自警録 / 第十四章 報酬以上の務め・報酬以上の務めの真義
各自の職務には分限があって、その範囲を脱するをゆるさぬ、すなわち厳格なる境界を越えてはならぬ。ことに軍事または外交に従事する人々は、たとえ大いにその手腕を揮わんとしても職権以外に出られぬ。ゆえに僕は職務以外のことに手を出せ口を出せというにあらぬ。 職務の分量に止まらずして職務の品性をよくせよというのである。十貫目の荷物を荷うものに、務めて荷物十一貫目を荷えというのでない。もっとも荷っても身体に差支えなく、またために全体に悪影響の及ぶ憂いがなければ、それも差支えあるまいけれども、なんらかの事由のために各自の重荷は十貫目を超えてはならぬ規定のある場合には、十一貫目以上を荷えとは勧めぬ。しかし十貫目を荷うに苦い顔せず、喜んで荷いたい。荷うさまを綺麗にし、あるいは荷うものの品質をよくし、ただ十貫目担げといえば、なるべく品よいものを担げというのである。 かく比喩をもってしては、あるいは意味が解らぬか知らぬが、譬を変えていえば一日に六時間学生に教授するといえば、授業時間には苦い顔せず、また叱ったり不愉快な風に教えないで、愉快にこれを教えたいのである。また同じ六時間中にも、つまらぬことを教えないで、真に生徒に有益なることを教えたいのである。出勤簿には、善いことを教うるも、つまらぬことを説いても同じ六時間、苦い顔して教えても嬉しい顔して教えても六時間、職務上には変わりはなきも、僕の職務以外の務めというはここにあるのである。 この事は決して教員に限ることでない。役所や会社においても執務時間に、机の前に腰かけるだけは誰も同様であるが、実際仕事を捌くについても、ぶつぶつ囁きながらすると、快活にやるとは仕事の分量において異いはなくとも、その品質と、同僚に及ぼす感情には雲泥の差を起こす。仕事もこうやるようになれば真に君子的になる。 「施して必ず報ある者は、天地の定理なり。仁人之を述べて以て人に勧む。施して報を望まざる者は、聖賢の盛心なり。君子之を存して以て世を済う」。
書き下し
各自の職務には分限があって、その範囲を脱するをゆるさぬ、すなわち厳格なる境界を越えてはならぬ。ことに軍事または外交に従事する人々は、たとえ大いにその手腕を揮わんとしても職権以外に出られぬ。ゆえに僕は職務以外のことに手を出せ口を出せというにあらぬ。 職務の分量に止まらずして職務の品性をよくせよというのである。十貫目の荷物を荷うものに、務めて荷物十一貫目を荷えというのでない。もっとも荷っても身体に差支えなく、またために全体に悪影響の及ぶ憂いがなければ、それも差支えあるまいけれども、なんらかの事由のために各自の重荷は十貫目を超えてはならぬ規定のある場合には、十一貫目以上を荷えとは勧めぬ。しかし十貫目を荷うに苦い顔せず、喜んで荷いたい。荷うさまを綺麗にし、あるいは荷うものの品質をよくし、ただ十貫目担げといえば、なるべく品よいものを担げというのである。 かく比喩をもってしては、あるいは意味が解らぬか知らぬが、譬を変えていえば一日に六時間学生に教授するといえば、授業時間には苦い顔せず、また叱ったり不愉快な風に教えないで、愉快にこれを教えたいのである。また同じ六時間中にも、つまらぬことを教えないで、真に生徒に有益なることを教えたいのである。出勤簿には、善いことを教うるも、つまらぬことを説いても同じ六時間、苦い顔して教えても嬉しい顔して教えても六時間、職務上には変わりはなきも、僕の職務以外の務めというはここにあるのである。 この事は決して教員に限ることでない。役所や会社においても執務時間に、机の前に腰かけるだけは誰も同様であるが、実際仕事を捌くについても、ぶつぶつ囁きながらすると、快活にやるとは仕事の分量において異いはなくとも、その品質と、同僚に及ぼす感情には雲泥の差を起こす。仕事もこうやるようになれば真に君子的になる。 「施して必ず報ある者は、天地の定理なり。仁人之を述べて以て人に勧む。施して報を望まざる者は、聖賢の盛心なり。君子之を存して以て世を済う」。
現代語訳
それぞれの職務には分限があり、その範囲を超えることは許されない。つまり、厳格な境界を越えてはならない。とくに軍事や外交に従事する人々は、たとえ大いに腕を振るおうと思っても、職権の外には出られない。だから私は、職務以外のことに手を出せ、口を出せと言っているのではない。 職務の分量にとどまらず、職務の品位をよくせよと言うのである。十貫目の荷物を担ぐ者に、努めて十一貫目を担げと言うのではない。もっとも、担いでも体に差し支えがなく、そのために全体に悪い影響が及ぶ心配がなければ、それも差し支えないだろうが、何かの事情で各人の荷は十貫目を超えてはならない規定がある場合には、十一貫目以上を担げとは勧めない。しかし、十貫目を担ぐのに苦い顔をせず、喜んで担ぎたい。担ぎ方を美しくし、あるいは担ぐものの質をよくし、ただ十貫目を担げと言われたら、できるだけ上等なものを担げ、ということである。 こうたとえても意味がわかりにくいかもしれないので、たとえを変えて言えば、一日に六時間学生に教えるというなら、授業時間には苦い顔をせず、叱ったり不愉快な様子で教えたりせず、愉快に教えたいのである。また同じ六時間のなかでも、つまらないことを教えず、本当に生徒の役に立つことを教えたいのである。出勤簿の上では、よいことを教えてもつまらないことを説いても同じ六時間、苦い顔で教えても嬉しそうな顔で教えても六時間で、職務の上では変わりがない。しかし、私の言う職務以外の務めとは、まさにここにあるのである。 このことは決して教員に限らない。役所や会社でも、執務時間に机の前に座っているのは誰も同じだが、実際に仕事をさばくにあたって、ぶつぶつ小声で不平を言いながらするのと、快活にするのとでは、仕事の分量に違いはなくても、その質と、同僚に及ぼす気持ちとに雲泥の差が生じる。仕事もこのようにするようになれば、本当に君子らしくなる。 「施して必ず報いがあるのは、天地の定まった理である。仁者はこれを述べて人に勧める。施して報いを望まないのは、聖賢の豊かな心である。君子はこれを胸に保って世を救う」。
解説

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