自警録 / 第十九章 言葉の心・言葉はこれを用いる人の心を表す(1)
用語においてはなおさらである。これは何人でも経験あることであろう。同一の人を評するに敵意をもってすると好意をもってするとはその結果において実に雲泥の差がある。優れた人を評するにつけても、 「あの男はエライ」という者あり、 「エラそうだ」というもあり、また、 「エラぶる」というもある。 「まるい鶏卵も切りようで四角」。 「物も言いようで角が立つ」。 俗に「糞も味噌も一緒にする」というが、味噌を見て糞のようだというのと、糞を見て味噌のようだというのとは、その人の態度に大差あるを証明する。ゆえに同じことを言うにまったく別な言葉を用いてよいこともある。 たとえばここに笑みを含んで話するものがあるとすれば、甲はこれを、 「巧言令色の人、阿諛謟佞の人」 と評するし、乙は、 「よいぐあいに世渡りする上手者、愛嬌を振りまく八方美人」 という。また丙は、 「真に人に接して城壁を設けず一視同仁的の愛情の深い人だ」という。 いま甲と丙との批評を聞くと、同じ人を評しているものとは思われぬ。乙の批評を聞くにおよび、親戚関係でもある人かという疑問が起こる。同一の人にしても甲乙丙の見ようによりてはかくのごとき差異を生ずる。またここに人あり他の質問に応じて充分に説明するときは、甲は、彼はものしり顔して少しばかりの学問を衒うと評し、乙は、彼はちょっとひと通りはものをしっているようだが、だいぶ得意になって話すると言い、丙は、彼は我々の質問に対し懇切によく説明してくれたと謝する。同じ人の同じ説明でさえも、聞く人によりてかくのごとき異なった感情を受くる。
書き下し
用語においてはなおさらである。これは何人でも経験あることであろう。同一の人を評するに敵意をもってすると好意をもってするとはその結果において実に雲泥の差がある。優れた人を評するにつけても、 「あの男はエライ」という者あり、 「エラそうだ」というもあり、また、 「エラぶる」というもある。 「まるい鶏卵も切りようで四角」。 「物も言いようで角が立つ」。 俗に「糞も味噌も一緒にする」というが、味噌を見て糞のようだというのと、糞を見て味噌のようだというのとは、その人の態度に大差あるを証明する。ゆえに同じことを言うにまったく別な言葉を用いてよいこともある。 たとえばここに笑みを含んで話するものがあるとすれば、甲はこれを、 「巧言令色の人、阿諛謟佞の人」 と評するし、乙は、 「よいぐあいに世渡りする上手者、愛嬌を振りまく八方美人」 という。また丙は、 「真に人に接して城壁を設けず一視同仁的の愛情の深い人だ」という。 いま甲と丙との批評を聞くと、同じ人を評しているものとは思われぬ。乙の批評を聞くにおよび、親戚関係でもある人かという疑問が起こる。同一の人にしても甲乙丙の見ようによりてはかくのごとき差異を生ずる。またここに人あり他の質問に応じて充分に説明するときは、甲は、彼はものしり顔して少しばかりの学問を衒うと評し、乙は、彼はちょっとひと通りはものをしっているようだが、だいぶ得意になって話すると言い、丙は、彼は我々の質問に対し懇切によく説明してくれたと謝する。同じ人の同じ説明でさえも、聞く人によりてかくのごとき異なった感情を受くる。
現代語訳
用語についてはなおさらです。これは誰にも経験があることでしょう。同じ人を評するのに、敵意をもってするか好意をもってするかでは、結果に雲泥の差があります。優れた人を評するにも、 「あの男はえらい」という者もあり、 「えらそうだ」という者もあり、また、 「えらぶる」という者もあります。 「まるい卵も切りようで四角」。 「物も言いようで角が立つ」。 俗に「糞も味噌も一緒にする」といいますが、味噌を見て糞のようだというのと、糞を見て味噌のようだというのとでは、その人の態度に大きな違いがあることを証明します。ですから、同じことを言うのにまったく別の言葉を使ってよいこともあります。 たとえば、笑みを含んで話す人がいるとして、甲はこれを、 「巧言令色の人、人にこびへつらう人」 と評し、乙は、 「うまく世渡りする上手な者、愛嬌を振りまく八方美人」 と言います。また丙は、 「本当に人に接して城壁を設けず、分け隔てなく人を愛する、愛情の深い人だ」 と言います。 いま、甲と丙の批評を聞くと、同じ人を評しているとは思えません。乙の批評を聞くに至っては、親戚関係でもある人かという疑問が起こります。同じ人でも、甲乙丙の見方によって、これほどの差が生じます。また、ここに人があって、他人の質問に応じて十分に説明したとします。甲は、彼は物知り顔をして、少しばかりの学問をひけらかすと評し、乙は、彼はひととおりは物を知っているようだが、だいぶ得意になって話すと言い、丙は、彼は私たちの質問に懇切によく説明してくれたと感謝します。同じ人の同じ説明でさえ、聞く人によって、これほど異なった感情を受けます。
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