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自警録 / 第十章 人生の成敗・輿論を標準として成敗は測られぬ

リー将軍の治績を顧みても、これに変わったことはない。彼に私淑する者は、彼の寡をもって北方の衆に敵し得たとか、南軍の貧をもって北軍の富に当たった、某戦場においては某将軍を破った、某月某日には某所において漲る流れを冒して川越えをなしたとか、その他かくのごとき逸事がある、かくのごとき軍功があると、言を極めて彼の徳と彼の力を称揚する。これらの賛辞が将軍の耳に入ったときは、十里歩いてほめられる僕の感とさらに変わった事はなかったろう。 またこれに反しなにゆえに彼が某戦場において、某将軍を某地に向けなかったか、なにゆえに某月某日に、北方軍を某地において衝かなかったか、なにゆえに彼は某所の包囲の時に、かくかくの作戦をしなかったかと、岡目八目や、あとから出る下司知恵を振りまわして、彼を非難する声がさかんになった時は、彼の心に起こった考えは、恐らく僕が十里以上の遠足をしなかったと非難されると同じことであったろう。 世を渡るにはまったく輿論を無視するわけにはいかぬけれども、世人の考えをのみ標準として成敗を測ることは、はなはだはかなき業である。勝つも敗くるも、失敗するも成功するも、その基は各自の心のうちに置いてこそ、真の成敗の味わいが分かるものである。成敗を慮るには立脚の地歩によりてどうとも考え得らるる場合が多い。これはしまったと思うことも静かに見つめ、自己の心に顧みて悪意なきを悟れば、いわゆる失敗は恥ずかしくもなければ、痛くもないことがしばしばある。自己の心の据えどころこそ成敗を測る尺度であって、この尺度が曲がらぬ以上は、いかなる失敗に遭遇しても心に憂うることがない、これ霊丹一粒、鉄を点じて金と成すものか。

書き下し

リー将軍の治績を顧みても、これに変わったことはない。彼に私淑する者は、彼の寡をもって北方の衆に敵し得たとか、南軍の貧をもって北軍の富に当たった、某戦場においては某将軍を破った、某月某日には某所において漲る流れを冒して川越えをなしたとか、その他かくのごとき逸事がある、かくのごとき軍功があると、言を極めて彼の徳と彼の力を称揚する。これらの賛辞が将軍の耳に入ったときは、十里歩いてほめられる僕の感とさらに変わった事はなかったろう。 またこれに反しなにゆえに彼が某戦場において、某将軍を某地に向けなかったか、なにゆえに某月某日に、北方軍を某地において衝かなかったか、なにゆえに彼は某所の包囲の時に、かくかくの作戦をしなかったかと、岡目八目や、あとから出る下司知恵を振りまわして、彼を非難する声がさかんになった時は、彼の心に起こった考えは、恐らく僕が十里以上の遠足をしなかったと非難されると同じことであったろう。 世を渡るにはまったく輿論を無視するわけにはいかぬけれども、世人の考えをのみ標準として成敗を測ることは、はなはだはかなき業である。勝つも敗くるも、失敗するも成功するも、その基は各自の心のうちに置いてこそ、真の成敗の味わいが分かるものである。成敗を慮るには立脚の地歩によりてどうとも考え得らるる場合が多い。これはしまったと思うことも静かに見つめ、自己の心に顧みて悪意なきを悟れば、いわゆる失敗は恥ずかしくもなければ、痛くもないことがしばしばある。自己の心の据えどころこそ成敗を測る尺度であって、この尺度が曲がらぬ以上は、いかなる失敗に遭遇しても心に憂うることがない、これ霊丹一粒、鉄を点じて金と成すものか。

現代語訳

リー将軍の業績を振り返っても、これと変わるところはありません。彼に私淑する者は、彼が寡兵をもって北方の大軍に対抗したとか、南軍の貧しさで北軍の豊かさに当たったとか、某戦場では某将軍を破ったとか、某月某日には某所で水かさの増した流れを冒して川を渡ったとか、その他こうした逸話がある、こうした軍功があると、言葉を尽くして彼の徳と力を称揚します。これらの賛辞が将軍の耳に入ったときは、十里歩いて褒められる私の感じと、さほど変わらなかったでしょう。 またこれに反して、なぜ彼は某戦場で某将軍を某地に向けなかったのか、なぜ某月某日に北軍を某地で衝かなかったのか、なぜ彼は某所の包囲のとき、これこれの作戦をとらなかったのかと、傍目八目や後から出る下司知恵を振り回して、彼を非難する声が盛んになったときは、彼の心に起こった考えは、おそらく、私が十里以上の遠足をしなかったと非難されるのと同じだったでしょう。 世を渡るには、世論をまったく無視するわけにはいきませんが、世間の考えだけを基準にして成敗を測ることは、はなはだはかない業です。勝つも負けるも、失敗するも成功するも、その基は各自の心のうちに置いてこそ、真の成敗の味わいが分かるのです。成敗を考えるには、立つ足場によってどうにでも考えられる場合が多いのです。「しまった」と思うことも、静かに見つめ、自分の心に顧みて悪意のないことを悟れば、いわゆる失敗は恥ずかしくもなく、痛くもないことがしばしばあります。自分の心の据えどころこそ、成敗を測る物差しであって、この物差しが曲がらない以上、どんな失敗に遭遇しても心に憂いがない。これこそ霊薬の一粒、鉄を金に変えるものでしょうか。

解説

遠足の比喩をリー将軍に当てはめた節です。軍功を称える声も、なぜあの作戦をとらなかったかという後知恵の非難も、本人にとっては十里の遠足への評価と同じ程度の重みだったろうと新渡戸は推し量ります。世論を無視はできないが、基準は自分の心に置けと言います。静かに自分の心に悪意がなかったかを顧みれば、失敗は恥でも痛みでもないことが多いという結論は、振り返りの作法として実用的です。
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この章句が説くこと

世論後知恵成敗の物差し自己の心リー将軍失敗

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