自警録 / 第十一章 人生の決勝点・負けた時の用心
昔の、経験ある武士の言葉に、 「勝つ事ばかり知りて負くる事を知らざれば、害その身にいたる」 とある。戦いに臨む者は勝利を期待することは当然であるが、万一期待に背く事あるときはかくかくすると予め覚悟なくてはならぬ。連戦連勝は、いかなる国の歴史、いかなる勇将の伝記においても、永続した戦役にはあり得ない。そのこれあるは勝敗の早く決する戦争にのみあるのである。孫子も、 「兵に常勢なきことは、水に常の形なきが如し」 と繰り返し教えている。しかして人生の戦争においては、太く短く世を渡るを望む者あるも、望み通りになるやならぬや誰も保証出来ぬ。みずから手を下して自己の生命を短うするにあらざる以上、人はいつまで生きるものか予想し難い。何人も生命の長きを望む。しかしてこの望みの存する限り、人生の奮闘もまた連戦連勝を望むことは出来ぬ。ゆえにはなはだ縁起の悪いことながら、人間は予め負けた時の考えを用意して置かねばならぬ。この考えある者は勝った時はなお慎みて油断なく、負けた時にもみすぼらしい風情に陥らぬ。
書き下し
昔の、経験ある武士の言葉に、 「勝つ事ばかり知りて負くる事を知らざれば、害その身にいたる」 とある。戦いに臨む者は勝利を期待することは当然であるが、万一期待に背く事あるときはかくかくすると予め覚悟なくてはならぬ。連戦連勝は、いかなる国の歴史、いかなる勇将の伝記においても、永続した戦役にはあり得ない。そのこれあるは勝敗の早く決する戦争にのみあるのである。孫子も、 「兵に常勢なきことは、水に常の形なきが如し」 と繰り返し教えている。しかして人生の戦争においては、太く短く世を渡るを望む者あるも、望み通りになるやならぬや誰も保証出来ぬ。みずから手を下して自己の生命を短うするにあらざる以上、人はいつまで生きるものか予想し難い。何人も生命の長きを望む。しかしてこの望みの存する限り、人生の奮闘もまた連戦連勝を望むことは出来ぬ。ゆえにはなはだ縁起の悪いことながら、人間は予め負けた時の考えを用意して置かねばならぬ。この考えある者は勝った時はなお慎みて油断なく、負けた時にもみすぼらしい風情に陥らぬ。
現代語訳
昔の、経験ある武士の言葉に、 「勝つことばかり知って負けることを知らなければ、害がその身に及ぶ」 とあります。戦いに臨む者が勝利を期待するのは当然ですが、万一期待に背くことがあれば、これこれにすると、あらかじめ覚悟がなくてはなりません。連戦連勝は、どの国の歴史、どの勇将の伝記を見ても、長く続いた戦役にはあり得ません。それがあり得るのは、勝敗が早く決する戦争だけです。孫子も、 「軍の勢いに決まった形はない。水に決まった形がないのと同じである」 と繰り返し教えています。そして人生の戦いにおいては、太く短く世を渡りたいと望む人がいても、望みどおりになるかどうか、誰も保証できません。自分から手を下して命を縮めるのでない限り、人がいつまで生きるものか、予想しがたいのです。誰もが長い命を望みます。そしてこの望みがある限り、人生の奮闘もまた、連戦連勝を望むことはできません。ですから、たいへん縁起の悪いことですが、人間はあらかじめ負けたときの考えを用意しておかなければなりません。この考えのある者は、勝ったときもなお慎んで油断せず、負けたときにもみすぼらしい姿に陥りません。
解説

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孫子・作戦篇夫れ兵久しくして国の利ある者は未だこれ有らざるなり。
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孫子・作戦篇力屈き財殫き、中原内は家に虚し。百姓の費、十に其の七を去り、公家の費、破車罷馬、甲冑矢弩、戟楯蔽櫓、丘牛大車、十に其の六を去る。
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『塩鉄論』備胡篇賢良曰く、古者、君子は仁を立て義を修め、以て其の民を綏んず、故に邇き者は善に習い、遠き者は之に順う。是を以て孔子は魯に仕え、前に仕うること三月にして齊と平ぎ、後に仕うること三月にして鄭と平ぐ、務めて德を以て近きを安んじて遠きを綏んぜり。此の時に當たりて、魯に敵國の難、鄰境の患い無し。強臣は節を變じて忠順なり、故に季桓は其の都城を隳てり。大國は義を畏れて好を合わす、齊人は來たりて鄆・讙・龜陰の田を歸せり。故に政を為して德を以てすれば、獨り害を辟け沖を折くのみに非ず、欲する所は求めずして自ずから得。今、百姓の囂囂として、中外寧からざる所以の者は、咎は匈奴に在り。內に室宇の守り無く、外に田疇の積み無く、美草甘水に隨いて驅牧す、匈奴は業を變ぜずして、中國は以て騷動す。風のごとく合いて雲のごとく解く、之に就けば則ち亡げ、之を擊てば則ち散ず、未だ一世にして舉ぐべからざるなり。
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『塩鉄論』備胡篇賢良曰く、匈奴の地は廣大にして、戎馬の足は輕利なり、其の勢い騷動し易きなり。利あれば則ち虎のごとく曳き、病めば則ち鳥のごとく折る、鋒銳を辟けて罷極を取る。少なく發すれば則ち以て適を更うるに足らず、多く發すれば則ち民其の役に堪えず。役煩わしければ則ち力罷れ、用多ければ則ち財乏し。二者息まざれば、則ち民怨みを遺す。此れ秦の民心を失い、社稷を隕とせし所以なり。古者、天子の封畿は千里、繇役は五百里、勝聲相い聞こえ、疾病相い恤む。時に過ぐるの師無く、時を踰ゆるの役無し。內は民心に節し、而して事は其の力に適う。是を以て行く者は務めに勸み、止まる者は業に安んず。今、山東の戎馬甲士の邊郡に戍る者は、絕殊遼遠にして、身は胡・越に在りて、心は老母を懷う。老母は涕を垂れ、室婦は悲恨し、其の饑渴を推し、其の寒苦を念う。詩に云う、『昔我往きしとき、楊柳依依たり。今我來たり思えば、雨雪霏霏たり。道を行くこと遲遲、載ち渴し載ち饑う。我が心傷み悲しむも、之を我に哀しむ莫し』と。故に聖人は其の此くの如きを憐れみ、其の久しく父母妻子を去り、中野に暴露し、寒苦の地に居るを閔れむ。故に春に使者をして勞賜せしめ、職を失う者を舉ぐ、遠民を哀しみて老母を慰撫する所以なり。德惠甚だ厚し、而るに吏は未だ職を奉じ詔を承けて以て存恤するに稱わず、或いは士卒を侵侮し、之を興して市を為し、力を並せ作を兼ね、之を使うに理を以てせず。故に士卒は職を失いて、老母妻子は感恨するなり。宋の伯姬愁思して宋國に火あり、魯の妾意を得ずして魯の寢に災あり。今、天下の其の意を得ざる者は、獨り西宮の女のみに非ず、宋の老母なり。春秋は眾を動かせば則ち書す、民を重んずればなり。宋人の長葛を圍むは、久役を譏るなり。君子の心を用うること必ず是くの若し。/大夫默然として對えず。
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『春秋左氏伝』哀公十一年 艾陵の戦い吳は髮短し」と。東郭書曰く、「三たび戰へば必ず死す。此に於て三たびなり」と。弦多に問はしむるに琴を以てして曰く、「吾復た子を見ざらん」と。陳書曰く、「此の行や、吾鼓を聞くのみ、金を聞かず」と。甲戌、艾陵に戰ふ。展如高子を敗り、國子胥門巢を敗る。王卒之を助け、大いに齊の師を敗り、國書・公孫夏・閭丘明・陳書・東郭書、革車八百乘、甲首三千を獲て、以て公に獻ず。將に戰はんとするとき、吳子叔孫を呼びて曰く、「而(なんぢ)の事は何ぞや」と。對へて曰く、「司馬に從ふ」と。王之に甲・劍・鈹を賜ひて曰く、「爾の君の事を奉じ、敬みて命を廢すること無かれ」と。叔孫未だ對ふる能はず。衛賜進みて曰く、「州仇甲を奉じて君に從ひて拜す」と。公大史固をして國子の元を歸さしむ。之を新篋に寘き、之に褽(し)くに玄纁を以てし、組帶を加へ、書を其の上に寘きて曰く、「天若し衷ならざるを識らずんば、何を以て下國を使はんや」と。吳將に齊を伐たんとす。
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