自警録 / 第二十章 忠告の取捨・正しき時に正しき言を放つは賢人
なお他人に忠告するについては、一言したいことがある。たびたび言うとおり聖人君子でないわれわれ凡人に訓戒を与えることははなはだむずかしいし、また与えたところが釈迦、孔子、耶蘇の訓戒でさえもいちいち反応ないのに、われわれの訓戒が功を奏することはおぼつかなく思う。 友人に忠告することは常にあることで、ある意味においては世にありすぎることである。こんなことまで忠告するにおよばんのにと思うことがままある。 しかし忠告する値があることについても、もっとも注意すべきは時を選ぶ一条である。友人の心の畑が耕されているや否や、英国の諺に賢人とは正しき時に、正しき言を放つ者なりとあるが、実にそのとおりで、どんな正しい言でも時ならぬ時に放てば愚人の言にも劣る。おそらく多くの人はみな経験があるだろう。 まじめになって、友人を諫めたためにあるいは友誼を破り、あるいは他人の心に反抗心を惹き起こさせて、いっそう彼を堕落せしむるの機縁となることがある。時ならぬ忠告は有害ならぬまでも、無益におわる場合多ければ、葬式に祝詞を呈し、めでたき折に泣き言を述ぶるに等しきことは常識に任せて謹みたい。 僕のたびたび引用する『菜根譚』に、 「人の悪を攻むるは太だ厳なるなかれ、その受くるに堪うるを思うを要す。人に教うるに善を以てするは、高きに過ぐるなかれ、それをして従うべからしむべし」 とある。
書き下し
なお他人に忠告するについては、一言したいことがある。たびたび言うとおり聖人君子でないわれわれ凡人に訓戒を与えることははなはだむずかしいし、また与えたところが釈迦、孔子、耶蘇の訓戒でさえもいちいち反応ないのに、われわれの訓戒が功を奏することはおぼつかなく思う。 友人に忠告することは常にあることで、ある意味においては世にありすぎることである。こんなことまで忠告するにおよばんのにと思うことがままある。 しかし忠告する値があることについても、もっとも注意すべきは時を選ぶ一条である。友人の心の畑が耕されているや否や、英国の諺に賢人とは正しき時に、正しき言を放つ者なりとあるが、実にそのとおりで、どんな正しい言でも時ならぬ時に放てば愚人の言にも劣る。おそらく多くの人はみな経験があるだろう。 まじめになって、友人を諫めたためにあるいは友誼を破り、あるいは他人の心に反抗心を惹き起こさせて、いっそう彼を堕落せしむるの機縁となることがある。時ならぬ忠告は有害ならぬまでも、無益におわる場合多ければ、葬式に祝詞を呈し、めでたき折に泣き言を述ぶるに等しきことは常識に任せて謹みたい。 僕のたびたび引用する『菜根譚』に、 「人の悪を攻むるは太だ厳なるなかれ、その受くるに堪うるを思うを要す。人に教うるに善を以てするは、高きに過ぐるなかれ、それをして従うべからしむべし」 とある。
現代語訳
なお、他人に忠告することについて、一言したいことがあります。たびたび言うとおり、聖人君子ではない私たち凡人が人に訓戒を与えるのは、たいへん難しいことです。しかも、釈迦、孔子、キリストの訓戒でさえ、一つ一つに反応があるわけではないのですから、私たちの訓戒が功を奏することは、おぼつかなく思います。 友人に忠告することは常にあることで、ある意味では世の中にありすぎることです。こんなことまで忠告するにはおよばないのに、と思うこともよくあります。 しかし、忠告する価値があるときでも、いちばん注意すべきは、時を選ぶことです。友人の心の畑が耕されているかどうか。英国の諺に、賢人とは正しい時に正しい言葉を放つ者である、とありますが、まことにそのとおりで、どんなに正しい言葉でも、時でない時に放てば、愚か者の言葉にも劣ります。おそらく多くの人に経験があるでしょう。 まじめになって友人を諫めたために、友情を壊したり、相手の心に反抗心を起こさせて、かえって堕落の機縁にしてしまうことがあります。時ならぬ忠告は、有害でないまでも無益に終わる場合が多いので、葬式に祝辞を述べ、めでたい席で泣き言を言うのに等しいことは、常識に任せて慎みたいものです。 私がたびたび引用する『菜根譚』に、 「人の悪を責めるのは、あまり厳しくしてはならない。相手が耐えられるかを考える必要がある。人に善を教えるのは、高すぎてはならない。相手が従えるようにすべきである」 とあります。
解説

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