後世への最大遺物 / 第一回・リビングストンを大事業家と見る
事業のことを考えますときに、私はいつでも有名のデビッド・リビングストンのことを思い出さないことはない。それで諸君のうち英語のできるお方に私はスコットランドの教授ブレーキの書いた“Life and Letters of David Livingstone”という本を読んでごらんなさることを勧めます。私一個人にとっては聖書のほかに、私の生涯に大刺激を与えた本は二つあります。一つはカーライルの『クロムウェル伝』であります。そのことについては私は後にお話をいたします。それからその次にこのブレーキ氏の書いた『デビッド・リビングストン』という本です。それでデビッド・リビングストンの一生涯はどういうものであったかというと、私は彼を宗教家あるいは宣教師と見るよりは、むしろ大事業家として尊敬せざるをえません。
書き下し
事業のことを考えますときに、私はいつでも有名のデビッド・リビングストンのことを思い出さないことはない。それで諸君のうち英語のできるお方に、私はスコットランドの教授ブレーキの書いた『リビングストンの生涯と書簡』という本を読んでごらんなさることを勧めます。私一個人にとっては、聖書のほかに、私の生涯に大刺激を与えた本は二つあります。一つはカーライルの『クロムウェル伝』であります。そのことについては私は後にお話をいたします。それからその次に、このブレーキ氏の書いた『デビッド・リビングストン』という本です。それでデビッド・リビングストンの一生涯はどういうものであったかというと、私は彼を宗教家あるいは宣教師と見るよりは、むしろ大事業家として尊敬せざるをえません。
現代語訳
事業のことを考えるとき、私はいつも有名なデビッド・リビングストンを思い出さずにいられません。ですから皆さんのうち英語のできる方に、スコットランドの教授ブレーキが書いた『リビングストンの生涯と書簡』という本を読んでみることをお勧めします。私個人にとって、聖書のほかに生涯へ大きな刺激を与えた本は二つあります。一つはカーライルの『クロムウェル伝』です。これについては後でお話しします。もう一つが、このブレーキ氏の書いた『デビッド・リビングストン』です。デビッド・リビングストンの一生涯はどういうものだったかというと、私は彼を宗教家あるいは宣教師と見るより、むしろ大事業家として尊敬せざるを得ません。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『後世への最大遺物』第二回・カーライルの四十冊より生涯クロムウェルがアングロサクソン民族の王国を造ったことは大事業でありますけれども、クロムウェルがあの時代に立って自分の独立思想を実行し、神によってあの勇壮なる生涯を送ったという、あのクロムウェル彼自身の生涯というものは、これはクロムウェルの事業に十倍も百倍もする、社会にとっての遺物ではないかと考えます。私は元来トーマス・カーライルの本を非常に敬読する者であります。それである人にはそれがために嫌われますけれども、私はカーライルという人については全体非常に尊敬を表しております。たびたびあの人の本を読んで利益を得、またそれによって刺激をも受けたことでございます。けれども、私はトーマス・カーライルの書いた四十冊ばかりの本をみな寄せてみて、カーライル彼自身の生涯に較べたときには、カーライルの書いたものは実に価値の少いものであると思います。
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『後世への最大遺物』第二回・来世の人に大いに望む私は山陽のほかのことは知りませぬ。かの人の私行については二つ三つ不同意なところがあります。彼の国体論や兵制論については不同意であります。しかしながら彼山陽の一つの野心、すなわち「われは今世に望むところはないけれども、来世の人に大いに望むところがある」といった彼の欲望は、私が実に彼を尊敬してやまざるところであります。すなわち山陽は『日本外史』を遺物として死んでしまって、骨は洛陽東山に葬ってありますけれども、『日本外史』から新日本国は生まれてきました。
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『茶の本』第六章 花・一枝一条もみだりに切らないわが茶や花の宗匠のやり口を知っている人はだれでも、彼らが宗教的の尊敬をもって花を見る事に気がついたに違いない。彼らは一枝一条もみだりに切り取る事をしないで、おのが心に描く美的配合を目的に注意深く選択する。彼らは、もし絶対に必要の度を越えて万一切り取るようなことがあると、これを恥とした。これに関連して言ってもよろしいと思われる事は、彼らはいつも、多少でも葉があればこれを花に添えておくという事である。というのは、彼らの目的は花の生活の全美を表わすにあるから。この点については、その他の多くの点におけると同様、彼らの方法は西洋諸国に行なわれるものとは異なっている。かの国では、花梗のみ、いわば胴のない頭だけが乱雑に花瓶にさしこんであるのをよく見受ける。
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『武士道』第十四章 婦人の教育と地位・母なるの故を以て跪くこれ即ち彼等がマトローナたり、母たりしが故に非ずや。戦士たり、立法家たるが故に非ず、ただ其母なるの故を以て、羅馬人は其前に跪きたり。吾人も亦た然り。父夫の家門を去つて戦場に臨み、列伍に在るや、斉家保育の務は挙げて母妻の掌中に帰し、幼者の教育はもとより、彼等を衛護するの任も亦た全く婦人に存したり。彼の女子の武芸の如きも、要するに其児子を教育して過無きを得んことを旨としたるものなり。一知半解の外人往々膚浅の観察を下し、日本人の概ね其妻を称するに『愛妻』『愚妻』等の語を以てするは、即ち女子を軽侮し、毫も之を尊重すること無きを証するものなりと云ふあり。ただ此輩に告げて曰へ、吾人は又た常に『愚父』『豚児』『拙者』等の語を用ふと。他また何ぞ弁を加ふることを須ひんや。
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論語・学而篇有子曰く、「信義に近ければ、言復む可きなり。恭礼に近ければ、恥辱に遠ざかるなり。因りて其の親を失わざれば、亦宗とす可きなり。」
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『新序』雜事第四孟嘗君白圭に問いて曰く、魏の文侯は名桓公に過ぐるも、功五伯に及ばざるは、何ぞや、と。白圭對えて曰く、魏の文侯は子夏を師とし、田子方を友とし、段干木を敬す。此れ名の桓公に過ぐる所以なり。相を卜すれば則ち曰く、成と黄と孰れか可なる、と。此れ功の五伯に及ばざる所以なり。私愛を以て公舉を妨ぐ。職に在る者其の事に堪えず。故に功廢る。然り而して名號の顯榮なるは、三士之を翊くればなり。如し三士を相とせば、則ち王功成らん。豈に特だ霸のみならんや、と。