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自警録 / 第八章 世に蔓延る者は憎まる・意志の遂行と社交の遠慮はいかに調和するか

人がこの世を渡るに、人からかれこれと批評され憎まれるのは、何人も嫌である。嫌だからとて「瓢箪の川流れ」のごとく浮世のまにまに流れて行くことは志ある者の快しとせざるところ、むしろ愧ずるところである。ゆえにすでに自分に所信あれば反対を受くる覚悟をもってこれを実行するに力めねばならぬ。もちろんかくいったからとて何事につけても無遠慮に勝手放題に傍若無人に行えというにあらぬ。独り孤立して世渡りの出来ぬ以上、他人に相当に遠慮することは、社会生存の必要条件である。 山から山に渡るには頂上より頂上まで行くのが最も近道であるが、実際山より山に遷るには、一度麓の渓間に降りてまたまた嶮しき峰をよじ登らねばならぬ。一直線に行けば近くとも、自分の前に人があらば迂廻して行くだけの遠慮がなくてはならぬ。しかし迂廻の必要があるからとて、進むことを中止するのは卑怯である。かれこれ言われるからとて遠慮するのも卑怯である。 しからばどの程度まで遠慮せねばならぬか。この程度は概括的に定むることは出来ぬ。周囲の状態やら各自の性質やらあるいは為さんとする目的やらによりて度合いが異るので、我々の犠牲として払うべき意志は我々が衣服を買うときの代価のごときものである。いったい衣服はなんぼするものかという質問に対しては何人も一口に答えかねる。なぜなれば衣服にも単衣あり綿衣あり、木綿物もあれば絹織物もある。和服もあれば洋服もある。具体的に個々の衣服について始めて価がきまるのである。単に衣服というただけでは何とも決することが出来ぬ。それと同じく遠慮と遂行の程度は概括的に定めることはほとんど不可能である。 わが輩は折々知人や未知の人より相談を受けるが、その要点は己れの意志と親の意志と相い投合せぬとか、あるいは自分の望むところを世間が容れてくれぬとか、かかる場合にいかなる態度にいずべきかということが多い。わが輩はこれらの相談に対しつねに答える、その事情を詳細に知るにあらざれば、到底門外漢の解決し得るところでないと。

書き下し

人がこの世を渡るに、人からかれこれと批評され憎まれるのは、何人も嫌である。嫌だからとて「瓢箪の川流れ」のごとく浮世のまにまに流れて行くことは志ある者の快しとせざるところ、むしろ愧ずるところである。ゆえにすでに自分に所信あれば反対を受くる覚悟をもってこれを実行するに力めねばならぬ。もちろんかくいったからとて何事につけても無遠慮に勝手放題に傍若無人に行えというにあらぬ。独り孤立して世渡りの出来ぬ以上、他人に相当に遠慮することは、社会生存の必要条件である。 山から山に渡るには頂上より頂上まで行くのが最も近道であるが、実際山より山に遷るには、一度麓の渓間に降りてまたまた嶮しき峰をよじ登らねばならぬ。一直線に行けば近くとも、自分の前に人があらば迂廻して行くだけの遠慮がなくてはならぬ。しかし迂廻の必要があるからとて、進むことを中止するのは卑怯である。かれこれ言われるからとて遠慮するのも卑怯である。 しからばどの程度まで遠慮せねばならぬか。この程度は概括的に定むることは出来ぬ。周囲の状態やら各自の性質やらあるいは為さんとする目的やらによりて度合いが異るので、我々の犠牲として払うべき意志は我々が衣服を買うときの代価のごときものである。いったい衣服はなんぼするものかという質問に対しては何人も一口に答えかねる。なぜなれば衣服にも単衣あり綿衣あり、木綿物もあれば絹織物もある。和服もあれば洋服もある。具体的に個々の衣服について始めて価がきまるのである。単に衣服というただけでは何とも決することが出来ぬ。それと同じく遠慮と遂行の程度は概括的に定めることはほとんど不可能である。 わが輩は折々知人や未知の人より相談を受けるが、その要点は己れの意志と親の意志と相い投合せぬとか、あるいは自分の望むところを世間が容れてくれぬとか、かかる場合にいかなる態度にいずべきかということが多い。わが輩はこれらの相談に対しつねに答える、その事情を詳細に知るにあらざれば、到底門外漢の解決し得るところでないと。

現代語訳

人がこの世を渡るとき、他人からあれこれ批評され、憎まれるのは、誰にとっても嫌なものです。しかし、だからといって「瓢箪の川流れ」のように世の流れのままに漂っていくのは、志ある者が良しとしないところであり、むしろ恥じるべきことです。ですから、すでに自分に確かな信念があるなら、反対を受ける覚悟でそれを実行することに努めなければなりません。もちろん、だからといって何事も遠慮なく、勝手気ままに、傍若無人に行えと言うのではありません。一人孤立しては世を渡れない以上、他人にほどよく遠慮することは、社会で生きていくための必要条件です。 山から山へ渡るには、頂上から頂上へ行くのがいちばん近道ですが、実際には、いったん麓の谷間に降りて、また険しい峰をよじ登らなければなりません。一直線に行けば近くても、目の前に人がいれば迂回していくだけの遠慮は要ります。けれども、迂回が必要だからといって、進むことをやめるのは卑怯です。あれこれ言われるからと遠慮してしまうのも卑怯です。 では、どの程度まで遠慮すべきでしょうか。この程度を一般論として決めることはできません。周囲の状況や、それぞれの性質、あるいはなそうとする目的によって度合いが変わるのです。私たちが犠牲として払うべき意志の量は、衣服を買うときの代価のようなものです。そもそも衣服はいくらするものかと問われても、誰も一言では答えられません。衣服には単衣もあれば綿入れもあり、木綿もあれば絹もあり、和服もあれば洋服もあります。具体的に一着一着について初めて値が決まるのであって、ただ衣服と言っただけでは何も決められません。それと同じで、遠慮と実行の程度を一般論として定めることは、ほとんど不可能です。 私は折にふれて知人や見知らぬ人から相談を受けますが、その要点は、自分の意志と親の意志が合わないとか、自分の望むことを世間が受け入れてくれないとか、そのような場合にどんな態度をとればよいかということが多いのです。私はこうした相談に対していつもこう答えます。事情を詳しく知らなければ、部外者に解決できることではない、と。

解説

新渡戸はまず、信念を持つ者は批判を覚悟して実行せよと述べ、すぐ続けて、傍若無人はいけないと釘を刺します。山を渡るには谷へ降りる迂回が要る、しかし迂回を口実に進むのをやめるのは卑怯だ、という比喩が要点です。遠慮の度合いは衣服の値段と同じで、具体的な一着ごとにしか決まらないと言います。仕事でも、上司や取引先への配慮と自分の主張の線引きに公式はなく、事情ごとに腹をくくって決めるしかありません。
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人生を、一行の式にしてみた。

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この章句が説くこと

所信遠慮迂回卑怯社会生存衣服の代価

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