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自警録 / 第十八章 知らぬ恩人に対する感謝・今もなお不明なる僕の受くる恩

はなはだ事が私事にわたるようで、ことに小なことで、人に語るに価もないか知らぬが、かほどな些細なことも、好意をもってすれば、かほどに人の心を感動せしむるものであるという証拠に、ここにこれを述べる。 僕が札幌の郊外に一個の墓をもっている。札幌の天地は僕の青年時代に学問したところで、さなきだに第二の故郷として慕わしいが、この慕わしき念をいっそう深からしむるものは、この小さき墓地である。ゆえに折々かの石碑の周囲に雑草がはびこって、見すぼらしくなりはせぬか、石が倒れて見る甲斐なきようになっておるまいか、悪戯の子供らが石の上に落書でもして不作法になってはおらぬかと、折々心を痛めることがある。それゆえ友人に頼み、ついでの時に見巡ってもらったが、彼が墓所へ行ったつど、報告してくれるに、いつでもいつでも草はきれいに刈られ、周囲がすこぶる整然していると。ここにおいてあまりの不思議さに、同じ友人に依頼して誰が掃除してくれたるか、もし判ったならば礼もしたいから、住職なり番人なりに質してくれと、いって送るけれども、友人の穿鑿ではなかなかかくも墓地に対して好意を示す人を探し得ない。 今もなお僕にはその人が知れない。しかるにこの事たる、事態は茶話の話題にもならぬくらいなるが、僕にとっては人情のまことに柔かきところと深きところとを窺わしめて、感謝と喜びの念を深からしむることが少なくないのである。 それにこの行為をなす人はおそらく唯一人であろう。しかるに誰ということの判らぬ間に、僕の心には果たして一人であるか二人であるか三人か、加之一人であるにしても、あの人であろうか、この人であろうかと推量を運らすのが大勢の人に関するから、つまり大勢の人が僕には恩人のごとき感を与えている。渡る世間に鬼はない。かれこれ僕は大勢の人に非難を受けるけれども、また世には心からしての友があるという自覚を強からしめて、折々不愉快なことのあるあいだにも、かくのごとき小な事が、燈明のごとく輝いて、人生の味を甘からしめる。

新字:はなはだ事が私事にわたるようで、ことに小なことで、人に語るに価もないか知らぬが、かほどな些細なことも、好意をもってすれば、かほどに人の心を感動せしむるものであるという証拠に、ここにこれを述べる。 僕が札幌の郊外に一個の墓をもっている。札幌の天地は僕の青年時代に学問したところで、さなきだに第二の故郷として慕わしいが、この慕わしき念をいっそう深からしむるものは、この小さき墓地である。ゆえに折々かの石碑の周囲に雑草がはびこって、見すぼらしくなりはせぬか、石が倒れて見る甲斐なきようになっておるまいか、悪戯の子供らが石の上に落書でもして不作法になってはおらぬかと、折々心を痛めることがある。それゆえ友人に頼み、ついでの時に見巡ってもらったが、彼が墓所へ行ったつど、報告してくれるに、いつでもいつでも草はきれいに刈られ、周囲がすこぶる整然していると。ここにおいてあまりの不思議さに、同じ友人に依頼して誰が掃除してくれたるか、もし判ったならば礼もしたいから、住職なり番人なりに質してくれと、いって送るけれども、友人の穿鑿ではなかなかかくも墓地に対して好意を示す人を探し得ない。 今もなお僕にはその人が知れない。しかるにこの事たる、事態は茶話の話題にもならぬくらいなるが、僕にとっては人情のまことに柔かきところと深きところとを窺わしめて、感謝と喜びの念を深からしむることが少なくないのである。 それにこの行為をなす人はおそらく唯一人であろう。しかるに誰ということの判らぬ間に、僕の心には果たして一人であるか二人であるか三人か、加之一人であるにしても、あの人であろうか、この人であろうかと推量を運らすのが大勢の人に関するから、つまり大勢の人が僕には恩人のごとき感を与えている。渡る世間に鬼はない。かれこれ僕は大勢の人に非難を受けるけれども、また世には心からしての友があるという自覚を強からしめて、折々不愉快なことのあるあいだにも、かくのごとき小な事が、灯明のごとく輝いて、人生の味を甘からしめる。

書き下し

はなはだ事が私事にわたるようで、ことに小なことで、人に語るに価もないか知らぬが、かほどな些細なことも、好意をもってすれば、かほどに人の心を感動せしむるものであるという証拠に、ここにこれを述べる。 僕が札幌の郊外に一個の墓をもっている。札幌の天地は僕の青年時代に学問したところで、さなきだに第二の故郷として慕わしいが、この慕わしき念をいっそう深からしむるものは、この小さき墓地である。ゆえに折々かの石碑の周囲に雑草がはびこって、見すぼらしくなりはせぬか、石が倒れて見る甲斐なきようになっておるまいか、悪戯の子供らが石の上に落書でもして不作法になってはおらぬかと、折々心を痛めることがある。それゆえ友人に頼み、ついでの時に見巡ってもらったが、彼が墓所へ行ったつど、報告してくれるに、いつでもいつでも草はきれいに刈られ、周囲がすこぶる整然していると。ここにおいてあまりの不思議さに、同じ友人に依頼して誰が掃除してくれたるか、もし判ったならば礼もしたいから、住職なり番人なりに質してくれと、いって送るけれども、友人の穿鑿ではなかなかかくも墓地に対して好意を示す人を探し得ない。 今もなお僕にはその人が知れない。しかるにこの事たる、事態は茶話の話題にもならぬくらいなるが、僕にとっては人情のまことに柔かきところと深きところとを窺わしめて、感謝と喜びの念を深からしむることが少なくないのである。 それにこの行為をなす人はおそらく唯一人であろう。しかるに誰ということの判らぬ間に、僕の心には果たして一人であるか二人であるか三人か、加之一人であるにしても、あの人であろうか、この人であろうかと推量を運らすのが大勢の人に関するから、つまり大勢の人が僕には恩人のごとき感を与えている。渡る世間に鬼はない。かれこれ僕は大勢の人に非難を受けるけれども、また世には心からしての友があるという自覚を強からしめて、折々不愉快なことのあるあいだにも、かくのごとき小な事が、燈明のごとく輝いて、人生の味を甘からしめる。

現代語訳

ごく私事にわたることで、しかも小さなことで、人に語るほどのこともないかもしれませんが、これほど些細なことでも、好意をもってすれば、これほど人の心を感動させるものだという証拠として、ここに述べます。 私は札幌の郊外にひとつの墓を持っています。札幌の天地は私の青年時代に学問をしたところで、ただでさえ第二の故郷として慕わしいのですが、この慕わしい思いをいっそう深くするのが、この小さな墓地です。そのため、折々、石碑の周りに雑草がはびこってみすぼらしくなってはいないか、石が倒れて見る影もなくなっていないか、いたずらの子供が石の上に落書きでもして無作法になっていないかと、心を痛めることがあります。そこで友人に頼み、ついでの折に見回ってもらいました。彼は墓所に行くたびに報告してくれましたが、いつもいつも草はきれいに刈られ、周りもたいへん整っているというのです。そこで、あまりの不思議さに、同じ友人に頼んで、誰が掃除をしてくれているのか、もしわかったら礼もしたいから、住職か番人に尋ねてほしいと言って送りましたが、友人の調べでは、墓地にこれほどの好意を示す人をなかなか探し出せませんでした。 今もなお、私にはその人がわかりません。しかしこのことは、茶話の話題にもならないくらい小さなことですが、私にとっては、人情のまことに柔らかいところと深いところをうかがわせ、感謝と喜びの念を深くさせることが少なくありません。 しかもこの行為をする人は、おそらくたった一人でしょう。ところが、誰ということがわからないあいだ、私の心には、はたして一人か二人か三人か、一人にしても、あの人だろうか、この人だろうかと推量が巡り、それが大勢の人に関わるので、つまり大勢の人が私には恩人のように思えてきます。渡る世間に鬼はない。私は大勢の人から非難を受けることもありますが、世の中には心からの友がいるという自覚を強くさせてくれます。ときどき不愉快なことがあるなかでも、こうした小さなことが灯明のように輝いて、人生の味を甘くしてくれます。

解説

新渡戸は、札幌の青年時代を過ごした地にある墓が、誰かの手でいつも清められている、と自らの体験を語ります。札幌は札幌農学校で学んだ地で、第二の故郷と呼ばれています。友人に調べさせても世話をする人は見つからず、今も不明のままです。名乗らない善意は、見返りを求めない分だけ受ける側の心を深く動かし、しかも特定の恩人がいない代わりに世間全体への信頼を育てます。仕事でも、見返りを求めない小さな気配りが、周囲の信頼を静かに積み上げます。気づかれなくても続ける善意の価値を、教えてくれる一節です。
『人生の方程式』の表紙

人生を、一行の式にしてみた。

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この章句が説くこと

札幌墓匿名の善意感謝渡る世間に鬼はない人情

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