自警録 / 第三章 強き人・独り相撲で強い人
つまらぬことではあるが、今もなおわが輩の記憶に残れることがある。十余年以前であった。あるところに宴会が開かれ、当時議会で羽ぶりのよい有名な某政治家が招待せられ、わが輩もその末席についたことがある。酒数行、主客ともに興酣となり、談論に花が咲き、元気とか勝気とかいさましい議論の風発せるあいだに、わが輩は退席せんとして玄関に出た。某政治家も爛酔して前後もわきまえず女中の助けをかりて蹣跚として玄関に来たが、自分の強さ加減を証拠だてるため、女中が冠らせた帽子を、戦く手より奪いとり、玄関の柱に叩きつけ、意気揚々として車で帰ったことがある。この時までわが輩はおおいにこの政治家の人物を尊敬したが、このいわゆる強さを見て、 「ハハア、かねて聞き及べる某の硬骨とはこのへんが程度かな。この人は古シャッポを相手に克つ人だナア」 と思い、爾来大いに尊敬の念を失ったことがある。この前にもその後にも、他人についてこれに類した事実をしばしば目撃したが、こういうことが果たして強い証拠であろうかと思うと、何となく人を動物視したくなって来る。 またこれに類する話であるが、われわれがしばしば出会わすことは自分の勝った手柄自慢話である。俺はこういったら先方は一言もなかったとか、向うを大いにへこましたとか、最もしばしば耳にする語はこうこういってやったなどと、語る人の言によれば、いかにも先方は恐れ入ったように聞こゆるけれども、さて先方に質してみると、一向やられたともなんとも歯牙にかけないでおることがある。これらは独り相撲で力んでおる人である。
書き下し
つまらぬことではあるが、今もなおわが輩の記憶に残れることがある。十余年以前であった。あるところに宴会が開かれ、当時議会で羽ぶりのよい有名な某政治家が招待せられ、わが輩もその末席についたことがある。酒数行、主客ともに興酣となり、談論に花が咲き、元気とか勝気とかいさましい議論の風発せるあいだに、わが輩は退席せんとして玄関に出た。某政治家も爛酔して前後もわきまえず女中の助けをかりて蹣跚として玄関に来たが、自分の強さ加減を証拠だてるため、女中が冠らせた帽子を、戦く手より奪いとり、玄関の柱に叩きつけ、意気揚々として車で帰ったことがある。この時までわが輩はおおいにこの政治家の人物を尊敬したが、このいわゆる強さを見て、 「ハハア、かねて聞き及べる某の硬骨とはこのへんが程度かな。この人は古シャッポを相手に克つ人だナア」 と思い、爾来大いに尊敬の念を失ったことがある。この前にもその後にも、他人についてこれに類した事実をしばしば目撃したが、こういうことが果たして強い証拠であろうかと思うと、何となく人を動物視したくなって来る。 またこれに類する話であるが、われわれがしばしば出会わすことは自分の勝った手柄自慢話である。俺はこういったら先方は一言もなかったとか、向うを大いにへこましたとか、最もしばしば耳にする語はこうこういってやったなどと、語る人の言によれば、いかにも先方は恐れ入ったように聞こゆるけれども、さて先方に質してみると、一向やられたともなんとも歯牙にかけないでおることがある。これらは独り相撲で力んでおる人である。
現代語訳
つまらないことですが、今も私の記憶に残っていることがあります。十余年前のことでした。ある場所で宴会が開かれ、当時議会で羽振りのよい有名な某政治家が招待され、私もその末席につらなったことがあります。酒が数巡し、主客ともに興が乗り、談論に花が咲き、元気とか勝ち気とか、勇ましい議論が盛んに飛び交うなかで、私は退席しようとして玄関に出ました。その某政治家も酔いつぶれて前後もわきまえず、女中の助けを借りてよろよろと玄関に来ましたが、自分の強さ加減を証明するため、女中がかぶらせた帽子を、震える手からひったくり、玄関の柱にたたきつけ、意気揚々と車で帰りました。それまで私は、この政治家の人物を大いに尊敬していましたが、このいわゆる強さを見て、 「ははあ、かねて聞いている某の硬骨とは、このあたりが程度かな。この人は古帽子を相手に克つ人だなあ」 と思い、それ以来、大いに尊敬の念を失いました。この前にもその後にも、他人についてこれに類した事実をしばしば目撃しましたが、こういうことがはたして強い証拠であろうかと思うと、なんとなく人を動物視したくなってきます。 またこれに類する話ですが、私たちがしばしば出くわすのは、自分が勝った手柄自慢話です。俺はこう言ったら相手は一言もなかったとか、向こうを大いにへこましたとか、最もよく耳にするのは「こうこう言ってやった」などという語り口で、語る人の言によれば、いかにも相手は恐れ入ったように聞こえますが、さて相手に尋ねてみると、一向にやられたとも何とも歯牙にもかけていないことがあります。こういうのは、ひとり相撲で力んでいる人です。
解説

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