自警録 / 第十五章 逆上を警む・つまらぬ事に逆上する国民的弱点(1)
先を見ずにその場にて一時の快を貪る極めて短慮な者には、内容のさらにない雄弁を揮ってみたり、あるいは大声一喝、相手の人には痛くもない讒謗や冷評を浴せかけて、ドラマチックに喝采を受けて嬉しがるは我が国民性の一弱点である。言葉をかえて言うと、物にノボセ上がる、逆上する性質がはなはだ我が同胞の間には広がっていると思う。ゆえに何か大きな響のよい言葉を用いれば、己れを忘れて飛び上がる連中がはなはだ少なくない。たとえば仁義のために死するとか、国家の責任を双肩に担って立つとか、邦家のためには一身を顧みず、知遇のためには命を堕すとか、その他数多くの catchword のためにその用語の内容や真の意味を一時忘れる者がはなはだ多いのみならず、一身の上についても、実に詰まらぬことに逆上する傾向が多いことを目撃もし、また恥ずかしながら自分が経験したことがたくさんある。
書き下し
先を見ずにその場にて一時の快を貪る極めて短慮な者には、内容のさらにない雄弁を揮ってみたり、あるいは大声一喝、相手の人には痛くもない讒謗や冷評を浴せかけて、ドラマチックに喝采を受けて嬉しがるは我が国民性の一弱点である。言葉をかえて言うと、物にノボセ上がる、逆上する性質がはなはだ我が同胞の間には広がっていると思う。ゆえに何か大きな響のよい言葉を用いれば、己れを忘れて飛び上がる連中がはなはだ少なくない。たとえば仁義のために死するとか、国家の責任を双肩に担って立つとか、邦家のためには一身を顧みず、知遇のためには命を堕すとか、その他数多くの catchword のためにその用語の内容や真の意味を一時忘れる者がはなはだ多いのみならず、一身の上についても、実に詰まらぬことに逆上する傾向が多いことを目撃もし、また恥ずかしながら自分が経験したことがたくさんある。
現代語訳
先のことを見ず、その場で一時の快さをむさぼる、きわめて短慮な者が、中身のまったくない雄弁を振るってみたり、あるいは大声で一喝し、相手には痛くもかゆくもない悪口や冷やかしを浴びせて、芝居がかった喝采を受けて喜ぶのは、わが国民性の一つの弱点である。言葉を変えて言えば、物にのぼせ上がる、逆上する性質が、同胞の間にはなはだ広がっていると思う。だから、何か大きく響きのよい言葉を使えば、我を忘れて飛び上がる連中が少なくない。たとえば、仁義のために死ぬとか、国家の責任を双肩に担って立つとか、国のためには一身を顧みないとか、知遇に報いるためには命を捨てるとか、そのほか数多くの決まり文句のために、その語の内容や本当の意味を一時忘れてしまう者がはなはだ多いだけでなく、一身の上についても、実にくだらないことに逆上する傾向が多いことを目撃もし、また恥ずかしながら自分で経験したこともたくさんある。
解説

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自警録・第十五章 逆上を警む・つまらぬ事に逆上する国民的弱点(2)たとえば永く浪人しておった人が、仕官の途につき久しぶりに金を手にすると、金満家になったような気がして、一月分の月給で友人を招いて一晩に飲んでしまう。来月分も来々月分も飲んでしまって、招待したお客の追従言葉を聞いてますます得意になって、しばらくたつうちにかえって一身およびその位置に対して不名誉を来たしてしまうことは、わが輩知人のうちにも折々見た。あるいは会社員であると社長さんから大いに信頼のお言葉を頂戴するか、役人であれば上官から重大な秘密を洩らされでもすると、俺より信用厚き者はないような気がして、すぐにその態度が変わり昨日まで同僚交際であった者を急に見下したり、にわかに傲慢尊大になる場合も僕はしばしば見た。あるいは学問をしている者でも、はじめのうちは謙遜に、あれも知らぬ、これも知らぬと思いつつ、研究三昧に暇ない時は最も尊敬すべきときであるが、あの学位を得たとか、その学位を授けられたとかいうと、自分がいかにも偉い者にでもなったように、人の前でも何もかにも物知り顔をしておるさまは、傍観しても見苦しいものであるし、かつ近づく者にも、学問とはこんな厭な臭気のするものかと思わしむる場合もしばしばある。 あるいは道徳を語る人でも同じことである。あの人は品行方正の人だとか、まことに正しい曲った事のない人だとか言われると、すぐさま君子顔になって、他人を見るに小人をもってして、世ことごとく濁れり我独り澄めり底の考えに逆上する。かく言う僕も他人より賛辞を受けたことはないが、上に挙げた例の一部にあたっているかも知れないと思えば、この辺が筆を止めるところであろうか。僕にしてかくのごとき弱点はさらにないという自信がさらに鞏ければ、もっと大胆に論じたいが、自分で顧みて折々は逆上そうになったこともあった。終りに述べる僕の実験談は普通に言う逆上るのとは違うけれども、その性質においては同じであるし、かつ僕に取っては逆上の訓戒としてしばしば記憶にのぼる経験であるから、恥を晒してここに述べよう。
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自警録・第十五章 逆上を警む・前二例より帰納する感情の危険もちろんただ上記の二つの例をもって、米国には社会党の騒ぎもなく、政治上の腐敗もなく、自治の精神が完全無欠に発達しているというは僕の意ではない。実際かの大会においても、拳骨の撲り合いが会場の戸口で二、三度あったというし、またボストンの公園地における会合も、僕の去ったのちで巡査が来て解散したかも知れない。あるいは議論が次第に高じて来て、罵詈讒謗に終ったかも知れない。あらゆる犯罪の多い米国のことであるから、数百の人の集まったときには随分不体裁はあり得ることである。して不体裁なことのみをならべ立てようと思えば、それもはなはだ容易なわざだと思う。しかるにたびたび言うとおり僕は他山の瓦礫を捕え来たって、自国の璞玉に比してみずから快とするの愚なることを信ずるから、常に他山の石を藉りて自分の玉を磨くの用に供したいと思う。 そこで今まで述べたシカゴの大会とボストンの公園の集会を見て、我が同胞とともに顧みたいことは、一時の激昂に駆られて事をなすを慎むべき一点である。なに事をなすにも感情を交えることは危険である。むろん感情と一口に言っても高尚な感情もあるが、言うまでもなく今述べる感情は一時の客気である。とかくこの客気血気があれば考えに誤りを生じやすい。一口に熱心などと称するからよく聞こえるが、思慮のない熱心ほど己れを害し人を害するものはない。ややもすると世の中ではほとんど目的もなく騒ぎ散らすをもって、熱心があるとか、気象がさかんだとか、あるいは勇敢だとか、痛快だなどと称する。しかし熱心勇敢の気象などというものは、いわば馬みたいなもので、御する人があればこそその方向に進んで行くが、御する者なければその向く処を知らない、狂人と同然である。発狂人の多くは勇気あり熱心あり気象の旺であるのであるが、惜しいかな心を守り、気を抑える力がないのである。古人の曰く、 「この心を敬守すれば則ち心定まる、その気を斂抑すれば則ち気平かなり」と。
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自警録・第二十六章 理想の実現は何処・理想の翻訳を誤るものが多い(2)愛国忠君などということを口癖にいう人にはこれが実行の翻訳を誤る人が多い。愛国だといってみだりに外国人を悪口したり、戦争をしないでもよいのに、戦争を主張したりする人がある。 明治二十年ごろ、国粋主義のさかんなとき、途中で外国人の婦人に唾を吐きかけた学生があった。なぜそんなことをなしたかと訊問されたとき、国体を発揮するためだと答えた。愛国ということはよく聞こえるが、これを実行に翻訳するときは、オランダの通訳官と同じく勝手にする。 むかし英国の学者ジョンソンは愛国心ほど怪しげな心はない。いかなる悪党も愛国なる言葉を用うれば、犯罪をなすことができるといった。 明治十年ごろまでは強盗したり乱暴狼藉した者に、なぜそんなことをしたかと聞くと、国を憂いて大いに旗上げするつもりであるといった。また地租改正のとき、あっちこっちで騒いだ。このとき重税を課しては国のために憂うべき事であると、佐倉宗吾を気取ったまではいいが、佐倉宗吾のように命を捨てたかといえば、なかなか捨てるどころか、かえって強盗強姦したものもある。これが愛国だということはちょっとわからぬ。とかく愛国とかあるいは何々の主義だといって議論して歩くあいだはよく聞こえるけれども、これを実地に行うときは、翻訳が間違いやすいゆえにわれわれがいやしくも理想をいだくという以上、その理想なるものを実現するにあたって、理想の品位を下げぬように行為に現すにあらざれば理想でなく、妄想であることを一言したい。
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自警録・第六章 怖気の矯正・暗いところがあると怖気出すこれに反し自分に最善を尽しておらぬものは、何かの時に退けを取りやすい。恥ずかしいが、僕もしばしば自分でこれを経験したことがある。かようなことは相手も知っておるまいと、思って大きな顔している間に、はしなくも話頭がみずから犯した罪に、すこしでも触れると、すぐにビクつき、あるいは顔色が変わり、あるいは声が顫え、あるいはその言うことに辻褄が合わなくなり、あるいは極上等に出来たとしても、話頭を漸々に曲げて自分の痛いところより遠く離さんとし、然らざれば正反対に自分の弱点を弁護するごとき議論や物語をしたりする。 これは僕自身にそういう経験があるのみならず、また他人に逢っても、自分みたいなことをやっているわいと感じたことが間々あった。たとえば前年僕を訪ねて、なかなか元気よく議論したある青年があった。その挙動を見るとすこぶる傍若無人で、室に入るや否やいきなり趺座をかき、口角に泡を飛ばして盛んに議論する。僕はこれを見てなるほど彼は勇気精力に富むと感心した。彼が独りで暫時議論したのち、僕にむかい、 「今日の日本の青年に対し最も注意すべきものは何か」 と質問を発した。僕はあながち彼に対してあてつけ、皮肉をいうつもりはなかったが、あたかもそのころある地方の中学を巡廻し、生徒の不行儀なることを、ことに痛切に感じていたから、僕は、 「行儀を正すことが目下の一大急務なり」 というや、今までの豪傑は急に狼狽しはじめた。露出した膝頭を気にして、衣服で掩わんとしたり、あるいは趺座をかいた足を幾分かむすび直し、正座の姿に移らんとした。僕はこれを見て、ハハア、この人が今までの大言壮語も、その磊落の行儀も、思いつかずになした業でなく、一時の拵え気焔で人を脅かすつもりか、あるいは豪傑を衒っての業であったのだな。彼の英邁奇行は道具立ての小細工たるを見て可笑しくなった。彼はその知れる限りの最美を尽しておらぬ。むしろ彼の最悪の行儀をなしていたのである。自分が為すべからざることと知れることを、ことさらに為していたのである。 ゆえに一言でも話頭が彼の弱点に渉ると、胸中幾分か狼狽するの風情が現れ、今まで頼もしい剛胆なる青年と思われたものが、見すぼらしい凡人に立ち返り、勇将が一時に敗兵となった観を呈した。
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自警録・序(1)とかく道徳とか仁義とかいえば、高尚遠大にして、通常人の及ばざるところ、たまたま及ぶことあれば、生涯に一度か二度あって、専門的に修むる者にあらざれば、単に茶話の料か、講義の題として聞くもののごとく思い流すの懼がある。もちろん道徳の思想は高尚、その道理は遠大であろう。しかしその効用と目的は日々の言行に現すほど、吾人の意識の中に浸み込ませるところにあると思う。古の賢人も道はここにありと教えた。なお賢人の曰うに、「言近くして旨遠きものは善言なり。守ること約にして施すこと博きものは善道なり。君子の言は帯より下らずして道存す」と。 これを思えば道すなわち道徳はその性高くしてその用低く、その来たるところ遠くして、その及ぼすところ広く、田夫野人も守り得るものであるらしい。 わが邦においては道徳に関する文字は漢語より成るもの多きがゆえに、学問なければ、道も修め得ぬ心地す。仁義礼智などとは斯道の人にあらざれば解し能わぬ倫理として、素人のあえて関せざる道理のごとくみなす風がある。これもそのはずであって、むかしは堅苦しき文字を借りて、聖人にも凡人にも共通なる考えを言い現す癖があった。これはただに儒学のみでなく、仏教においても同然で、今日もなお解き難き句あれば「珍聞漢」とか、あるいは「お経の様」なりという。また、かくのごときは独り本邦ばかりでない、西洋においても一時は解りきったことさえも、わざわざ自国の通用語を排してラテン語をもって、論説した時代もあった。薬も長きむずかしき名を付ければ効能多く聞こゆるの例によりて、ややもすると、今もこの弊に陥りやすい。
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自警録・第十七章 実業を精神化せよ・個人的利益と国家社会の利益(1)僕はこの男とかねてより親しくしている。彼が教会において年に似合わぬほどの信用を受けておるのも、知人はことごとく彼を尊敬することも、かねて承知であるが、数時間に渡って彼の人生観、なかでも貨殖に関する態度を初めて聞き知った。僕が彼の話を聞きながら、言葉がただの一度も社会のためとか、ましていわんや国家のためということに、わたらなかったことがあとで気がついた。 普通日本の実業家であれば、五万足らずの会社を設立するにも、その宣言には、己れの身を犠牲にして、社会に貢献するところあらんとするとか、あるいはこれ実に国家の事業なりとの意をほのめかす者がはなはだ多い。その多いのが必ずしも悪いとわが輩は言わぬ。己れを捨てて社会の利益を図るの望ましきことはいうまでもない。事を為すに国家観念より打算するもはなはだ嘉すべきことである。