自警録 / 第六章 怖気の矯正・暗いところがあると怖気出す
これに反し自分に最善を尽しておらぬものは、何かの時に退けを取りやすい。恥ずかしいが、僕もしばしば自分でこれを経験したことがある。かようなことは相手も知っておるまいと、思って大きな顔している間に、はしなくも話頭がみずから犯した罪に、すこしでも触れると、すぐにビクつき、あるいは顔色が変わり、あるいは声が顫え、あるいはその言うことに辻褄が合わなくなり、あるいは極上等に出来たとしても、話頭を漸々に曲げて自分の痛いところより遠く離さんとし、然らざれば正反対に自分の弱点を弁護するごとき議論や物語をしたりする。 これは僕自身にそういう経験があるのみならず、また他人に逢っても、自分みたいなことをやっているわいと感じたことが間々あった。たとえば前年僕を訪ねて、なかなか元気よく議論したある青年があった。その挙動を見るとすこぶる傍若無人で、室に入るや否やいきなり趺座をかき、口角に泡を飛ばして盛んに議論する。僕はこれを見てなるほど彼は勇気精力に富むと感心した。彼が独りで暫時議論したのち、僕にむかい、 「今日の日本の青年に対し最も注意すべきものは何か」 と質問を発した。僕はあながち彼に対してあてつけ、皮肉をいうつもりはなかったが、あたかもそのころある地方の中学を巡廻し、生徒の不行儀なることを、ことに痛切に感じていたから、僕は、 「行儀を正すことが目下の一大急務なり」 というや、今までの豪傑は急に狼狽しはじめた。露出した膝頭を気にして、衣服で掩わんとしたり、あるいは趺座をかいた足を幾分かむすび直し、正座の姿に移らんとした。僕はこれを見て、ハハア、この人が今までの大言壮語も、その磊落の行儀も、思いつかずになした業でなく、一時の拵え気焔で人を脅かすつもりか、あるいは豪傑を衒っての業であったのだな。彼の英邁奇行は道具立ての小細工たるを見て可笑しくなった。彼はその知れる限りの最美を尽しておらぬ。むしろ彼の最悪の行儀をなしていたのである。自分が為すべからざることと知れることを、ことさらに為していたのである。 ゆえに一言でも話頭が彼の弱点に渉ると、胸中幾分か狼狽するの風情が現れ、今まで頼もしい剛胆なる青年と思われたものが、見すぼらしい凡人に立ち返り、勇将が一時に敗兵となった観を呈した。
書き下し
これに反し自分に最善を尽しておらぬものは、何かの時に退けを取りやすい。恥ずかしいが、僕もしばしば自分でこれを経験したことがある。かようなことは相手も知っておるまいと、思って大きな顔している間に、はしなくも話頭がみずから犯した罪に、すこしでも触れると、すぐにビクつき、あるいは顔色が変わり、あるいは声が顫え、あるいはその言うことに辻褄が合わなくなり、あるいは極上等に出来たとしても、話頭を漸々に曲げて自分の痛いところより遠く離さんとし、然らざれば正反対に自分の弱点を弁護するごとき議論や物語をしたりする。 これは僕自身にそういう経験があるのみならず、また他人に逢っても、自分みたいなことをやっているわいと感じたことが間々あった。たとえば前年僕を訪ねて、なかなか元気よく議論したある青年があった。その挙動を見るとすこぶる傍若無人で、室に入るや否やいきなり趺座をかき、口角に泡を飛ばして盛んに議論する。僕はこれを見てなるほど彼は勇気精力に富むと感心した。彼が独りで暫時議論したのち、僕にむかい、 「今日の日本の青年に対し最も注意すべきものは何か」 と質問を発した。僕はあながち彼に対してあてつけ、皮肉をいうつもりはなかったが、あたかもそのころある地方の中学を巡廻し、生徒の不行儀なることを、ことに痛切に感じていたから、僕は、 「行儀を正すことが目下の一大急務なり」 というや、今までの豪傑は急に狼狽しはじめた。露出した膝頭を気にして、衣服で掩わんとしたり、あるいは趺座をかいた足を幾分かむすび直し、正座の姿に移らんとした。僕はこれを見て、ハハア、この人が今までの大言壮語も、その磊落の行儀も、思いつかずになした業でなく、一時の拵え気焔で人を脅かすつもりか、あるいは豪傑を衒っての業であったのだな。彼の英邁奇行は道具立ての小細工たるを見て可笑しくなった。彼はその知れる限りの最美を尽しておらぬ。むしろ彼の最悪の行儀をなしていたのである。自分が為すべからざることと知れることを、ことさらに為していたのである。 ゆえに一言でも話頭が彼の弱点に渉ると、胸中幾分か狼狽するの風情が現れ、今まで頼もしい剛胆なる青年と思われたものが、見すぼらしい凡人に立ち返り、勇将が一時に敗兵となった観を呈した。
現代語訳
これに反して、自分に最善を尽くしていない者は、何かの時に引けを取りやすいものです。恥ずかしいことですが、僕も自分でしばしばこれを経験しました。こんなことは相手も知るまいと思って大きな顔をしている間に、ふと話題が自分の犯した罪に少しでも触れると、すぐにびくつき、あるいは顔色が変わり、あるいは声が震え、あるいは言うことの辻褄が合わなくなります。あるいは非常にうまくこなしたとしても、話題を少しずつ曲げて自分の痛いところから遠ざけようとしたり、そうでなければ正反対に、自分の弱点を弁護するような議論や物語をしたりします。 これは僕自身にそういう経験があるばかりでなく、他の人に会っても、自分と同じようなことをしているなと感じたことが、ままありました。たとえば先年、僕を訪ねて、なかなか元気よく議論したある青年がいました。その振る舞いを見ると、きわめて傍若無人で、部屋に入るやいきなりあぐらをかき、口角泡を飛ばして盛んに議論します。僕はこれを見て、なるほど彼は勇気と精力に富んでいると感心しました。彼はひとりでしばらく議論したのち、僕に向かって、 「今日の日本の青年に対して、最も注意すべきことは何ですか」 と質問しました。僕は、彼にあてつけ、皮肉を言うつもりは別になかったのですが、ちょうどそのころ、ある地方の中学校を巡回して、生徒の不行儀なことを特に痛切に感じていたので、 「行儀を正すことが、目下の一大急務です」 と答えました。すると、それまでの豪傑は急に狼狽し始めました。あらわになった膝頭を気にして着物で覆おうとしたり、あぐらをかいていた足をいくぶん組み直して、正座の姿に移ろうとしたりしました。僕はこれを見て、ははあ、この人のこれまでの大言壮語も、その豪放な行儀も、思いつかずにした振る舞いではなく、一時のこしらえた気炎で人を脅かすつもりか、あるいは豪傑ぶってしたことだったのだな、と思いました。彼の英邁な奇行は、道具立ての小細工だとわかって、おかしくなりました。彼は、自分の知る限りの最善を尽くしていなかったのです。むしろ彼の最悪の行儀をしていたのです。自分がすべきでないと知っていることを、わざとしていたのです。 ですから、一言でも話が彼の弱点に及ぶと、胸中でいくらか狼狽する様子が現れ、今まで頼もしい剛胆な青年と思われていた者が、みすぼらしい凡人に立ち返り、勇将が一瞬にして敗残兵となったような観を呈しました。
解説

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本の中身を見るこの章句が説くこと
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自警録・第六章 怖気の矯正・顧みて疚しからずば怖気は起こらぬ話頭は岐路に入ったようであるが、自分の胸中に正しからざる種子が潜伏する以上は、いかに最初は勇敢なるも、いかに初対面のときに豪傑風を装うとも、いかに人に接して偉大なる感を与うることあるも、年を経るにしたがい、その金箔がだんだんに剥げると同時に、その人はますます小さく、臆病にかつ卑怯になる。ゆえに僕は何か人に逢ったり、多数の前に立つ時、怖気を覚ゆればすぐに自分を呼び出し、 「これ稲造、汝は近ごろ、何かバクテリアに罹りはせぬか、どこかで病いの種子を宿しはせぬか」 と自問を発し、あるいは、 「汝は人の前に立ち、少しでもよく自分を思われたいと、自分の真価以上に看板をかけたい了簡なるか、相手の人に褒められたいと思っておりはせぬか、あるいは何か求むる所があって、相手の人にお世辞を述べるか、あるいは妄りに自分を卑下して、なさずともよいお辞儀をなし、みずから五尺四寸の体躯を四尺三尺に縮め、それでも不足すれば、ミルトンの悪魔同然に鳥なり蛇なり蛙なりの程度まで一身を引下げておりはせぬか」。 かく発問すると、なるほどもっともだ、自分は予ての心がけよりも、この点において大いに堕落したと思いあたり、心を取り直し、己れに帰る心地する。して己れの心をそのまま存する者は怖がりもせぬ。怖気は自己の心を離るるより起こる。漢字で立心扁に去る(怯)布く(怖)芒ふ(恾)をつけてこわがるの意を現すも故ありというべし。
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自警録・第六章 怖気の矯正・怖気に処する二種の考えその後、僕はこの経験を思い出すごとに自分の教訓とすることがある。それは天性英雄豪傑ならぬものが、英雄豪傑を気取り、傍若無人を衒い、なに彼奴らがという態度を持することは、あるいはこの方法で成功するものもあるか知らぬが、自分にははなはだ愚かなる方法であると思った。恐らくは他人にも、かかる借り元気は一時の成功を来たすことがあるとも、これをもって常に用うべき策とすべからざるものと思う。これ消極もまたはなはだしきものである。自分に偉い力がないと思いながら、そのない力をあるかのごとく見せ、力ある人を力なきものと仮定し、己れを欺き、人を欺く芸であるから、なかなか骨が折れよう。 これに反し第二の考えは相手の人には力がある、しかも自分より優れた力がある。しかし彼らはこの力を濫用せぬ。自分に対して善用するだろう。我もこれに酬ゆるに相手を軽蔑しあるいは馬鹿者視したりせず、最善を尽すべしと決心する。双方が共に相許し合い、尊敬と同情をもって結びつけられる。何の怖気が起こるべき理由かあらん、何で怖気の起こるべき余地かあらん。
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自警録・第六章 怖気の矯正・始めて試みた英語演説怖気は自信力のとぼしい場合に起こることが多い。「自分はとうていこの任に堪えられぬ」と思えば、手を出すことも怖くなる。 僕がはじめて外国で外国語の演説をしたときは、草稿を携えて行ったが、慣れぬことばで語ることでもあり、かつ聴衆は千有余人もあり、しかも燕尾服着用で聴講料を払って入場した紳士や淑女――一目しても一片の書生たる僕以上の人と見受けられ、加之この時は僕の独り演説であったから、これらの聴衆を見ると、思わず慄然と震えた。 やがて司会者は起って五、六分間、紹介の辞を述べた。この間は僕にとって、生涯忘れられぬ苦痛の瞬間である。場の中央には演壇と椅子があり、その両側には市の有名なる人々が十人ばかりずつ控え、その壮厳なる光景を見ては、なおさら怖気て、手足はブルブルと戦慄した。幸いにして明るくなかったからよかったものの、もし電燈の下にでも立ったなら、いかに顔が青ざめていたであろう。とにかくも、戦きを抑えられぬ。愚かなことをしたものかな、こんな演説を引受けねばよかった、いっそ急病と称して御免を蒙ろうか、何か他の理由をつけて退席せんかと思い煩っている時、ふと浮いた考えが二つあった。一つは、 「ナニ此奴ら、服装こそ美わしけれ、金持ちでこそあれ、高の知れたもののみである。ことに自分の今演べんとすることは、日本に関することではないか、この点については僕は確かに彼らに優れている。少なくとも日本に関する知識においては、彼らはゼロ同然である、否なゼロよりもかえってマイナスであろう。僕が今述ぶる問題の範囲内においては、彼らは取りも直さずまったく無知同様である。かかる人を相手として演説するに、何の怖るることかあらん、この馬鹿者奴らがッ」 としきりに彼らを呑んでかからんとつとめたが、なかなか呑めない。いかに心中では豪傑を衒わんとするも、真底よりの豪傑でないから、ますます怖気てガタガタ戦える。
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自警録・第五章 心強くなる工夫・身体局部の故障より来る気弱気弱は生理的原因に由来することがあるゆえ、これを矯正するには、生理的方法によらねばならぬ。すなわち冷水浴を実行するとか、睡眠が不足するものであれば、充分にこれを取るとか、あるいは営養が不足するの虞があれば、食物を改良するとかせねばならぬ。一般の健康状態はさて措き、ある局部が不良なるために卑屈となり引込勝ちとなり、憂欝にに沈む傾向がありはせぬか。これは僕の推測で、あるいは誤っているかも知らぬが、多くの事実よりかく帰納したく思う。 たとえば目の不良なる人はつねに欝陶しく感じ、したがってますます不愉快を覚え、人の前に出るのを厭うにいたる。それが一歩を進めると、衆人の前に出るのを恐れるようになり、いわゆる気弱となる。また胃弱者のごときもまた同じく、気が始終苛々し、つねに人と交際するのを煩わしく思う。煩わしいのが進むと、怖れを生じて気弱となる。要するに生理的状態より来る不快の観念を除くを得ば、気がさわやかになり、人に逢うても快楽を感じ、したがってますます衆人のあいだに出入し、気弱とか怖気とかが取去られてしまう。 例により僕は自分の恥曝しの経験を述べて参考に供したい。僕は少年のころ、物に怖気ない、大胆不敵、あまりに無遠慮であった。両親の友人などが来ても、臆面もなくその前に出て、しゃべりたいことをしゃべり、家の人々の手にもてあまされた。それが二十歳前後になると、処女も及ばぬように引込勝ちになり、人の前に出るを嫌い、人に顔見られるのを怖れた。いまになってその理由を顧みると、身体の工合、ことに目に関係したのではないかと思う。かくいわばあるいは一つの笑話のごとくに聞き捨つるものもあろうが、若い人々の参考のために一言したい。しかるにその後七、八年のあいだに、また幾分か逆戻りして、怖気がなくなったのは、その間に日常心懸けたこともあるが、一つには身体の工合がよくなったためと思う。
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自警録・第五章 心強くなる工夫・弱点の自覚より起こる気弱(2)前にも僕は子供時代の感情を自白して恥を曝したが、子供のときから顔の醜いことをつねに笑われ、顔がお盆のようだとか、鼻が低いとか、色が黒いとか、眼ばかり大きいとか、お出額がどうとか何とか、つねに人にいわれたために、人の前に出ても、またなんか言われはせぬかという気になり、怖気たのである。公然開放的の顔のことゆえ何ぴとも見るのであるが、その見られるのが怖気を促す。かく何か弱点があって、自分に控目になることの自覚があると怖気る。しかし容貌のごときは腕白小僧にはさほどの感じもないから、幼少のころは平気に聞き流して意に介せなかった。しかるにそれが年頃になると、この自覚を感じ、人の前に出ると恥かしくなり、ことに婦人の前に出ると、前に述べたる生理上の関係のみならず、容貌の醜なるを恥じて気が弱くなる。 かくのごときは歯牙にだもかくる値のなき、まことに些々たることではあるが、世には僕と同じく気の小さなものがあり、あるいは容貌とかあるいは身体の一部に何かの欠点あることを自覚して、羞むものがあるように見受けるから、掲げて参考に供する。
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自警録・第五章 心強くなる工夫・弱点の自覚より起こる気弱(1)自分の弱点を自覚するために怖気ることがある。これは世間に多く見ることで、笑われはせぬか、憎まれはせぬか、嘲られはせぬかと、つねに心に憂うるゆえに、かかる虞ある場所には成るべく欠席せんとする考えが起こる。そうでなくてさえ、人にはいかなる人にても、秘密はあるものである。もっとも秘密だからといって、決して悪いものとは限らぬ。何らの秘密なしと称する人こそ怪しむべきである。何人も隠すべきものをもっている。秘密といえば何か悪事するごとく思い疑わんが、決してそうでない。 処女の羞かしがるは何が一番甚だしきかというに、自分の体にありて、親にも示すべからざるものあるがためである。これは秘密にすべきものではあるが、善悪の標準をもって論ずる限りではない。いな解剖上よりいえば、婦人が婦人としての身体を有せぬが恥ずべきことである。ゆえに各人が秘密を有すればとて決して怪しむに足らぬ当然なことである。この秘密を発見せられはせぬかという観念が人をして怖気させるのである。 京都の人は、「晴がましい」という言葉を使う、すなわち東京のいわゆる、「きまりが悪い」の意で、目立つ所に立ち、多数の環視のもとに出ることを晴がましいといって引込むが、これは何か秘密とすることを発見されはせぬかというに起こる。しかしてこの秘すべきことに、何らかの弱点があれば、この念がいっそう深くなる。