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自警録 / 第十四章 報酬以上の務め・報瓊の志(1)

『詩経』に、 「我に投ずるに木瓜を以てせば、之に報ゆるに瓊琚を以てせん」と。 瓊も琚も、玉の名である。人が我に贈るに、つまらぬ物をもってするなら、我は彼に与うるに貴重なる品をもってすべしとの意で、かえって出来難きことながら、この句は世を渡るに常に心得べきことである。 折々新聞に伝えられる某学者は何千円の俸給を取るが、毎日教場に臨み授業するとき、たまたま生徒が何か質問をすると、それはむずかしい、字引を引いてもちょっと分かるまい、俺が解いてやってもよいが、しかしそれは俺の月給では勿体ない問題である。俺以上の月給取りでも、きっと分からぬだろう。俺の月給が三千円となれば答えるという。 これは一場の戯談に過ぎぬが、ともかくそういう考えが何人にもある。もちろん今述べたごとく、露骨なる形式に現れなくとも、如何ほど地位ある人にも起こり得る思想である。しかし何事を為すにも報酬だけの仕事をする考えでは、つまり仕事する人の全部が仕事に入っていないで、ただその人の一部、しかも劣等なる一部なる欲が入っているのだから、出来上ったときには何らかの欠点が感ぜられる。よく世間でいうことに、「欲と二人で挊ぐ」というが、報酬のみを得る考えのものは、二人挊ぐのでなく、いわば欲のみ挊いで自分は何もせぬようなものである。

書き下し

『詩経』に、 「我に投ずるに木瓜を以てせば、之に報ゆるに瓊琚を以てせん」と。 瓊も琚も、玉の名である。人が我に贈るに、つまらぬ物をもってするなら、我は彼に与うるに貴重なる品をもってすべしとの意で、かえって出来難きことながら、この句は世を渡るに常に心得べきことである。 折々新聞に伝えられる某学者は何千円の俸給を取るが、毎日教場に臨み授業するとき、たまたま生徒が何か質問をすると、それはむずかしい、字引を引いてもちょっと分かるまい、俺が解いてやってもよいが、しかしそれは俺の月給では勿体ない問題である。俺以上の月給取りでも、きっと分からぬだろう。俺の月給が三千円となれば答えるという。 これは一場の戯談に過ぎぬが、ともかくそういう考えが何人にもある。もちろん今述べたごとく、露骨なる形式に現れなくとも、如何ほど地位ある人にも起こり得る思想である。しかし何事を為すにも報酬だけの仕事をする考えでは、つまり仕事する人の全部が仕事に入っていないで、ただその人の一部、しかも劣等なる一部なる欲が入っているのだから、出来上ったときには何らかの欠点が感ぜられる。よく世間でいうことに、「欲と二人で挊ぐ」というが、報酬のみを得る考えのものは、二人挊ぐのでなく、いわば欲のみ挊いで自分は何もせぬようなものである。

現代語訳

『詩経』に、 「私に木瓜を贈ってくれた人には、玉の瓊琚をもって報いよう」 とあります。瓊も琚も、玉の名です。人が私に、つまらない物を贈るなら、私はその人に貴重な品を与えて報いよう、という意味で、かえって実行しがたいことではありますが、この句は世を渡るうえで常に心得ておくべきことです。 時々新聞に伝えられる、ある学者は何千円の俸給を取っているが、毎日教室で授業するとき、たまたま生徒が何か質問すると、それは難しい、字引を引いてもちょっと分かるまい、私が解いてやってもよいが、しかしそれは私の月給では勿体ない問題だ。私以上の月給取りでも、きっと分からないだろう。私の月給が三千円になれば答える、と言ったそうです。 これは一場の冗談にすぎませんが、ともかくそういう考えは誰にでもあります。もちろん今述べたように、露骨な形では現れなくても、どれほど地位のある人にも起こりうる考えです。しかし何事をするにも、報酬だけの仕事をするという考えでは、つまり仕事をする人の全部が仕事に入っておらず、ただその人の一部、それも劣った一部の欲が入っているだけなので、出来上がったときには何らかの欠点が感じられます。世間でよくいう言葉に、「欲と二人で稼ぐ」とありますが、報酬だけを得ようとする者は、二人で稼ぐのではなく、いわば欲だけが稼いで、自分は何もしないようなものです。

解説

『詩経』の「木瓜を投げられたら瓊琚で報いる」を、新渡戸は世を渡る心得として引きます。贈られた以上のものを返す志です。月給が三千円になれば答えるという学者の戯談は、報酬だけの仕事をする心理をよく示しています。報酬を目当てにする働き方は、本人の全部ではなく、劣った一部の欲だけが仕事に入っているので、できあがりに欠点が出るというのが新渡戸の見立てです。現代の仕事でも、見返りの計算が先に立つと、品質や信頼が目に見えない形で損なわれます。
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この章句が説くこと

木瓜と瓊琚詩経報酬欲全人格戯談

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