管仲が戦場で遁げたからとてただちにこれを卑怯と批評し臆病者と判断し、しかして勇敢なれと忠告した者があったならば、おそらく彼は腹の底で笑うのみであったろう。彼を知る鮑叔が彼を目して臆病者とも卑怯者とも言わなかったのは、彼の人となりと、彼の事情を知っているからである。 僕はずいぶん異なった境遇に遭遇したあまたの人に接して考える。教訓も忠告も、その百分の一も功の無きはこれを受ける人の真情に当たらぬのと、これを受ける人に対する同情の薄きによると思う。約言すればとかくわれわれの忠告なるものには誠意誠心が欠けがちで、軽々しくするがゆえに、先方を動かさぬは当然のことである。人に忠告せんと思う者は口に言を発するに先だちて深く心に念ずるこそ順序であろう。また人より忠告を受くるものは先方の誠意を疑ってはならぬ。彼の言は長く心中に念じたる結果、やむなく口外に出でたるものと思えば、これ実に天の声である。 貝原益軒がものせる『大和俗訓』の中に、忠告に関するまことに穿った教訓があるから、左に抜萃する。
書き下し
人を批評するにも、人を判断するにも、また人に忠告を与えるにも、先方の事情を深くかつ同情的に汲むにあらざれば、われわれの批評がけっしてその当を得ない。かえってわれわれの判断が誤りやすい、すなわちわれわれの忠告は功を奏しない。 管仲が戦場で遁げたからとてただちにこれを卑怯と批評し臆病者と判断し、しかして勇敢なれと忠告した者があったならば、おそらく彼は腹の底で笑うのみであったろう。彼を知る鮑叔が彼を目して臆病者とも卑怯者とも言わなかったのは、彼の人となりと、彼の事情を知っているからである。 僕はずいぶん異なった境遇に遭遇したあまたの人に接して考える。教訓も忠告も、その百分の一も功の無きはこれを受ける人の真情に当たらぬのと、これを受ける人に対する同情の薄きによると思う。約言すればとかくわれわれの忠告なるものには誠意誠心が欠けがちで、軽々しくするがゆえに、先方を動かさぬは当然のことである。人に忠告せんと思う者は口に言を発するに先だちて深く心に念ずるこそ順序であろう。また人より忠告を受くるものは先方の誠意を疑ってはならぬ。彼の言は長く心中に念じたる結果、やむなく口外に出でたるものと思えば、これ実に天の声である。 貝原益軒がものせる『大和俗訓』の中に、忠告に関するまことに穿った教訓があるから、左に抜萃する。
現代語訳
人を批評するにも、人を判断するにも、また人に忠告を与えるにも、相手の事情を深く、しかも同情をもってくみ取らなければ、私たちの批評は決して当を得ません。むしろ私たちの判断は誤りやすく、したがって私たちの忠告は功を奏しません。 管仲が戦場で逃げたからといって、すぐにこれを卑怯と批評し、臆病者と判断して、勇敢であれと忠告した者がいたなら、おそらく彼は腹の底で笑うだけだったでしょう。彼をよく知る鮑叔が、彼を臆病者とも卑怯者とも言わなかったのは、彼の人柄と、彼の事情を知っていたからです。 私は、ずいぶん異なる境遇に遭った多くの人に接して考えます。教訓も忠告も、その百分の一も効き目がないのは、それを受ける人の真情に当たっていないことと、受ける人への同情が薄いことによるのだと思います。要するに、私たちの忠告にはとかく誠意誠心が欠けがちで、軽々しく行うために、先方を動かさないのは当然です。人に忠告しようと思う者は、口に言葉を出す前に、深く心の中で思い詰めることこそが順序でしょう。また、人から忠告を受ける者は、先方の誠意を疑ってはなりません。彼の言葉は、長く心の中で思い詰めた結果、やむなく口に出たものだと思えば、これはまさに天の声です。 貝原益軒が著した『大和俗訓』の中に、忠告についてまことに的を射た教えがあるので、次に抜き書きします。
解説

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『呻吟語』内篇・應務・責善の六戒善を責むるは其の人の何如を看るを要す。其の人善を以て責む可くんば、又た當に自ら長を善くし失を救ふの道を盡くすべし。其の忌む所を指摘する無かれ、其の失する所を盡數する無かれ、人に對する無かれ、峭直なる無かれ、長言する無かれ、累言する無かれ。此の六戒を犯さば、忠告と雖も、善道に非ざるなり。其の聽かれざれば、我も亦た且つ過ち有り。何を以て人を責めん。
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