塩鉄論 / 備胡篇
賢良曰:「古者、君子立仁修義、以綏其民、故邇者習善、遠者順之。是以孔子仕於魯、前仕三月及齊平、後仕三月及鄭平、務以德安近而綏遠。當此之時、魯無敵國之難、鄰境之患。強臣變節而忠順、故季桓隳其都城。大國畏義而合好、齊人來歸鄆、讙、龜陰之田。故為政而以德、非獨辟害折沖也、所欲不求而自得。今百姓所以囂囂、中外不寧者、咎在匈奴。內無室宇之守、外無田疇之積、隨美草甘水而驅牧、匈奴不變業、而中國以騷動矣。風合而雲解、就之則亡、擊之則散、未可一世而舉也。」
新字:賢良曰:「古者、君子立仁修義、以綏其民、故邇者習善、遠者順之。是以孔子仕於魯、前仕三月及斉平、後仕三月及鄭平、務以徳安近而綏遠。当此之時、魯無敵国之難、鄰境之患。強臣変節而忠順、故季桓隳其都城。大国畏義而合好、斉人来帰鄆、讙、亀陰之田。故為政而以徳、非独辟害折沖也、所欲不求而自得。今百姓所以囂囂、中外不寧者、咎在匈奴。内無室宇之守、外無田疇之積、随美草甘水而駆牧、匈奴不変業、而中国以騷動矣。風合而雲解、就之則亡、擊之則散、未可一世而舉也。」
書き下し
賢良曰く、古者、君子は仁を立て義を修め、以て其の民を綏んず、故に邇き者は善に習い、遠き者は之に順う。是を以て孔子は魯に仕え、前に仕うること三月にして齊と平ぎ、後に仕うること三月にして鄭と平ぐ、務めて德を以て近きを安んじて遠きを綏んぜり。此の時に當たりて、魯に敵國の難、鄰境の患い無し。強臣は節を變じて忠順なり、故に季桓は其の都城を隳てり。大國は義を畏れて好を合わす、齊人は來たりて鄆・讙・龜陰の田を歸せり。故に政を為して德を以てすれば、獨り害を辟け沖を折くのみに非ず、欲する所は求めずして自ずから得。今、百姓の囂囂として、中外寧からざる所以の者は、咎は匈奴に在り。內に室宇の守り無く、外に田疇の積み無く、美草甘水に隨いて驅牧す、匈奴は業を變ぜずして、中國は以て騷動す。風のごとく合いて雲のごとく解く、之に就けば則ち亡げ、之を擊てば則ち散ず、未だ一世にして舉ぐべからざるなり。
現代語訳
賢良が言った。「昔、君子は仁を立て義を修めて民を安んじました。だから近くの者は善に習い、遠くの者はそれに従った。孔子が魯に仕えたときも、仕えて三月で斉と和睦し、後に仕えて三月で鄭と和睦しました。徳によって近くを安んじ、遠くを和らげることに努めたのです。このとき魯には、敵国の難も、隣国との紛争もありませんでした。強い家臣は態度を変えて忠実に従い、季桓子はみずから都城を壊した。大国は義を畏れて友好を結び、斉の人は鄆・讙・亀陰の田を返しに来ました。だから徳によって政治を行えば、害を避け敵の攻撃をくじくだけでなく、望むものは求めなくても自然に手に入るのです。いま民が騒ぎ、内外が安らかでない原因は匈奴にあるとされます。しかし匈奴は内に守るべき家屋もなく、外に蓄えるべき田畑もない。良い草と甘い水を追って家畜を移すだけで、匈奴自身は暮らしを変えていないのに、中国のほうが騒ぎ立てている。風のように集まり、雲のように散る。近づけば逃げ、討てば散る。ひと世代で片づけられる相手ではありません」
解説
この章句が説くこと
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