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自警録 / 第十三章 広く世を渡る心がけ・反対説にも耳を傾ける度量を養え

衣服とか外形上のことならば、単に非難する人の心を不愉快ならしめ、非難される人の心を不愉快にするだけにてすむが、学術あるいは政治上の説が違う場合のごときは、自分の気に入りたる説なれば、大いに怪しい点があってもこれを是とし、自分が承引しかねる場合にはまったくこれを異論なるかのごとく咎むるは、その害の及ぼすところ広くかつ大きい。 願わくは説が違ったときは、はてな、己れの考えとは違うが、一たびはその意見を聞こう、正邪の判断を下す前に一応は取調べもし、耳を傾けもするだけの度量が欲しい。少しく自分の説と異なればただちに曲学阿世だとか、俗論だとか売国的説だとか異端だとか議論はそっちのけにして、論者の動機やら人格までをかれこれ言うようなことは、度量の狭きを示すと同時に、進歩する余地なきことを自白するのである。 前にもいった通り、説は成るたけ違うのが面白い。今日まで学問の進歩は種々の異なった説から、互いに討議し批評して得た結果にほかならぬ。昔は異説あると宗教の教えに背くとかあるいは国家に危険なりとして圧迫を加えた。その時代は人知の最も進まぬときである。ちょっと聞いて自分の心にはなはだ嫌に思う説でも、一応は聞くだけの度量を養うことを力めたい。さらに力めたきことは自分の嫌いと思う人の説なり行動なりを、冷静に客観的に考える心を養いたい。 昔より私なしという言葉は公平なる態度を現すに用いられるが、無私というは狭い量見のない、己ればかりが正しいのでない、また己れの利益のためでないという意味である。たとえば孔子が『春秋』を書くに私心をはさまなかったとは、『春秋』に出る人物を批評するに好きだから褒める、癪にさわるから悪く書くというのでなく、好悪は論外として、自分と性質は違うとも、正しい者は正しいと公平な判断を下したからである。

書き下し

衣服とか外形上のことならば、単に非難する人の心を不愉快ならしめ、非難される人の心を不愉快にするだけにてすむが、学術あるいは政治上の説が違う場合のごときは、自分の気に入りたる説なれば、大いに怪しい点があってもこれを是とし、自分が承引しかねる場合にはまったくこれを異論なるかのごとく咎むるは、その害の及ぼすところ広くかつ大きい。 願わくは説が違ったときは、はてな、己れの考えとは違うが、一たびはその意見を聞こう、正邪の判断を下す前に一応は取調べもし、耳を傾けもするだけの度量が欲しい。少しく自分の説と異なればただちに曲学阿世だとか、俗論だとか売国的説だとか異端だとか議論はそっちのけにして、論者の動機やら人格までをかれこれ言うようなことは、度量の狭きを示すと同時に、進歩する余地なきことを自白するのである。 前にもいった通り、説は成るたけ違うのが面白い。今日まで学問の進歩は種々の異なった説から、互いに討議し批評して得た結果にほかならぬ。昔は異説あると宗教の教えに背くとかあるいは国家に危険なりとして圧迫を加えた。その時代は人知の最も進まぬときである。ちょっと聞いて自分の心にはなはだ嫌に思う説でも、一応は聞くだけの度量を養うことを力めたい。さらに力めたきことは自分の嫌いと思う人の説なり行動なりを、冷静に客観的に考える心を養いたい。 昔より私なしという言葉は公平なる態度を現すに用いられるが、無私というは狭い量見のない、己ればかりが正しいのでない、また己れの利益のためでないという意味である。たとえば孔子が『春秋』を書くに私心をはさまなかったとは、『春秋』に出る人物を批評するに好きだから褒める、癪にさわるから悪く書くというのでなく、好悪は論外として、自分と性質は違うとも、正しい者は正しいと公平な判断を下したからである。

現代語訳

衣服や外形上のことなら、非難する人の心を不愉快にし、非難される人の心を不愉快にするだけで済みます。しかし、学術や政治上の説が違う場合などで、自分の気に入った説ならば大いに怪しい点があっても是とし、自分が承服しかねる場合にはまったく異論であるかのようにとがめるのは、その害の及ぶところが広く、また大きいのです。 願わくは、説が違ったときには、はてな、自分の考えとは違うが、一度はその意見を聞いてみよう、正邪の判断を下す前に、一応は調べもし、耳を傾けもするだけの度量が欲しいものです。少しでも自分の説と異なれば、すぐに曲学阿世だとか、俗論だとか、売国的な説だとか、異端だとか、議論はそっちのけにして、論者の動機や人格までをあれこれ言うようなことは、度量の狭さを示すと同時に、進歩する余地のないことを自白するものです。 前にも言ったとおり、説はなるべく違うほうがおもしろい。今日までの学問の進歩は、さまざまに異なった説から、互いに討議し批評して得た結果にほかなりません。昔は、異説があると、宗教の教えに背くとか、国家に危険だとして圧迫を加えました。その時代は、人の知恵が最も進んでいないときです。ちょっと聞いて、自分の心にはなはだ嫌に思う説であっても、一応は聞くだけの度量を養うよう努めたいものです。さらに努めたいのは、自分が嫌いと思う人の説や行動を、冷静に客観的に考える心を養うことです。 昔から「私なし」という言葉は、公平な態度を表すのに用いられますが、無私というのは、狭い料簡がなく、自分ばかりが正しいのでなく、また自分の利益のためでもない、という意味です。たとえば、孔子が『春秋』を書くのに私心をはさまなかったというのは、『春秋』に出てくる人物を批評するのに、好きだから褒める、癪にさわるから悪く書く、というのではなく、好悪は問題にせず、自分と性質は違っても、正しい者は正しいと公平な判断を下したからです。

解説

好き嫌いが衣服の批評にとどまるうちは害は小さいが、学術や政治の説に及べば、害は広く大きい、と新渡戸は言います。異説に出会ったら、曲学阿世や売国と罵って議論を捨てず、まず耳を傾ける度量を持て。学問の進歩は異説の討議の産物であり、異説を圧迫した時代は知恵の進まぬ時代だったと言います。孔子の『春秋』を例に、無私とは好悪を超えて正しいものを正しいとすることだと説きます。現代の会議でも、発言者の動機を詮索するより、中身を吟味する姿勢が求められます。
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人生を、一行の式にしてみた。

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この章句が説くこと

異説度量曲学阿世討議無私春秋

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