塩鉄論 / 備胡篇
賢良曰:「匈奴之地廣大、而戎馬之足輕利、其勢易騷動也。利則虎曳、病則鳥折、辟鋒銳而取罷極、少發則不足以更適、多發則民不堪其役。役煩則力罷、用多則財乏。二者不息、則民遺怨。此秦之所以失民心、隕社稷也。古者、天子封畿千里、繇役五百里、勝聲相聞、疾病相恤。無過時之師、無踰時之役。內節於民心、而事適其力。是以行者勸務、而止者安業。今山東之戎馬甲士戍邊郡者、絕殊遼遠、身在胡、越、心懷老母。老母垂泣、室婦悲恨、推其饑渴、念其寒苦。詩云:『昔我往矣、楊柳依依。今我來思、雨雪霏霏。行道遲遲、載渴載饑。我心傷悲、莫之我哀。』故聖人憐其如此、閔其久去父母妻子、暴露中野、居寒苦之地、故春使使者勞賜、舉失職者、所以哀遠民而慰撫老母也。德惠甚厚、而吏未稱奉職承詔以存恤、或侵侮士卒、興之為市、並力兼作、使之不以理。故士卒失職、而老母妻子感恨也。宋伯姬愁思而宋國火、魯妾不得意而魯寢災。今天下不得其意者、非獨西宮之女。宋之老母也。春秋動眾則書、重民也。宋人圍長葛、譏久役也。君子之用心必若是。」大夫默然不對。
新字:賢良曰:「匈奴之地広大、而戎馬之足軽利、其勢易騷動也。利則虎曳、病則鳥折、辟鋒銳而取罷極、少発則不足以更適、多発則民不堪其役。役煩則力罷、用多則財乏。二者不息、則民遺怨。此秦之所以失民心、隕社稷也。古者、天子封畿千里、繇役五百里、勝声相聞、疾病相恤。無過時之師、無踰時之役。内節於民心、而事適其力。是以行者勧務、而止者安業。今山東之戎馬甲士戍辺郡者、絶殊遼遠、身在胡、越、心懐老母。老母垂泣、室婦悲恨、推其饑渴、念其寒苦。詩云:『昔我往矣、楊柳依依。今我来思、雨雪霏霏。行道遅遅、載渴載饑。我心傷悲、莫之我哀。』故聖人憐其如此、閔其久去父母妻子、暴露中野、居寒苦之地、故春使使者労賜、舉失職者、所以哀遠民而慰撫老母也。徳恵甚厚、而吏未称奉職承詔以存恤、或侵侮士卒、興之為市、並力兼作、使之不以理。故士卒失職、而老母妻子感恨也。宋伯姬愁思而宋国火、魯妾不得意而魯寝災。今天下不得其意者、非独西宮之女。宋之老母也。春秋動眾則書、重民也。宋人囲長葛、譏久役也。君子之用心必若是。」大夫黙然不対。
書き下し
賢良曰く、匈奴の地は廣大にして、戎馬の足は輕利なり、其の勢い騷動し易きなり。利あれば則ち虎のごとく曳き、病めば則ち鳥のごとく折る、鋒銳を辟けて罷極を取る。少なく發すれば則ち以て適を更うるに足らず、多く發すれば則ち民其の役に堪えず。役煩わしければ則ち力罷れ、用多ければ則ち財乏し。二者息まざれば、則ち民怨みを遺す。此れ秦の民心を失い、社稷を隕とせし所以なり。古者、天子の封畿は千里、繇役は五百里、勝聲相い聞こえ、疾病相い恤む。時に過ぐるの師無く、時を踰ゆるの役無し。內は民心に節し、而して事は其の力に適う。是を以て行く者は務めに勸み、止まる者は業に安んず。今、山東の戎馬甲士の邊郡に戍る者は、絕殊遼遠にして、身は胡・越に在りて、心は老母を懷う。老母は涕を垂れ、室婦は悲恨し、其の饑渴を推し、其の寒苦を念う。詩に云う、『昔我往きしとき、楊柳依依たり。今我來たり思えば、雨雪霏霏たり。道を行くこと遲遲、載ち渴し載ち饑う。我が心傷み悲しむも、之を我に哀しむ莫し』と。故に聖人は其の此くの如きを憐れみ、其の久しく父母妻子を去り、中野に暴露し、寒苦の地に居るを閔れむ。故に春に使者をして勞賜せしめ、職を失う者を舉ぐ、遠民を哀しみて老母を慰撫する所以なり。德惠甚だ厚し、而るに吏は未だ職を奉じ詔を承けて以て存恤するに稱わず、或いは士卒を侵侮し、之を興して市を為し、力を並せ作を兼ね、之を使うに理を以てせず。故に士卒は職を失いて、老母妻子は感恨するなり。宋の伯姬愁思して宋國に火あり、魯の妾意を得ずして魯の寢に災あり。今、天下の其の意を得ざる者は、獨り西宮の女のみに非ず、宋の老母なり。春秋は眾を動かせば則ち書す、民を重んずればなり。宋人の長葛を圍むは、久役を譏るなり。君子の心を用うること必ず是くの若し。/大夫默然として對えず。
現代語訳
賢良が言った。「匈奴の地は広大で、その軍馬は足が軽く速い。動き回りやすい相手です。有利と見れば虎のように引きずり込み、不利と見れば鳥のように翻る。こちらの鋭い先鋒を避けて、疲れ切ったところだけを取っていく。少数を出せば敵を追い払うのに足りず、多数を出せば民が労役に堪えられない。労役が煩わしければ力は尽き、費用がかさめば財は乏しくなる。この二つが止まなければ、民は怨みを残します。これこそ秦が民心を失い、国家を滅ぼした理由です。昔は天子の直轄地は千里、労役は五百里の範囲で、勝ちどきの声が互いに聞こえ、病めば互いにいたわり合えた。季節をまたぐ出兵はなく、期限を越える労役もなかった。内は民の心に合わせて加減し、仕事はその力に見合っていた。だから出て行く者は務めに励み、留まる者は生業に安んじたのです。いま山東の兵や騎兵で辺境の郡を守る者は、はるかに遠く隔たり、身は胡や越の地にありながら、心は老いた母を思っています。老母は涙を流し、妻は悲しみ恨み、夫の飢えと渇きを推しはかり、その寒さと苦しみを思う。詩経に言います。『昔わたしが出て行ったとき、柳は青々と垂れていた。いま帰ろうと思えば、雨と雪がしきりに降る。道を行く足は遅く、渇きもし飢えもする。わたしの心は傷み悲しむが、誰もわたしを哀れんではくれない』と。だから聖人はこれを憐れみ、久しく父母や妻子と離れ、野にさらされ、寒く苦しい土地にいることを痛みました。だから春には使者を送って労をねぎらい、職を失った者を取り立てた。遠くの民を哀れみ、老いた母を慰めるためです。恩恵はきわめて厚い。ところが役人は職務を奉じ詔を承けて労わることをせず、あるいは兵卒を侮り、彼らを動かして商売の道具にし、力仕事を重ねさせ、道理に合わない使い方をする。だから兵卒は職を失い、老母や妻子は恨みを抱くのです。宋の伯姫が思い悩んで宋の国に火事が起き、魯の側室が意を得ずに魯の寝所に災いがあったといいます。いま天下で思いを遂げられずにいる者は、西宮の女だけではありません。宋の老母たちなのです。春秋は民を動員すれば必ず書き記します。民を重んじるからです。宋の人が長葛を囲んだことを記したのは、長すぎる労役を非難したのです。君子の心の用い方は、必ずこうでなければなりません」。大夫は黙って答えなかった。
解説
この章句が説くこと
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