自警録 / 第八章 世に蔓延る者は憎まる・所信の貫徹に潜める大苦心(1)
元来、義務と義務との衝突は根底においてあり得べきものでない。義務そのものは絶対的であるとしても、個人がこれに対すれば軽重、本末、主従、大小、遠近等によりて関係的相違あり、決して絶対的に同等なものでない。したがって思想的根底において衝突せぬものであるが、実行にあたっては衝突する場合がたくさんある。 孝ならんと欲すれば忠ならず、忠ならんと欲すれば孝ならずと歎くものは、独り平重盛に限らない。些細なることにおいても、少しく考うると必ず衝突の問題の起こらぬことはない。朝自分の家を出て事務所なり学校なりに通わんとするに、右のほうが道がよいか左がよいか、必ず問題として考え得る。右は近いが左のほうが歩きやすいとか、右は平坦だが左道は清潔だとか何とか、たいがいのことには得失問題を起こす理由がある。そしてその判断には少なからず苦しむものである。 むかしの英傑の伝を見るに、果断だとか、「裁決流るるがごとし」とかぞうさもなく出来るように書いてある。彼らが凡人よりも早く事物の要点を見る明晰の頭脳を有することは疑いなきも、また凡人の窺知し得ざる苦労を経るのである。光圀卿の、 見れば只何の苦もなき水鳥の足にひまなき我思ひかな である。 シーザーがその留守中にローマに乱の起これるを聞き、出征先より大軍を率いて帰国し、自国に入ろうか入るまいかとルビコン河畔に立ったときは、凡人の考え得られぬ苦心があったであろう。外部より見れば、さほどに苦心もなく一蹴してルビコン河を越えたらしく見られるも、今もなお歴史上の分岐点として謡われているほど彼の苦心の跡が世界の人心に印してある。
新字:元来、義務と義務との衝突は根底においてあり得べきものでない。義務そのものは絶対的であるとしても、個人がこれに対すれば軽重、本末、主従、大小、遠近等によりて関係的相違あり、決して絶対的に同等なものでない。したがって思想的根底において衝突せぬものであるが、実行にあたっては衝突する場合がたくさんある。 孝ならんと欲すれば忠ならず、忠ならんと欲すれば孝ならずと嘆くものは、独り平重盛に限らない。些細なることにおいても、少しく考うると必ず衝突の問題の起こらぬことはない。朝自分の家を出て事務所なり学校なりに通わんとするに、右のほうが道がよいか左がよいか、必ず問題として考え得る。右は近いが左のほうが歩きやすいとか、右は平坦だが左道は清潔だとか何とか、たいがいのことには得失問題を起こす理由がある。そしてその判断には少なからず苦しむものである。 むかしの英傑の伝を見るに、果断だとか、「裁決流るるがごとし」とかぞうさもなく出来るように書いてある。彼らが凡人よりも早く事物の要点を見る明晰の頭脳を有することは疑いなきも、また凡人の窺知し得ざる苦労を経るのである。光圀卿の、 見れば只何の苦もなき水鳥の足にひまなき我思ひかな である。 シーザーがその留守中にローマに乱の起これるを聞き、出征先より大軍を率いて帰国し、自国に入ろうか入るまいかとルビコン河畔に立ったときは、凡人の考え得られぬ苦心があったであろう。外部より見れば、さほどに苦心もなく一蹴してルビコン河を越えたらしく見られるも、今もなお歴史上の分岐点として謡われているほど彼の苦心の跡が世界の人心に印してある。
書き下し
元来、義務と義務との衝突は根底においてあり得べきものでない。義務そのものは絶対的であるとしても、個人がこれに対すれば軽重、本末、主従、大小、遠近等によりて関係的相違あり、決して絶対的に同等なものでない。したがって思想的根底において衝突せぬものであるが、実行にあたっては衝突する場合がたくさんある。 孝ならんと欲すれば忠ならず、忠ならんと欲すれば孝ならずと歎くものは、独り平重盛に限らない。些細なることにおいても、少しく考うると必ず衝突の問題の起こらぬことはない。朝自分の家を出て事務所なり学校なりに通わんとするに、右のほうが道がよいか左がよいか、必ず問題として考え得る。右は近いが左のほうが歩きやすいとか、右は平坦だが左道は清潔だとか何とか、たいがいのことには得失問題を起こす理由がある。そしてその判断には少なからず苦しむものである。 むかしの英傑の伝を見るに、果断だとか、「裁決流るるがごとし」とかぞうさもなく出来るように書いてある。彼らが凡人よりも早く事物の要点を見る明晰の頭脳を有することは疑いなきも、また凡人の窺知し得ざる苦労を経るのである。光圀卿の、 見れば只何の苦もなき水鳥の足にひまなき我思ひかな である。 シーザーがその留守中にローマに乱の起これるを聞き、出征先より大軍を率いて帰国し、自国に入ろうか入るまいかとルビコン河畔に立ったときは、凡人の考え得られぬ苦心があったであろう。外部より見れば、さほどに苦心もなく一蹴してルビコン河を越えたらしく見られるも、今もなお歴史上の分岐点として謡われているほど彼の苦心の跡が世界の人心に印してある。
現代語訳
そもそも義務と義務との衝突は、根底においてはあり得ないものです。義務そのものは絶対的だとしても、個人がこれに向き合うときには、軽重、本末、主従、大小、遠近などによって関係上の違いがあり、決して絶対的に同等のものではありません。したがって思想の根底では衝突しませんが、実行にあたっては衝突する場合がたくさんあります。 孝をなそうとすれば忠にならず、忠をなそうとすれば孝にならない、と嘆いたのは、平重盛ひとりに限りません。些細なことでも、少し考えれば必ず衝突の問題は起こります。朝、家を出て事務所や学校へ通うのに、右の道がよいか左がよいか、必ず問題として考えられます。右は近いが左のほうが歩きやすいとか、右は平坦だが左は清潔だとか、たいていのことには損得を問う理由があります。そしてその判断には少なからず苦しむものです。 昔の英傑の伝記を見ると、果断だとか「裁決は流れるようだ」とか、たやすくできたように書いてあります。彼らが凡人よりも早く物事の要点を見抜く明晰な頭脳を持っていたことは疑いありませんが、同時に凡人には窺い知れない苦労を経ているのです。光圀公の歌に、 見ればただ何の苦もなさそうな水鳥の、足の休まるひまのない私の思いだ とあるとおりです。 カエサルが、留守中にローマで乱が起きたと聞き、遠征先から大軍を率いて帰り、自国に入るか入らないかとルビコン河畔に立ったときには、凡人には想像もできない苦心があったでしょう。外から見れば、さほど苦心もなくひと蹴りでルビコン河を越えたように見えますが、いまも歴史の分岐点として語られるほど、彼の苦心の跡は世界の人の心に刻まれています。
解説

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『武士道』第九章 忠節・忠と孝の衝突平家物語の作者は、小松内府の父清盛の暴虐を憂ふるの条に至り、惻然として、『悲しきかな、君の御為に奉公の忠を致さんとすれば、迷盧八万の巓よりもなほ高き父の恩、たちまちに忘れんとす。いたましきかな、不孝の罪を遁れんとすれば、君の御為には既に不忠の逆臣ともなりぬべし、進退これ谷れり』と歎ぜり。哀れむべし重盛、彼れ後、霊性の誠を披いて死を天に祈り、純潔正義の宿するに難き此塵世を出離せんことを願ふを見るに非らずや。義理と人情との衝突によりて心破れたるもの、古来其人多し、あに独り重盛のみならんや。シェイクスピアも将た旧約全書も、孝を説いて未だ明かなるものあるを見ず。然るに一旦此の衝突の起るや、武士道は孝を捨てて寧ろ忠を取るに遅疑せず。しかのみならず、女子も亦た敢て其子を励まして君主の為に死せしむ。
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自警録・第八章 世に蔓延る者は憎まる・意志の遂行と社交の遠慮はいかに調和するか人がこの世を渡るに、人からかれこれと批評され憎まれるのは、何人も嫌である。嫌だからとて「瓢箪の川流れ」のごとく浮世のまにまに流れて行くことは志ある者の快しとせざるところ、むしろ愧ずるところである。ゆえにすでに自分に所信あれば反対を受くる覚悟をもってこれを実行するに力めねばならぬ。もちろんかくいったからとて何事につけても無遠慮に勝手放題に傍若無人に行えというにあらぬ。独り孤立して世渡りの出来ぬ以上、他人に相当に遠慮することは、社会生存の必要条件である。 山から山に渡るには頂上より頂上まで行くのが最も近道であるが、実際山より山に遷るには、一度麓の渓間に降りてまたまた嶮しき峰をよじ登らねばならぬ。一直線に行けば近くとも、自分の前に人があらば迂廻して行くだけの遠慮がなくてはならぬ。しかし迂廻の必要があるからとて、進むことを中止するのは卑怯である。かれこれ言われるからとて遠慮するのも卑怯である。 しからばどの程度まで遠慮せねばならぬか。この程度は概括的に定むることは出来ぬ。周囲の状態やら各自の性質やらあるいは為さんとする目的やらによりて度合いが異るので、我々の犠牲として払うべき意志は我々が衣服を買うときの代価のごときものである。いったい衣服はなんぼするものかという質問に対しては何人も一口に答えかねる。なぜなれば衣服にも単衣あり綿衣あり、木綿物もあれば絹織物もある。和服もあれば洋服もある。具体的に個々の衣服について始めて価がきまるのである。単に衣服というただけでは何とも決することが出来ぬ。それと同じく遠慮と遂行の程度は概括的に定めることはほとんど不可能である。 わが輩は折々知人や未知の人より相談を受けるが、その要点は己れの意志と親の意志と相い投合せぬとか、あるいは自分の望むところを世間が容れてくれぬとか、かかる場合にいかなる態度にいずべきかということが多い。わが輩はこれらの相談に対しつねに答える、その事情を詳細に知るにあらざれば、到底門外漢の解決し得るところでないと。
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自警録・序(2)なるほど、なにごとにしても、理を究めんとすれば心理学の原理に入らざるを得ないから、容易ならざる専門的研究となるが、吾人の平常踏むべき道は藪の中にあるでなし、絶壁断巌を沿うでもない。数千年来、数億の人々が踏み固めてくれた、坦々たる平かな道である。吾人が母の胎内においてすでに幾分か聞いて来た道である。孟子の、「慮らざる所にして知るものは人の良知なり」と言った通り、慮らずして、ほとんど無意識に会得してある教訓に従うを道徳と称するものでなかろうか。 わが輩は決して道徳問題は、みなみな無造作に解するものと言うのではない。一生の間には一回二回もしくは数回腸を断ち、胸を焦すような争が心の中に起こることもある。しかしそんな難題は生涯に何回と一本か二本の指で数えつくせるくらいなものである。これに反し、われわれの最も意を注ぐべき心掛は平常毎日の言行――言行と言わんよりは心の持ち方、精神の態度である。平常の鍛錬が成ればたまたま大々的の煩悶の襲い来る時にあたっても解決が案外容易に出来る。ここにおいてわが輩は日々の心得、尋常平生の自戒をつづりて、自己の記憶を新たにするとともに同志の人々の考えに供したい。
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自警録・第八章 世に蔓延る者は憎まる・所信の貫徹に潜める大苦心(2)また米国の南北戦争にリー将軍が南軍につかんか、北軍に走らんか、これを決するためには終日終夜心魂を痛め、あるいは跪いて神意を伺わんとしたり、あるいは思案に沈んで、ほとんど無意識に一室を往き来したという。こうなると細君も相談相手にならず親友も依頼するに足らなかったか、ついに義理に絆されて南軍についた。その決心を固くするまでの苦心はいかに辛かったであろう。 また信長が寡兵を督して桶狭間に突進するに先だち、いかほど心を労したろう。また西郷南洲が廟堂より薩南に引退した時の決心、また多数に擁せられ新政厚徳の旗を揚ぐるに至った心中は、おそらくはその周囲におった人にも分からなかったであろう。かくいう僕などにはその十分一だも想像し能わぬ。 また某碩学がかつて那須与一の琵琶歌を聞き、さめざめと泣き出したとき、傍の人がこの勇壮なる歌を聞き、何で泣かるるか、ことに与一が弓を満月のごとく引き絞り、矢を放った時、敵も味方も舷をたたいて賞賛したこの勲を聞き、泣くとはその意を得ぬと詰ったとき、某は暗然として答えて言った。数千の軍中よりただ一人選抜された名誉は顧みぬとしても、全源氏軍の名誉をただ一身に荷って弓を引いたときの心はいかであったろう。命中したればこそ敵も味方も賞歎したものの、弓を引き絞った時、矢を放った時の心の苦しみはどうであったろう、思ってここに至ればまことに同情に堪えぬと。実に見る人が見れば、何人の行為についても、一大決心をもってするもので、自己の所信、自己の意志を貫徹することの容易ならぬことが察せらる。
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自警録・第八章 世に蔓延る者は憎まる・善事の背後にも敵があるついでに加えて述べたきことは、与一の場合にも彼が扇を覗うあいだには、必ず彼の失敗を祈ったものがあったであろう。しかもそれは平家方のみでなかったであろう。また奥州より出て来たあの田舎武士が、御大将の眼前で晴れの武術を示すなど分に過ぎたる果報者だと羨んだものもあったろう。また彼の技倆を疑える者は、彼が遣り損えばよい、自分が代って見事に遣って見ようというものもあったであろう。あまり邪推をまわすようではあるが、ふつうの人情より考えてかくありそうに思われる。彼が成功したと同時に、大喝采を受けたことは歌にも歴史にも記してある通りであるが、またその後においてただちに彼の名誉を傷つけんとしたり、彼を怨み嫉んだ者から見れば、彼が人目を惹き世にはびこったことを喜ばぬものがいかに多かったであろう。 わが輩は話にまぎれてとかく昔時のことのみを述べたが、我々が今日においてしかも毎日、些細なことにおいてもそれぞれに所信と決心とをつらぬくにはどこかに喜ばぬ人あり、確かに自分と衝突しているものがあると覚悟する必要がある。僕は性来臆病なるゆえ、僕自身の為すことにおいてこれは万遍なく済んだなと思うごとに、その結果、必ず不愉快なることを数多聞かねばならぬと思わぬことはない。またたまたま善事を為したと心の底に喜ぶときに、これがためにいかなるところに、いかなる人が如何なることを企て、この善事を覆さんとするものがあろうと、恐れを懐かぬことはない。 こういう考えが善いというのではない。聖人ならこんな考えなく、何の憚るところなく善事を行るであろうが、普通人はしばしば善事をするのでなく、たまたま衷心より世のためだと思うことをすると、一方に臆病の考えが起こり、これを害する人も必ず起こると覚悟するを要す。僕自身のわずかの経験においてもそういうことが多い。しかしてまた世上聖人君子が少なき以上、同じ経験を履めるものが多いであろう。
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自警録・第二十章 忠告の取捨・聖哲の教訓はなにゆえ凡人に入り難きかいったい聖人君子の教えと称するものは、長いかつ広い経験に基づいたことは多いとはいえ、抽象的のものが多くて具体的でない。いわば汎論的で、各論的でない。万民に演べた言で個人に述べた言でないからして、とかくわれわれ凡人の頭には入っても腹の底に沁みることが薄い。 大ざっぱの教訓も、すなわち忠義でも、孝行でも、信義でも、いずれも抽象的で、いかなる国民にも、いかなる境遇の者にも応用できるだけに、これは俺のことだと私の意味に取ることは薄くなる。それゆえに先に述べたように、こういう文字は人を責むる道具に用いるほうがむしろ多いかと思う。彼は不忠者である、彼は不孝者であるという言葉はしばしば聞くが、俺は不忠である俺は不孝であると感ずることは少ない。またたまたま己れの非を自覚しても、すぐに俺はまだ某々ほどに堕落せぬとか、あるいは俺の場合は特別であると自ら義(justify)せんとしたがる。 実際僕が今こうしてこのことを書きながらも、僕自身が人を責めておりはせぬか、この文を草するよりは、むしろ退いて己れ、果たして忠なるか、己れ果たして孝なるかを考えるほうが筆取るよりも急務ではないかとまったく思わぬでもない。これを思うと同時にまた若い時につまらぬことながら僕がここに言わんと欲することを言ってくれる人があったなら、いくらか誤りも少なかったろうにと思いかえしてまた筆を取る。