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自警録 / 第九章 心の独立と体の独立・風俗習慣に逆らうは独立にあらず

なお心の独立と思い違いやすきことは風俗習慣に逆らいさえすれば心の独立を現すもののごとく思う一条である。通常の服より違った衣を着れば、独特の人才にでもあるかのように思う人も少なくない。髪を長くしてみたり、赤い着物で外出したり、一本歯の下駄を履いたりすることは、馬鹿でもやり得ることで、心の独立を崇める値いはない。人が社会に住んでいるあいだは法律のほかに世俗の制裁を受けねばならぬ。もっとも世の要求することなら何でもこれに従えというではない。みずから反りみて縮からば千万人といえども、吾れ往かんとの独立自重の心は誰人にもなくてはならぬけれども、いわばどちらでも好いことに角立てて世俗に反抗するほどの要なきものが多い。風俗習慣の中には主義として争うに足らぬものがたくさんある。 佐藤一斎の『言志四録』に曰く、 「寛懐俗情に忤らざるは和なり、立脚俗情に墜ちざるは介なり」 と。この簡単なる一言をもってよく吾人の世に対する関係を尽している。 心の独立を計るに身を世俗より去る必要はない。むしろ世に入り込んで独立の実を揚ぐべきこそ吾人も務めであれ。味わうべきは左の歌である。 山深く何かいほりを結ぶべき心の中に身はかくれけり 座禅せば四条五条の橋の上ゆき来の人を深山木と見て

書き下し

なお心の独立と思い違いやすきことは風俗習慣に逆らいさえすれば心の独立を現すもののごとく思う一条である。通常の服より違った衣を着れば、独特の人才にでもあるかのように思う人も少なくない。髪を長くしてみたり、赤い着物で外出したり、一本歯の下駄を履いたりすることは、馬鹿でもやり得ることで、心の独立を崇める値いはない。人が社会に住んでいるあいだは法律のほかに世俗の制裁を受けねばならぬ。もっとも世の要求することなら何でもこれに従えというではない。みずから反りみて縮からば千万人といえども、吾れ往かんとの独立自重の心は誰人にもなくてはならぬけれども、いわばどちらでも好いことに角立てて世俗に反抗するほどの要なきものが多い。風俗習慣の中には主義として争うに足らぬものがたくさんある。 佐藤一斎の『言志四録』に曰く、 「寛懐俗情に忤らざるは和なり、立脚俗情に墜ちざるは介なり」 と。この簡単なる一言をもってよく吾人の世に対する関係を尽している。 心の独立を計るに身を世俗より去る必要はない。むしろ世に入り込んで独立の実を揚ぐべきこそ吾人も務めであれ。味わうべきは左の歌である。 山深く何かいほりを結ぶべき心の中に身はかくれけり 座禅せば四条五条の橋の上ゆき来の人を深山木と見て

現代語訳

なお、心の独立と思い違いしやすいことに、風俗習慣に逆らいさえすれば心の独立を示すものと思う一件があります。普通と違う衣服を着れば、独特の人材であるかのように思う人も少なくありません。髪を長く伸ばしたり、赤い着物で出歩いたり、一本歯の下駄を履いたりすることは、馬鹿でもできることで、心の独立として崇める価値はありません。人は社会に住んでいる間は、法律のほかに世俗の制裁を受けなければなりません。もっとも、世の要求することは何でも従えというのではありません。みずから顧みて正しければ、たとえ千万人が相手でも私は行く、という独立自重の心は誰にもなくてはなりませんが、どちらでもよいことに角を立てて世俗に反抗するまでもないことが多いのです。風俗習慣の中には、主義として争うに足りないものがたくさんあります。 佐藤一斎の『言志四録』に言います。 「ゆったりした心で俗情に逆らわないのは和である。足場が俗情に落ちないのは介である」 と。この簡単な一言で、私たちと世の中との関係はよく言い尽くされています。 心の独立をはかるのに、身を世俗から遠ざける必要はありません。むしろ世に入り込んで独立の実を示すことこそ、私たちの務めです。味わうべきは次の歌です。 山深くにわざわざ庵を結ぶまでもない、心の中に身は隠れているのだ 座禅をするなら、四条や五条の橋の上で、行き交う人々を深山の木々と見なせばよい

解説

奇抜な服装や髪型で世俗に逆らうことは独立の証にならない、と新渡戸は断じます。争うべきは主義にかかわる点だけで、どちらでもよいことに角を立てる必要はありません。佐藤一斎の和と介、つまり俗情と衝突しない柔らかさと、俗に落ちない足場の両立が要点です。仕事でも、服装や慣行など些末な点に反発して個性を示すより、譲れない一点で踏みとどまるほうが信頼を得ます。身を隠さず世の中で独立を保つという結論です。
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この章句が説くこと

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