自警録 / 第五章 心強くなる工夫・弱点の自覚より起こる気弱(1)
自分の弱点を自覚するために怖気ることがある。これは世間に多く見ることで、笑われはせぬか、憎まれはせぬか、嘲られはせぬかと、つねに心に憂うるゆえに、かかる虞ある場所には成るべく欠席せんとする考えが起こる。そうでなくてさえ、人にはいかなる人にても、秘密はあるものである。もっとも秘密だからといって、決して悪いものとは限らぬ。何らの秘密なしと称する人こそ怪しむべきである。何人も隠すべきものをもっている。秘密といえば何か悪事するごとく思い疑わんが、決してそうでない。 処女の羞かしがるは何が一番甚だしきかというに、自分の体にありて、親にも示すべからざるものあるがためである。これは秘密にすべきものではあるが、善悪の標準をもって論ずる限りではない。いな解剖上よりいえば、婦人が婦人としての身体を有せぬが恥ずべきことである。ゆえに各人が秘密を有すればとて決して怪しむに足らぬ当然なことである。この秘密を発見せられはせぬかという観念が人をして怖気させるのである。 京都の人は、「晴がましい」という言葉を使う、すなわち東京のいわゆる、「きまりが悪い」の意で、目立つ所に立ち、多数の環視のもとに出ることを晴がましいといって引込むが、これは何か秘密とすることを発見されはせぬかというに起こる。しかしてこの秘すべきことに、何らかの弱点があれば、この念がいっそう深くなる。
書き下し
自分の弱点を自覚するために怖気ることがある。これは世間に多く見ることで、笑われはせぬか、憎まれはせぬか、嘲られはせぬかと、つねに心に憂うるゆえに、かかる虞ある場所には成るべく欠席せんとする考えが起こる。そうでなくてさえ、人にはいかなる人にても、秘密はあるものである。もっとも秘密だからといって、決して悪いものとは限らぬ。何らの秘密なしと称する人こそ怪しむべきである。何人も隠すべきものをもっている。秘密といえば何か悪事するごとく思い疑わんが、決してそうでない。 処女の羞かしがるは何が一番甚だしきかというに、自分の体にありて、親にも示すべからざるものあるがためである。これは秘密にすべきものではあるが、善悪の標準をもって論ずる限りではない。いな解剖上よりいえば、婦人が婦人としての身体を有せぬが恥ずべきことである。ゆえに各人が秘密を有すればとて決して怪しむに足らぬ当然なことである。この秘密を発見せられはせぬかという観念が人をして怖気させるのである。 京都の人は、「晴がましい」という言葉を使う、すなわち東京のいわゆる、「きまりが悪い」の意で、目立つ所に立ち、多数の環視のもとに出ることを晴がましいといって引込むが、これは何か秘密とすることを発見されはせぬかというに起こる。しかしてこの秘すべきことに、何らかの弱点があれば、この念がいっそう深くなる。
現代語訳
自分の弱点を自覚するために怖気づくことがあります。これは世間によく見られることで、笑われはしないか、憎まれはしないか、嘲られはしないかと、いつも心配するので、そのおそれのある場所にはなるべく欠席しようという考えが起こります。そうでなくても、人にはどんな人でも、秘密はあるものです。もっとも、秘密だからといって、決して悪いものとは限りません。何の秘密もないと称する人こそ、怪しむべきです。誰でも隠すべきものを持っています。秘密といえば何か悪事をしているように思い疑いますが、決してそうではありません。 乙女が恥ずかしがるのは、何がいちばんはなはだしいかといえば、自分の体にあって、親にも見せられないものがあるためです。これは秘密にすべきものではありますが、善悪の基準で論じるものではありません。むしろ解剖の上からいえば、婦人が婦人としての身体を備えていないことこそ恥ずべきことです。ですから、人が秘密を持っていても、決して怪しむにあたらない当然のことです。この秘密を発見されはしないかという観念が、人を怖気づかせるのです。 京都の人は「晴れがましい」という言葉を使います。つまり東京でいう「きまりが悪い」の意味で、目立つところに立ち、大勢の視線のもとに出ることを晴れがましいといって引っ込みますが、これは何か秘密にしていることを発見されはしないかというところから起こります。そしてこの秘めたいことに、何かの弱点があれば、この念はいっそう深くなります。
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