自警録 / 第十三章 広く世を渡る心がけ・狭き己れの好き嫌いで世に処するは危険
僕の友人に甲という人がある、この人のもとに同じ友人の乙が行き、 「甲君、君は丙君と仲がよいか」 と聞く。甲は、 「別に仲の悪いことはない、永い間の友人だから」 といえば、乙はやや驚いた顔して、 「何のためだろう、丙はあちこちで君の悪口を言い歩くよ」 と告げたので、甲はいかにも意外に思い、しばしば会っているに丙は自分に対し別に悪意を懐かぬようだが、それでかれこれ自分を非難するのは合点がゆかぬと思うと同時に、して見ると丙は余程、二心あるもので、僕に向かってはよい顔しながら、蔭にまわると悪口する、はなはだ卑むべき人であると思って以来、丙を見てもロクに挨拶しなくなった。ところがあるとき丁より、丙はたいへん親切な男である、今これこれの人を世話しているが、まことに感心だと聞き、甲は始めて翻然として悟るところあり、ああ、やはり丙は善い人である。しかし己れを嫌っている。己れとは性質が違うから彼は僕を非難するのであろう、僕を嫌うからとて悪人とはいわれぬ。やはり丙は善い人だと考え直して以来、甲はいっそう丙を尊敬して、交わるようになったことがある。 僕は人と交わるにはこの甲のごとき心持ちをもってしたいと思う。よし甲が僕を嫌っても、好き嫌いは各自の性質に存するもので、我が甲に嫌われたとて我は悪い人でなく、またその代わり彼も僕を嫌うために彼を悪人と称することはできぬ。かく思えば世の中は広くなる。嫌いな者でも正しく見えたり、嫌な者でもかえって善く見えたり、人のなす事することが美しく見えて来る。到るところ青山ありと昔の人のいったのは、かくのごとき心の持ち方をいうのではないか。 せまき己れの好き嫌いを標準として世を渡る以上は、さなきだにせまき世の中がますますせまくなり、さなきだに憂き世の中がいっそう憂くなって、人を恨み己れを恨み、天を怨み、晴天にわざと暗雲を作りて不愉快に一生を送るようなものである。
書き下し
僕の友人に甲という人がある、この人のもとに同じ友人の乙が行き、 「甲君、君は丙君と仲がよいか」 と聞く。甲は、 「別に仲の悪いことはない、永い間の友人だから」 といえば、乙はやや驚いた顔して、 「何のためだろう、丙はあちこちで君の悪口を言い歩くよ」 と告げたので、甲はいかにも意外に思い、しばしば会っているに丙は自分に対し別に悪意を懐かぬようだが、それでかれこれ自分を非難するのは合点がゆかぬと思うと同時に、して見ると丙は余程、二心あるもので、僕に向かってはよい顔しながら、蔭にまわると悪口する、はなはだ卑むべき人であると思って以来、丙を見てもロクに挨拶しなくなった。ところがあるとき丁より、丙はたいへん親切な男である、今これこれの人を世話しているが、まことに感心だと聞き、甲は始めて翻然として悟るところあり、ああ、やはり丙は善い人である。しかし己れを嫌っている。己れとは性質が違うから彼は僕を非難するのであろう、僕を嫌うからとて悪人とはいわれぬ。やはり丙は善い人だと考え直して以来、甲はいっそう丙を尊敬して、交わるようになったことがある。 僕は人と交わるにはこの甲のごとき心持ちをもってしたいと思う。よし甲が僕を嫌っても、好き嫌いは各自の性質に存するもので、我が甲に嫌われたとて我は悪い人でなく、またその代わり彼も僕を嫌うために彼を悪人と称することはできぬ。かく思えば世の中は広くなる。嫌いな者でも正しく見えたり、嫌な者でもかえって善く見えたり、人のなす事することが美しく見えて来る。到るところ青山ありと昔の人のいったのは、かくのごとき心の持ち方をいうのではないか。 せまき己れの好き嫌いを標準として世を渡る以上は、さなきだにせまき世の中がますますせまくなり、さなきだに憂き世の中がいっそう憂くなって、人を恨み己れを恨み、天を怨み、晴天にわざと暗雲を作りて不愉快に一生を送るようなものである。
現代語訳
私の友人に甲という人がいます。この人のもとに、同じく友人の乙が来て、 「甲君、君は丙君と仲がいいか」 と聞きます。甲は、 「別に仲が悪いということはない、長い間の友人だから」 と答えると、乙は少し驚いた顔で、 「どうしてだろう、丙はあちこちで君の悪口を言って歩いているよ」 と告げたので、甲はいかにも意外に思い、しばしば会っていても、丙は自分に対して別に悪意を抱いていないようなのに、それでいてあれこれ自分を非難するのは合点がいかないと思うと同時に、そうとなると、丙はよほど二心のある者で、私には愛想よくしながら、陰では悪口を言う、はなはだ卑しい人だと思い、それ以来、丙を見てもろくにあいさつもしなくなりました。ところがあるとき、丁から、丙はたいへん親切な男で、今これこれの人の世話をしているが、まことに感心だと聞き、甲は初めて翻然として悟り、ああ、やはり丙は善い人である。しかし自分を嫌っている。自分とは性質が違うから、彼は私を非難するのだろう。私を嫌うからといって、悪人とはいえない。やはり丙は善い人だと考え直し、それ以来、甲はいっそう丙を尊敬して、交際するようになったことがあります。 私は人と交わるには、この甲のような心持ちでありたいと思います。たとえ甲が私を嫌っても、好き嫌いは各自の性質にあるもので、私が甲に嫌われたからといって、私が悪い人なのではありません。そのかわり、彼が私を嫌うからといって、彼を悪人と呼ぶこともできません。そう思えば世の中は広くなります。嫌いな者でも正しく見え、嫌な者でもかえって善く見え、人のなすことが美しく見えてきます。「到るところ青山あり」と昔の人がいったのは、こうした心の持ち方をいうのではないでしょうか。 狭い自分の好き嫌いを基準にして世を渡る以上は、ただでさえ狭い世の中がますます狭くなり、ただでさえ憂き世の中がいっそう憂くなって、人を恨み、自分を恨み、天を怨み、晴天にわざわざ暗雲をつくって不愉快に一生を送るようなものです。
解説

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『呻吟語』内篇・倫理・其の要を得るは尊長の自ら脩むるに在り一家の中、尊長を看得て尊ければ、則ち家治まる。若し尊長を看得て尊からずんば、如何ぞ他を齊へん。其の要を得るは尊長の自ら脩むるに在り。
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『後世への最大遺物』第二回・カーライルの四十冊より生涯クロムウェルがアングロサクソン民族の王国を造ったことは大事業でありますけれども、クロムウェルがあの時代に立って自分の独立思想を実行し、神によってあの勇壮なる生涯を送ったという、あのクロムウェル彼自身の生涯というものは、これはクロムウェルの事業に十倍も百倍もする、社会にとっての遺物ではないかと考えます。私は元来トーマス・カーライルの本を非常に敬読する者であります。それである人にはそれがために嫌われますけれども、私はカーライルという人については全体非常に尊敬を表しております。たびたびあの人の本を読んで利益を得、またそれによって刺激をも受けたことでございます。けれども、私はトーマス・カーライルの書いた四十冊ばかりの本をみな寄せてみて、カーライル彼自身の生涯に較べたときには、カーライルの書いたものは実に価値の少いものであると思います。
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『後世への最大遺物』第一回・リビングストンを大事業家と見る事業のことを考えますときに、私はいつでも有名のデビッド・リビングストンのことを思い出さないことはない。それで諸君のうち英語のできるお方に、私はスコットランドの教授ブレーキの書いた『リビングストンの生涯と書簡』という本を読んでごらんなさることを勧めます。私一個人にとっては、聖書のほかに、私の生涯に大刺激を与えた本は二つあります。一つはカーライルの『クロムウェル伝』であります。そのことについては私は後にお話をいたします。それからその次に、このブレーキ氏の書いた『デビッド・リビングストン』という本です。それでデビッド・リビングストンの一生涯はどういうものであったかというと、私は彼を宗教家あるいは宣教師と見るよりは、むしろ大事業家として尊敬せざるをえません。
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『論語と算盤』実業と士道・相愛忠恕の道を以て交はるべし余が史籍を通じて尊敬している支那は、主として唐虞三代より後きも殷周時代であって、当時は支那の文化最も発達し、光彩陸離たる時代である。ただし科学的智識に至りては、当時の史籍に掲げられたる天文の記事のごとき、今日の学理に合せずと言わるれども、百事を現在の支那に比較して、今日の昔時に及ばざる感あるは当然のことである。その後、西東漢、六朝、唐、五代、宋、元、明、清に及び、いわゆる二十一史にて通覧せる所によるも、各朝に大人物の輩出せるは言わずもがな、秦に万里の長城あり、隋に煬帝の大運河あり、当時これらの大事業の目的が那辺に存せしかはしばらく措き、その規模の宏大なる、到底今日の企て及ぶ所ではない。
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自警録・第三章 強き人・独り相撲で強い人つまらぬことではあるが、今もなおわが輩の記憶に残れることがある。十余年以前であった。あるところに宴会が開かれ、当時議会で羽ぶりのよい有名な某政治家が招待せられ、わが輩もその末席についたことがある。酒数行、主客ともに興酣となり、談論に花が咲き、元気とか勝気とかいさましい議論の風発せるあいだに、わが輩は退席せんとして玄関に出た。某政治家も爛酔して前後もわきまえず女中の助けをかりて蹣跚として玄関に来たが、自分の強さ加減を証拠だてるため、女中が冠らせた帽子を、戦く手より奪いとり、玄関の柱に叩きつけ、意気揚々として車で帰ったことがある。この時までわが輩はおおいにこの政治家の人物を尊敬したが、このいわゆる強さを見て、 「ハハア、かねて聞き及べる某の硬骨とはこのへんが程度かな。この人は古シャッポを相手に克つ人だナア」 と思い、爾来大いに尊敬の念を失ったことがある。この前にもその後にも、他人についてこれに類した事実をしばしば目撃したが、こういうことが果たして強い証拠であろうかと思うと、何となく人を動物視したくなって来る。 またこれに類する話であるが、われわれがしばしば出会わすことは自分の勝った手柄自慢話である。俺はこういったら先方は一言もなかったとか、向うを大いにへこましたとか、最もしばしば耳にする語はこうこういってやったなどと、語る人の言によれば、いかにも先方は恐れ入ったように聞こゆるけれども、さて先方に質してみると、一向やられたともなんとも歯牙にかけないでおることがある。これらは独り相撲で力んでおる人である。