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自警録 / 第四章 外は柔、内は剛・世の中には譲って差支えないことが多い

柔和というと、いかにも自分に意志なく、人の意志に脆く服従するごとく思うものあるが、しかし決してそうでない。柔和は意志の弱き謂でない。もっとも一方より考えれば、かく思うも無理はない。僕の考えでは世には抂げてもよい意思がたくさんにあり、また意思を表示するに及ばぬものもたくさんあり、あるいは意思を明らかにする必要なきものもたくさんあると思う。 意志というと言葉がはなはだよく聞こゆるも、何ごとについても明白なる意思を発表するものは神経質かあるいは小心なる厄介者である。たとえば衣を着るにも、縞柄から縫い方から着ようにいたるまで一々明白した意思を表示し、かつこれを貫かんとすれば、たいていの仕立屋または細君は必ず手に余すであろう。三度食う飯さえも強い柔かいがある。この浮世を渡るに飯の炊きようについて、あまり明白な意思を有するものは、恐らくは生涯の三分の二は飯のために不満足を唱えて暮らさねばならぬだろう。 僕の信ずるところでは、世の中のことは判然たる意志をもつ必要のないことが多い。換言すればどちらでもよいことが多い。物を食うにも鮭でも鰌でもよい、沢庵でも菜葉でもよく、また味噌汁の実にしても芋でも大根でもよい。ただ特別なる場合、たとえば来客とか病気とかの時のごときには、明らかなる意思を立てて遂行するも必要だが、たいていの場合にはどちらでも差支えないことが多い。しかして朝起きて夜寝るまで、自分のなすこと、接することを一々数えたてれば、自分が頓着しなくとも善いことが多くありはせぬか。相手には非常に重大の問題でありながら、自分には何の関係ないことがありはせぬか。かく思うと無頓着というは語弊もあるが、自分から関係せず、関係深い人に譲りて差支えないことが数多ある。ここがすなわち僕の、「世を譲って渡れ」という所以である。

書き下し

柔和というと、いかにも自分に意志なく、人の意志に脆く服従するごとく思うものあるが、しかし決してそうでない。柔和は意志の弱き謂でない。もっとも一方より考えれば、かく思うも無理はない。僕の考えでは世には抂げてもよい意思がたくさんにあり、また意思を表示するに及ばぬものもたくさんあり、あるいは意思を明らかにする必要なきものもたくさんあると思う。 意志というと言葉がはなはだよく聞こゆるも、何ごとについても明白なる意思を発表するものは神経質かあるいは小心なる厄介者である。たとえば衣を着るにも、縞柄から縫い方から着ようにいたるまで一々明白した意思を表示し、かつこれを貫かんとすれば、たいていの仕立屋または細君は必ず手に余すであろう。三度食う飯さえも強い柔かいがある。この浮世を渡るに飯の炊きようについて、あまり明白な意思を有するものは、恐らくは生涯の三分の二は飯のために不満足を唱えて暮らさねばならぬだろう。 僕の信ずるところでは、世の中のことは判然たる意志をもつ必要のないことが多い。換言すればどちらでもよいことが多い。物を食うにも鮭でも鰌でもよい、沢庵でも菜葉でもよく、また味噌汁の実にしても芋でも大根でもよい。ただ特別なる場合、たとえば来客とか病気とかの時のごときには、明らかなる意思を立てて遂行するも必要だが、たいていの場合にはどちらでも差支えないことが多い。しかして朝起きて夜寝るまで、自分のなすこと、接することを一々数えたてれば、自分が頓着しなくとも善いことが多くありはせぬか。相手には非常に重大の問題でありながら、自分には何の関係ないことがありはせぬか。かく思うと無頓着というは語弊もあるが、自分から関係せず、関係深い人に譲りて差支えないことが数多ある。ここがすなわち僕の、「世を譲って渡れ」という所以である。

現代語訳

柔和というと、いかにも自分に意志がなく、人の意志にもろく従うように思う人がいますが、決してそうではありません。柔和は意志が弱いという意味ではありません。もっとも、一方から考えれば、そう思うのも無理はありません。私の考えでは、世の中には曲げてもよい意志がたくさんあり、また意志を表示するに及ばないものもたくさんあり、あるいは意志を明らかにする必要がないものもたくさんあります。 意志というと言葉は大変よく聞こえますが、何事についてもはっきりした意志を表明する者は、神経質か、あるいは小心な厄介者です。たとえば着物を着るにも、縞柄から縫い方、着方に至るまで、いちいちはっきりした意志を表明して貫こうとすれば、たいていの仕立屋や奥さんは必ず手に余すでしょう。日に三度食べるご飯でさえ、固いの柔らかいのがあります。この浮世を渡るのに、ご飯の炊き方についてあまりはっきりした意志を持つ者は、おそらく生涯の三分の二は、ご飯のために不満を言って暮らさなければならないでしょう。 私の信じるところでは、世の中のことは、はっきりした意志を持つ必要のないことが多いのです。言い換えれば、どちらでもよいことが多いのです。食べるにも、鮭でもドジョウでもよく、沢庵でも菜っ葉でもよく、味噌汁の実にしても芋でも大根でもよいのです。ただ、特別な場合、たとえば来客とか病気とかのときは、明らかな意志を立てて遂行する必要もありますが、たいていの場合は、どちらでも差し支えないことが多いのです。そして朝起きてから夜寝るまで、自分のすること、接することを一つ一つ数え立てれば、自分が頓着しなくてもよいことが多くはないでしょうか。相手には非常に重大な問題なのに、自分には何の関係もないことがありはしないでしょうか。そう思うと、無頓着というのは語弊がありますが、自分から関わらず、関係の深い人に譲って差し支えないことが数多くあります。ここが、私の「世を譲って渡れ」という理由です。

解説

柔和は意志の弱さではなく、どうでもよいことに意志を主張しないという選択だと、新渡戸は述べます。着物の柄や飯の炊き方など、日常の例が挙げられ、あらゆることに意見を持つのは神経質か小心だとされます。ここでは無頓着になれと言うのではなく、自分に関係の薄いことを関係の深い人に譲るという趣旨です。現代の職場でも、細部に口を出し続ける上司は、本当に譲れない判断に力を使えなくなります。意見を言う場面を選ぶこと自体が、意志の強さだという視点です。
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この章句が説くこと

柔和と意志どちらでもよいこと神経質世を譲って渡る頓着しない選ぶ

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