自警録 / 第十八章 知らぬ恩人に対する感謝・惨憺たる一高の入学試験
僕が第一高等学校に在職中ことさらに僕の感じたことがある。それはある夏学校の入学試験の際であったが、今は名も知れているけれども、これを明かすの必要もなし、あかしたならかえって迷惑の種子ともなろうから、姓名を省いて話そう。あるいは偶然にも話題の主の人の眼にこの書が触れたならば、あの時の男は彼であったかと思わるるであろうが、僕はこれを美談と思うから隠さずに話する。 七月の初め、一週間ばかり続いた暑さの強い日がちょうど全国の高等学校入学の試験の定日であった。中学を卒業した四月から、以来は三度の食事も省略するほどに時を惜み、夜も眠らず、眠気がさせば眼に薄荷までさして、試験の準備に余念ない三千ちかくの青年が、第一高等学校の試験場に群り来たり、いよいよ教室に入るその刹那まで、準備を怠らぬくらいであるからして、試験以前の十日間の勉強は実に兵士の戦闘準備どころか、実戦にとりかかっていると同じ感がする。すなわち試験以前の一旬間の惨憺たるさまは父兄友人はいうまでもなく、少しく今日の日本の教育並びに試験の制度を知るものは、察するにあまりありというくらいである。ゆえに中には試験の始まる前に、すでに根気がつきたり、病に罹ったり神経衰弱あるいは脳貧血あるいは不消化不眠症等に罹るものは、おそらく百をもって数えるであろう。
書き下し
僕が第一高等学校に在職中ことさらに僕の感じたことがある。それはある夏学校の入学試験の際であったが、今は名も知れているけれども、これを明かすの必要もなし、あかしたならかえって迷惑の種子ともなろうから、姓名を省いて話そう。あるいは偶然にも話題の主の人の眼にこの書が触れたならば、あの時の男は彼であったかと思わるるであろうが、僕はこれを美談と思うから隠さずに話する。 七月の初め、一週間ばかり続いた暑さの強い日がちょうど全国の高等学校入学の試験の定日であった。中学を卒業した四月から、以来は三度の食事も省略するほどに時を惜み、夜も眠らず、眠気がさせば眼に薄荷までさして、試験の準備に余念ない三千ちかくの青年が、第一高等学校の試験場に群り来たり、いよいよ教室に入るその刹那まで、準備を怠らぬくらいであるからして、試験以前の十日間の勉強は実に兵士の戦闘準備どころか、実戦にとりかかっていると同じ感がする。すなわち試験以前の一旬間の惨憺たるさまは父兄友人はいうまでもなく、少しく今日の日本の教育並びに試験の制度を知るものは、察するにあまりありというくらいである。ゆえに中には試験の始まる前に、すでに根気がつきたり、病に罹ったり神経衰弱あるいは脳貧血あるいは不消化不眠症等に罹るものは、おそらく百をもって数えるであろう。
現代語訳
私が第一高等学校に勤めていたとき、とくに感じたことがありました。それはある夏、学校の入学試験のときでした。今ではその人の名もわかっていますが、明かす必要もなく、明かせばかえって迷惑のもとにもなるでしょうから、姓名は省いて話します。もしかして、偶然この話の主の目にこの書が触れたら、あのときの男は彼だったかと思われるでしょうが、私はこれを美談と思うので、隠さずに話します。 七月の初め、一週間ほど暑さの強い日が続き、ちょうど全国の高等学校の入学試験の定められた日でした。中学を卒業した四月から後、三度の食事も省くほど時間を惜しみ、夜も眠らず、眠気がさせば目に薄荷までさして試験の準備に余念のない三千人近い青年が、第一高等学校の試験場に群がり集まり、いよいよ教室に入る瞬間まで、準備を怠らないほどです。そのため、試験前の十日間の勉強は、兵士の戦闘準備どころか、実戦にとりかかっているのと同じ感じがします。すなわち、試験前の一旬の惨憺たるありさまは、父兄や友人はもちろん、今日の日本の教育と試験の制度を少しでも知っている者なら、察するにあまりあるというほどです。ですから、試験の始まる前に、すでに根気が尽きたり、病気にかかったり、神経衰弱、脳貧血、消化不良や不眠症にかかる者は、おそらく百をもって数えるでしょう。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
言志四録・言志晩録 別存 第七条 進講の前日は心斎す公進講有る毎に、前一日心斎して家に在り。緊要急務有るに非ざれば、則ち客来るも面せず。蓋し此くの如くならざれば、則ち講に臨みて以て主聴を竦ましむるに足らず。余竊かに敬服す。
-
司馬法・定爵教えは惟(こ)れ豫(あらかじ)め、戦いは惟れ節(せつ)。
-
うひ山ぶみ・第六段まことに然あるべきことにて、その学のしなを正し、まなびやうの法をも正して、ゆくさきよこさまなるあしき方に落チざるやう、又其業のはやく成るべきやう、すべて功多かるべきやうを、はじめよりよくしたゝめて、入らまほしきわざ也、
-
『甲陽軍鑑』品第十四惣別信玄公の合戦は働き前へに取りかけんと、思ふ国のゑづをもつて、各守侍大将打ち寄り、其国の嶮難の塲をさたして、一の手·二の手·横鎗·脇備·後備·小荷駄奉行所に依りてまほる旗遊軍·押勢などゝ申す事わり候ひて、卒爾にがけなどへころびおつる儀いづかたにても、さのみ無之、左様にいたすを甲州の軍法といふ、但しかり田などにゆき人夫の一二人は在々などにて、自然穴へおつることも有るべし、味方が原合戦の刻みがけへ落ちたる武田武者一人もなく候、家康武者もみだりに北たる衆なければ、結句馬塲美濃守は浜松衆の体皆勝負をして死する故、此方へ向きたると信玄公御前にて家康衆をあさからずほめ候、信長衆佐久間右衛門は合戦にあはず浜松の城に迯げ入り、其外六七手は其夜に吉田岡崎迄落ちつるときく、是れは味方が原の儀馬をいるゝと云ふに付ての事、
-
孫子・形篇是の故に勝兵はまず勝ちて後に戦い、敗兵はまず戦いて後に勝ちを求む。
-
『呻吟語』内篇・談道・權は豫め設く可からず事に豫めして立つ有り、亦た豫めして廢るる者有り。吾れ曾て豫めして以て待つ有りしも、事に臨みて鑿枘合はず、竟に棄擲と成る者あり。所謂る權は豫め設く可からず、變は先に圖る可からずとは、又た一を執りて論じ難きなり。