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斉家論 / 上

然れども推出し儒者とはいはれまじ、又世間に沙汰なき人にも出會て見れば、經書はいふに及ばず、詩作文章達者なる能學者あり、又儒者ならねども、少し心がけある人には、汝ぐらゐの學者は町並にも有べし、其中にて無緣の講釋すると、口廣き事はいはれまじ、夫をもかまはず書付を出されなば、聽者もあるべけれど、一度聞ては、素讀同前の講釋なりといひ、又口の惡き者は、あの學問にて講釋するは、笑ふにたらずと譏るべし、たとひ十日廿日入かはり聽衆ありとも、つゞくまじ、其時に至り、しまはんよりは、今七八年も學問し出られなば、本望もとげ、恥を受ることも少からんといはれし人も、過去むかしがたりになりぬ、或人のいへるごとく、

新字:然れども推出し儒者とはいはれまじ、又世間に沙汰なき人にも出会て見れば、経書はいふに及ばず、詩作文章達者なる能学者あり、又儒者ならねども、少し心がけある人には、汝ぐらゐの学者は町並にも有べし、其中にて無縁の講釈すると、口広き事はいはれまじ、夫をもかまはず書付を出されなば、聴者もあるべけれど、一度聞ては、素読同前の講釈なりといひ、又口の悪き者は、あの学問にて講釈するは、笑ふにたらずと譏るべし、たとひ十日廿日入かはり聴衆ありとも、つゞくまじ、其時に至り、しまはんよりは、今七八年も学問し出られなば、本望もとげ、恥を受ることも少からんといはれし人も、過去むかしがたりになりぬ、或人のいへるごとく、

書き下し

然れども推し出だし儒者とはいはれまじ。又世間に沙汰なき人にも出会うて見れば、経書はいふに及ばず、詩作文章達者なる能き学者あり。又儒者ならねども、少し心がけある人には、汝ぐらゐの学者は町並にも有るべし。其の中にて無縁の講釈すると、口広き事はいはれまじ。夫をもかまはず書付を出だされなば、聴く者もあるべけれど、一度聞きては、素読同前の講釈なりといひ、又口の悪しき者は、あの学問にて講釈するは、笑ふにたらずと譏るべし。たとひ十日廿日入れかはり聴衆ありとも、つづくまじ。其の時に至り、しまはんよりは、今七八年も学問し出でられなば、本望もとげ、恥を受くることも少なからんといはれし人も、過ぎ去りむかしがたりになりぬ。或人のいへるごとく、

現代語訳

しかし表立って儒者とは言えないだろう。世間に名の知られていない人でも、会ってみれば経書は言うまでもなく、詩や文章に達者な優れた学者がいる。儒者でなくても少し心がけのある人の中には、あなたくらいの学者は町にいくらでもいるだろう。その中で縁のない人に講釈するなどと、大きな口はきけまい。それでもかまわず書付を出せば、聞く者もいるだろうが、一度聞けば素読と変わらない講釈だと言い、口の悪い者は、あの学問で講釈するとは笑うにも足りないとそしるだろう。十日や二十日は入れ替わりで聴衆があっても続くまい。そうなってやめるよりは、あと七、八年学問してから始めれば本望も遂げられ、恥を受けることも少ないだろう」。そう言ってくれた人も、今は亡くなり昔話になりました。ある人が言ったように、

解説

誠実な友人の忠告は、今でもよく聞く種類のものです。準備が足りないうちに始めれば恥をかく、あと七、八年学んでからにせよ、と。梅岩はこの忠告を退けて講席を開きました。十日二十日でやむと言われた講席は、この時点で十五年続いています。忠告した友がすでに亡くなったことを淡々と書き添えているのが印象に残ります。完璧に準備してから始めるか、足りないまま始めて続けるか。梅岩は後者を選び、足りない部分を認めたまま続けることで、町人に届く学問を作りました。

この章句が説くこと

忠告準備継続友人学問

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