自警録 / 第十五章 逆上を警む・つまらぬ事に逆上する国民的弱点(2)
たとえば永く浪人しておった人が、仕官の途につき久しぶりに金を手にすると、金満家になったような気がして、一月分の月給で友人を招いて一晩に飲んでしまう。来月分も来々月分も飲んでしまって、招待したお客の追従言葉を聞いてますます得意になって、しばらくたつうちにかえって一身およびその位置に対して不名誉を来たしてしまうことは、わが輩知人のうちにも折々見た。あるいは会社員であると社長さんから大いに信頼のお言葉を頂戴するか、役人であれば上官から重大な秘密を洩らされでもすると、俺より信用厚き者はないような気がして、すぐにその態度が変わり昨日まで同僚交際であった者を急に見下したり、にわかに傲慢尊大になる場合も僕はしばしば見た。あるいは学問をしている者でも、はじめのうちは謙遜に、あれも知らぬ、これも知らぬと思いつつ、研究三昧に暇ない時は最も尊敬すべきときであるが、あの学位を得たとか、その学位を授けられたとかいうと、自分がいかにも偉い者にでもなったように、人の前でも何もかにも物知り顔をしておるさまは、傍観しても見苦しいものであるし、かつ近づく者にも、学問とはこんな厭な臭気のするものかと思わしむる場合もしばしばある。 あるいは道徳を語る人でも同じことである。あの人は品行方正の人だとか、まことに正しい曲った事のない人だとか言われると、すぐさま君子顔になって、他人を見るに小人をもってして、世ことごとく濁れり我独り澄めり底の考えに逆上する。かく言う僕も他人より賛辞を受けたことはないが、上に挙げた例の一部にあたっているかも知れないと思えば、この辺が筆を止めるところであろうか。僕にしてかくのごとき弱点はさらにないという自信がさらに鞏ければ、もっと大胆に論じたいが、自分で顧みて折々は逆上そうになったこともあった。終りに述べる僕の実験談は普通に言う逆上るのとは違うけれども、その性質においては同じであるし、かつ僕に取っては逆上の訓戒としてしばしば記憶にのぼる経験であるから、恥を晒してここに述べよう。
書き下し
たとえば永く浪人しておった人が、仕官の途につき久しぶりに金を手にすると、金満家になったような気がして、一月分の月給で友人を招いて一晩に飲んでしまう。来月分も来々月分も飲んでしまって、招待したお客の追従言葉を聞いてますます得意になって、しばらくたつうちにかえって一身およびその位置に対して不名誉を来たしてしまうことは、わが輩知人のうちにも折々見た。あるいは会社員であると社長さんから大いに信頼のお言葉を頂戴するか、役人であれば上官から重大な秘密を洩らされでもすると、俺より信用厚き者はないような気がして、すぐにその態度が変わり昨日まで同僚交際であった者を急に見下したり、にわかに傲慢尊大になる場合も僕はしばしば見た。あるいは学問をしている者でも、はじめのうちは謙遜に、あれも知らぬ、これも知らぬと思いつつ、研究三昧に暇ない時は最も尊敬すべきときであるが、あの学位を得たとか、その学位を授けられたとかいうと、自分がいかにも偉い者にでもなったように、人の前でも何もかにも物知り顔をしておるさまは、傍観しても見苦しいものであるし、かつ近づく者にも、学問とはこんな厭な臭気のするものかと思わしむる場合もしばしばある。 あるいは道徳を語る人でも同じことである。あの人は品行方正の人だとか、まことに正しい曲った事のない人だとか言われると、すぐさま君子顔になって、他人を見るに小人をもってして、世ことごとく濁れり我独り澄めり底の考えに逆上する。かく言う僕も他人より賛辞を受けたことはないが、上に挙げた例の一部にあたっているかも知れないと思えば、この辺が筆を止めるところであろうか。僕にしてかくのごとき弱点はさらにないという自信がさらに鞏ければ、もっと大胆に論じたいが、自分で顧みて折々は逆上そうになったこともあった。終りに述べる僕の実験談は普通に言う逆上るのとは違うけれども、その性質においては同じであるし、かつ僕に取っては逆上の訓戒としてしばしば記憶にのぼる経験であるから、恥を晒してここに述べよう。
現代語訳
たとえば、長く浪人していた人が仕官の道に就き、久しぶりに金を手にすると、金満家になったような気がして、一か月分の月給で友人を招き、一晩で飲んでしまう。来月分も来々月分も飲んでしまい、招いた客のお世辞を聞いてますます得意になって、しばらくするうちに、かえって自分自身とその地位に不名誉をもたらしてしまうことは、私の知人のうちにも折々見たことがある。あるいは、会社員であれば社長から大いに信頼の言葉をいただいたり、役人であれば上官から重大な秘密を漏らされたりすると、俺ほど信用の厚い者はないような気がして、すぐに態度が変わり、昨日まで同僚として付き合っていた者を急に見下したり、にわかに傲慢で尊大になったりする場合も、私はしばしば見た。あるいは学問をしている者でも、初めのうちは謙虚に、あれも知らない、これも知らないと思いながら、研究三昧に暇のないときこそ最も尊敬すべきときであるが、あの学位を得たとか、この学位を授けられたとかいうと、自分がいかにも偉い者になったように、人の前で何もかも物知り顔をしているさまは、傍から見ても見苦しいし、近づく者にも、学問とはこんな嫌なにおいのするものかと思わせることもしばしばある。 あるいは道徳を語る人でも同じことである。あの人は品行方正だとか、まことに正しい、曲がったことのない人だとか言われると、すぐに君子顔になって、他人を見るのに小人をもってし、世はことごとく濁っている、我ひとり澄んでいる、という考えにのぼせ上がる。こう言う私自身、他人から賛辞を受けたことはないが、上に挙げた例の一部にあてはまっているかもしれないと思えば、このあたりで筆を止めるべきだろうか。私にこのような弱点がまったくないという自信がもっと固ければ、もっと大胆に論じたいが、自分を顧みて、折々はのぼせそうになったこともあった。終わりに述べる私の経験談は、普通にいうのぼせ上がるのとは違うけれども、その性質においては同じであり、しかも私にとっては逆上への戒めとしてしばしば思い出す経験であるから、恥をさらしてここに述べよう。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『法句経』第十九 住法の部 二七一・二七二 意を安んずる勿れ二七一 我は唯禁戒を持ち、或は復多く学び、又は心の安定を得、或は閑静処に住みて、 二七二 (此に由つて)凡夫の習はざる出離楽を証せず、比丘よ、未だ心中の穢を尽さずんば意を安んずる勿れ。
-
『翁問答』下卷之本体充曰、にせの学問をする人に、世間の交りをむづかしがり、閑居を好み或は心気やみなどの如く、引こもりなどするものあるは、何としたることにて候や。師の曰、それが即ち魔境におち入たるにて候高満の魔心ふかき故に、本来非もなきせけんを非にみて、親のする事も兄弟のする事も、主君のあてがひも朋友のなす業もみなわけもなき妄作なりと得心するによつて、右を見るも左を見るも、皆おのれが心にかなはぬ事ばかりなる故に、世間の交をいとひ、ひとり居る事を好むと知べし。
-
『翁問答』下卷之本体充曰、魔境へおち入とは、いかやうなるを申候や。師の曰、或は贋の学問にふけり或は学問せざれども暗処に魔を来しぬれば、自満の心根かたくなり枝葉しげりて異風になり、人をば生るむしとも思はず、天下にわれをこすべきものなしと、人もゆるさぬ高満を鼻にあて、親おやかたの愚痴なるをさげしみおかしく思ひ、主君をそしり朋友をあざけりて、孝悌忠信の生道をさまたげ邪魔に相通じ悪魔と作法をあはするを魔境に陥ると云なり、うまれつき利根無欲けなげなる人此やまひ多し。
-
徒然草・第167段一道に携はる人、あらぬ道の席に臨みて、「あはれ我が道ならましかば、かくよそに見侍らじものを。」といひ、心にも思へる事、常のことなれど、世にわろく覚ゆるなり。知らぬ道の羨ましく覚えば、「あな羨まし、などか習はざりけむ。」と言ひてありなむ。我が智を取り出でて人に争ふは、角あるものの角をかたぶけ、牙あるものの牙を噛み出す類なり。人としては善にほこらず、物と争はざるを徳とす。他に勝る事のあるは大きなる失なり。品の高さにても、才芸のすぐれたるにても、先祖の誉にても、人にまされりと思へる人は、たとひ詞に出でてこそいはねども、内心に若干の科あり。謹みてこれを忘るべし。をこにも見え、人にもいひけたれ、禍ひをも招くは、たゞこの慢心なり。一道にもまことに長じぬる人は、みづから明らかにその非を知るゆゑに、志常に満たずして、つひに物に誇ることなし。
-
『正法眼蔵随聞記』巻四古人云く、奢て上賢にひとしからんと思ふことなかれ、賤ふして下賤にひとしからんと思ふことなかれと、云こゝろは、共に慢心なり、高ふしても下らんことを忘るゝことなかれ、安ふしても危からんことを忘るゝことなかれ、今日存するとも明日もと思ふことなかれ、死の至てちかくあやふきこと脚下にあり、
-
史記 秦本紀其の秋、甘茂・庶長封をして宜陽を伐たしむ。四年、宜陽を抜き、首を斬ること六万。河を渉り、武遂に城く。魏の太子来朝す。武王力有りて戯を好む。力士任鄙・烏獲・孟説皆大官に至る。王孟説と鼎を挙げ、臏を絶つ。八月、武王死す。孟説を族す。武王魏の女を取りて后と為すも、子無し。異母弟を立つ。是を昭襄王と為す。昭襄の母は楚人にして、姓は羋氏、宣太后と号す。武王の死せし時、昭襄王燕に質為り。燕人送り帰し、立つを得たり。昭襄王の元年、厳君疾相と為る。甘茂出でて魏に之く。二年、彗星見る。庶長壮大臣・諸侯・公子と逆を為し、皆誅せらる。恵文后に及ぶまで皆良死を得ず。悼武王の后出でて魏に帰る。三年、王冠す。楚王と黄棘に会し、楚に上庸を与ふ。四年、蒲阪を取る。彗星見る。五年、魏王来たりて応亭に朝す。復た魏に蒲阪を与ふ。六年、蜀侯煇反き、司馬錯蜀を定む。庶長奐楚を伐ち、首を斬ること二万。涇陽君斉に質たり。日食し、昼晦し。七年、新城を抜く。樗里子卒す。八年、将軍羋戎をして楚を攻めしめ、新市を取る。斉は章子をして、魏は公孫喜をして、韓は暴鳶をして共に楚の方城を攻めしめ、唐眛を取る。趙中山を破り、其の君亡げ、竟に斉に死す。魏の公子勁・韓の公子長諸侯と為る。九年、孟嘗君薛文来たりて秦に相たり。奐楚を攻め、八城を取り、其の将景快を殺す。十年、楚の懐王入りて秦に朝す。秦之を留む。薛文金を以て免るるを受く。楼緩丞相と為る。十一年、斉・韓・魏・趙・宋・中山の五国共に秦を攻め、塩氏に至りて還る。秦韓・魏に河北及び封陵を与へて以て和す。彗星見る。楚の懐王走りて趙に之く。趙受けず、之を秦に還す。即ち死し、帰葬す。十二年、楼緩免ぜられ、穣侯魏冉相と為る。楚に粟五万石を予ふ。