自警録 / 第六章 怖気の矯正・始めて試みた英語演説
怖気は自信力のとぼしい場合に起こることが多い。「自分はとうていこの任に堪えられぬ」と思えば、手を出すことも怖くなる。 僕がはじめて外国で外国語の演説をしたときは、草稿を携えて行ったが、慣れぬことばで語ることでもあり、かつ聴衆は千有余人もあり、しかも燕尾服着用で聴講料を払って入場した紳士や淑女――一目しても一片の書生たる僕以上の人と見受けられ、加之この時は僕の独り演説であったから、これらの聴衆を見ると、思わず慄然と震えた。 やがて司会者は起って五、六分間、紹介の辞を述べた。この間は僕にとって、生涯忘れられぬ苦痛の瞬間である。場の中央には演壇と椅子があり、その両側には市の有名なる人々が十人ばかりずつ控え、その壮厳なる光景を見ては、なおさら怖気て、手足はブルブルと戦慄した。幸いにして明るくなかったからよかったものの、もし電燈の下にでも立ったなら、いかに顔が青ざめていたであろう。とにかくも、戦きを抑えられぬ。愚かなことをしたものかな、こんな演説を引受けねばよかった、いっそ急病と称して御免を蒙ろうか、何か他の理由をつけて退席せんかと思い煩っている時、ふと浮いた考えが二つあった。一つは、 「ナニ此奴ら、服装こそ美わしけれ、金持ちでこそあれ、高の知れたもののみである。ことに自分の今演べんとすることは、日本に関することではないか、この点については僕は確かに彼らに優れている。少なくとも日本に関する知識においては、彼らはゼロ同然である、否なゼロよりもかえってマイナスであろう。僕が今述ぶる問題の範囲内においては、彼らは取りも直さずまったく無知同様である。かかる人を相手として演説するに、何の怖るることかあらん、この馬鹿者奴らがッ」 としきりに彼らを呑んでかからんとつとめたが、なかなか呑めない。いかに心中では豪傑を衒わんとするも、真底よりの豪傑でないから、ますます怖気てガタガタ戦える。
新字:怖気は自信力のとぼしい場合に起こることが多い。「自分はとうていこの任に堪えられぬ」と思えば、手を出すことも怖くなる。 僕がはじめて外国で外国語の演説をしたときは、草稿を携えて行ったが、慣れぬことばで語ることでもあり、かつ聴衆は千有余人もあり、しかも燕尾服着用で聴講料を払って入場した紳士や淑女――一目しても一片の書生たる僕以上の人と見受けられ、加之この時は僕の独り演説であったから、これらの聴衆を見ると、思わず慄然と震えた。 やがて司会者は起って五、六分間、紹介の辞を述べた。この間は僕にとって、生涯忘れられぬ苦痛の瞬間である。場の中央には演壇と椅子があり、その両側には市の有名なる人々が十人ばかりずつ控え、その壮厳なる光景を見ては、なおさら怖気て、手足はブルブルと戦慄した。幸いにして明るくなかったからよかったものの、もし電灯の下にでも立ったなら、いかに顔が青ざめていたであろう。とにかくも、戦きを抑えられぬ。愚かなことをしたものかな、こんな演説を引受けねばよかった、いっそ急病と称して御免を蒙ろうか、何か他の理由をつけて退席せんかと思い煩っている時、ふと浮いた考えが二つあった。一つは、 「ナニ此奴ら、服装こそ美わしけれ、金持ちでこそあれ、高の知れたもののみである。ことに自分の今演べんとすることは、日本に関することではないか、この点については僕は確かに彼らに優れている。少なくとも日本に関する知識においては、彼らはゼロ同然である、否なゼロよりもかえってマイナスであろう。僕が今述ぶる問題の範囲内においては、彼らは取りも直さずまったく無知同様である。かかる人を相手として演説するに、何の怖るることかあらん、この馬鹿者奴らがッ」 としきりに彼らを呑んでかからんとつとめたが、なかなか呑めない。いかに心中では豪傑を衒わんとするも、真底よりの豪傑でないから、ますます怖気てガタガタ戦える。
書き下し
怖気は自信力のとぼしい場合に起こることが多い。「自分はとうていこの任に堪えられぬ」と思えば、手を出すことも怖くなる。 僕がはじめて外国で外国語の演説をしたときは、草稿を携えて行ったが、慣れぬことばで語ることでもあり、かつ聴衆は千有余人もあり、しかも燕尾服着用で聴講料を払って入場した紳士や淑女――一目しても一片の書生たる僕以上の人と見受けられ、加之この時は僕の独り演説であったから、これらの聴衆を見ると、思わず慄然と震えた。 やがて司会者は起って五、六分間、紹介の辞を述べた。この間は僕にとって、生涯忘れられぬ苦痛の瞬間である。場の中央には演壇と椅子があり、その両側には市の有名なる人々が十人ばかりずつ控え、その壮厳なる光景を見ては、なおさら怖気て、手足はブルブルと戦慄した。幸いにして明るくなかったからよかったものの、もし電燈の下にでも立ったなら、いかに顔が青ざめていたであろう。とにかくも、戦きを抑えられぬ。愚かなことをしたものかな、こんな演説を引受けねばよかった、いっそ急病と称して御免を蒙ろうか、何か他の理由をつけて退席せんかと思い煩っている時、ふと浮いた考えが二つあった。一つは、 「ナニ此奴ら、服装こそ美わしけれ、金持ちでこそあれ、高の知れたもののみである。ことに自分の今演べんとすることは、日本に関することではないか、この点については僕は確かに彼らに優れている。少なくとも日本に関する知識においては、彼らはゼロ同然である、否なゼロよりもかえってマイナスであろう。僕が今述ぶる問題の範囲内においては、彼らは取りも直さずまったく無知同様である。かかる人を相手として演説するに、何の怖るることかあらん、この馬鹿者奴らがッ」 としきりに彼らを呑んでかからんとつとめたが、なかなか呑めない。いかに心中では豪傑を衒わんとするも、真底よりの豪傑でないから、ますます怖気てガタガタ戦える。
現代語訳
怖気は、自信が乏しいときに起こることが多いものです。「自分にはとうていこの任に堪えられない」と思えば、手を出すことも怖くなります。 僕が初めて外国で外国語の演説をしたときは、原稿を携えて行きましたが、慣れない言葉で話すうえに、聴衆は千人あまりもいて、しかも燕尾服を着て、聴講料を払って入場した紳士淑女たちでした。一目見ても、一介の書生にすぎない僕よりずっと上の人たちと見受けられ、おまけにこの時は僕ひとりの演説でしたから、これらの聴衆を見て、思わずぞっと震えました。 やがて司会者が立ち上がり、五、六分間、紹介の挨拶を述べました。この間は僕にとって、生涯忘れられない苦痛の瞬間でした。会場の中央には演壇と椅子があり、その両側には市の名士たちが十人ばかりずつ控えていて、その荘厳な光景を見ると、いっそう怖気づき、手足はぶるぶると震えました。幸い会場が明るくなかったからよかったものの、もし電灯の下にでも立っていたなら、どれほど顔が青ざめていたことでしょう。とにかく、震えを抑えることができません。愚かなことをしたものだ、こんな演説を引き受けなければよかった、いっそ急病と称して辞退しようか、何か別の理由をつけて退席しようかと思い悩んでいたとき、ふと浮かんだ考えが二つありました。一つは、 「なに、こいつらは服装こそ立派で金持ちではあるが、たかが知れた者ばかりだ。ことに自分がこれから述べようとすることは日本に関することではないか。この点については僕は確かに彼らよりまさっている。少なくとも日本についての知識では、彼らはゼロ同然だ、いやゼロよりもかえってマイナスだろう。僕が今述べる問題の範囲内では、彼らはまったくの無知も同然だ。そんな人を相手に演説するのに、何を恐れることがあろうか、この馬鹿者どもめ」 というものでした。しきりに彼らを呑んでかかろうとつとめましたが、なかなか呑めません。心の中でどれほど豪傑ぶろうとしても、心底からの豪傑ではありませんから、ますます怖気づいてがたがたと震えました。
解説

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本の中身を見るこの章句が説くこと
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自警録・第六章 怖気の矯正・演説の顫いを止めた経験すでにしてまた一つの考えが起こった。 「この席に来た人々は日本に関する知識を求めに来たので、決して雄弁や能弁を聴くつもりで来たのでない。日本人が英語を操るのであれば、定めしブロークンな英語であろう。演説の良否よりも、内容が半分も解れば、それで足るくらいに思うであろう。また恐らくは傍聴の半数以上は聴くよりも日本人を見に来たのであろう。僕の演説を充分に解することはその期待せぬところであろう。もし彼らが僕の演説を半ばなりとも了解し得たならば彼の人は感心によく英語を話したと思ってくれるだろう。発音の訛りや、文法の誤謬などはかえって愛嬌の種子になるくらいのものだ。なるほどこの演説は自分にとっては責任が重い。しかし聴衆にして心あらば、任の重きに対して同情してくれるだろう。ゆえに演説中に誤りを笑うものがあるとも、その笑いは冷笑でない。また出来損ねたからとて、あながち国名を汚すことともなるまい。ブロークンながらも怯めず臆せず元気よくやるがよい」と。 かく自分勝手の理屈を考えて、覚悟をしたら、今までの顫いがとまった。わずかに五、六分間であったが、その間に頭脳の考えは二回変った。しかしていよいよ起った時には平然として何のこともなく、草稿にない戯談なども臨時に揷入し、幸いに案外の喝采をうけた。
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自警録・第六章 怖気の矯正・信じてかかれば怖気ないそこで僕が自分の恥を晒らして物語り、怖気る人の参考に供したき要点は、相手を信じてかかれということである。渡る世間に鬼はない、鬼でさえ頼めば人を食わぬ。窮鳥懐に入れば猟夫もこれを殺さぬ。怖気たり臆病な人も、他に信じてかかれば怖るることがなくなる。僕はこの一時の経験により、自分の心理状態に一大改革を経たように思う。あるいは読者中には、粗雑にしてかつ乱雑なる僕の演説を聞かれた人もあろうが、こんにち日本においても聴衆の前に立ち、何らの腹案もなく述べ出す。 学術上のことはさて措き、日ごろ思っている考え、日ごろ懐ける感情を述ぶるに、何の怖れることもない。ありのままに口を開け、「腸見せる柘榴」同然にやる。隠したところが、数百の聴衆は僕よりもいっそう鋭敏なる眼をもって見つつある。隠さんとしても隠しきれぬ。急に君子顔を装ったとて、また言葉だけに珠をつらねたとても、音調に得た所がなければ、聴衆の嘲弄を招くばかりである。またその場に急に英雄豪傑を真似たとて、その腹の底に胆力がなければ、話しているあいだの姿勢にて暴露する。聴衆は自分よりも具眼の士であると、彼らを信じてかかれば、かえって怖しくなくなる。同じ獅子の穴に入るにしても、相手が己れを食らうなど思えばおそろしくなるが、この獅子は妄りに人を食わぬことが分かれば、恐怖の念が去る。ゆえに僕は怖気る人に対し特筆して注意したきことは、相手の人を疑うことなかれ、相手の人に好意をもってすれば、彼らもまた君に対し好意を懐くものであると。
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自警録・第六章 怖気の矯正・顧みて疚しからずば怖気は起こらぬ話頭は岐路に入ったようであるが、自分の胸中に正しからざる種子が潜伏する以上は、いかに最初は勇敢なるも、いかに初対面のときに豪傑風を装うとも、いかに人に接して偉大なる感を与うることあるも、年を経るにしたがい、その金箔がだんだんに剥げると同時に、その人はますます小さく、臆病にかつ卑怯になる。ゆえに僕は何か人に逢ったり、多数の前に立つ時、怖気を覚ゆればすぐに自分を呼び出し、 「これ稲造、汝は近ごろ、何かバクテリアに罹りはせぬか、どこかで病いの種子を宿しはせぬか」 と自問を発し、あるいは、 「汝は人の前に立ち、少しでもよく自分を思われたいと、自分の真価以上に看板をかけたい了簡なるか、相手の人に褒められたいと思っておりはせぬか、あるいは何か求むる所があって、相手の人にお世辞を述べるか、あるいは妄りに自分を卑下して、なさずともよいお辞儀をなし、みずから五尺四寸の体躯を四尺三尺に縮め、それでも不足すれば、ミルトンの悪魔同然に鳥なり蛇なり蛙なりの程度まで一身を引下げておりはせぬか」。 かく発問すると、なるほどもっともだ、自分は予ての心がけよりも、この点において大いに堕落したと思いあたり、心を取り直し、己れに帰る心地する。して己れの心をそのまま存する者は怖がりもせぬ。怖気は自己の心を離るるより起こる。漢字で立心扁に去る(怯)布く(怖)芒ふ(恾)をつけてこわがるの意を現すも故ありというべし。
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自警録・第六章 怖気の矯正・怖気に処する二種の考えその後、僕はこの経験を思い出すごとに自分の教訓とすることがある。それは天性英雄豪傑ならぬものが、英雄豪傑を気取り、傍若無人を衒い、なに彼奴らがという態度を持することは、あるいはこの方法で成功するものもあるか知らぬが、自分にははなはだ愚かなる方法であると思った。恐らくは他人にも、かかる借り元気は一時の成功を来たすことがあるとも、これをもって常に用うべき策とすべからざるものと思う。これ消極もまたはなはだしきものである。自分に偉い力がないと思いながら、そのない力をあるかのごとく見せ、力ある人を力なきものと仮定し、己れを欺き、人を欺く芸であるから、なかなか骨が折れよう。 これに反し第二の考えは相手の人には力がある、しかも自分より優れた力がある。しかし彼らはこの力を濫用せぬ。自分に対して善用するだろう。我もこれに酬ゆるに相手を軽蔑しあるいは馬鹿者視したりせず、最善を尽すべしと決心する。双方が共に相許し合い、尊敬と同情をもって結びつけられる。何の怖気が起こるべき理由かあらん、何で怖気の起こるべき余地かあらん。
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自警録・第六章 怖気の矯正・暗いところがあると怖気出すこれに反し自分に最善を尽しておらぬものは、何かの時に退けを取りやすい。恥ずかしいが、僕もしばしば自分でこれを経験したことがある。かようなことは相手も知っておるまいと、思って大きな顔している間に、はしなくも話頭がみずから犯した罪に、すこしでも触れると、すぐにビクつき、あるいは顔色が変わり、あるいは声が顫え、あるいはその言うことに辻褄が合わなくなり、あるいは極上等に出来たとしても、話頭を漸々に曲げて自分の痛いところより遠く離さんとし、然らざれば正反対に自分の弱点を弁護するごとき議論や物語をしたりする。 これは僕自身にそういう経験があるのみならず、また他人に逢っても、自分みたいなことをやっているわいと感じたことが間々あった。たとえば前年僕を訪ねて、なかなか元気よく議論したある青年があった。その挙動を見るとすこぶる傍若無人で、室に入るや否やいきなり趺座をかき、口角に泡を飛ばして盛んに議論する。僕はこれを見てなるほど彼は勇気精力に富むと感心した。彼が独りで暫時議論したのち、僕にむかい、 「今日の日本の青年に対し最も注意すべきものは何か」 と質問を発した。僕はあながち彼に対してあてつけ、皮肉をいうつもりはなかったが、あたかもそのころある地方の中学を巡廻し、生徒の不行儀なることを、ことに痛切に感じていたから、僕は、 「行儀を正すことが目下の一大急務なり」 というや、今までの豪傑は急に狼狽しはじめた。露出した膝頭を気にして、衣服で掩わんとしたり、あるいは趺座をかいた足を幾分かむすび直し、正座の姿に移らんとした。僕はこれを見て、ハハア、この人が今までの大言壮語も、その磊落の行儀も、思いつかずになした業でなく、一時の拵え気焔で人を脅かすつもりか、あるいは豪傑を衒っての業であったのだな。彼の英邁奇行は道具立ての小細工たるを見て可笑しくなった。彼はその知れる限りの最美を尽しておらぬ。むしろ彼の最悪の行儀をなしていたのである。自分が為すべからざることと知れることを、ことさらに為していたのである。 ゆえに一言でも話頭が彼の弱点に渉ると、胸中幾分か狼狽するの風情が現れ、今まで頼もしい剛胆なる青年と思われたものが、見すぼらしい凡人に立ち返り、勇将が一時に敗兵となった観を呈した。
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自警録・第五章 心強くなる工夫・弱点の自覚より起こる気弱(2)前にも僕は子供時代の感情を自白して恥を曝したが、子供のときから顔の醜いことをつねに笑われ、顔がお盆のようだとか、鼻が低いとか、色が黒いとか、眼ばかり大きいとか、お出額がどうとか何とか、つねに人にいわれたために、人の前に出ても、またなんか言われはせぬかという気になり、怖気たのである。公然開放的の顔のことゆえ何ぴとも見るのであるが、その見られるのが怖気を促す。かく何か弱点があって、自分に控目になることの自覚があると怖気る。しかし容貌のごときは腕白小僧にはさほどの感じもないから、幼少のころは平気に聞き流して意に介せなかった。しかるにそれが年頃になると、この自覚を感じ、人の前に出ると恥かしくなり、ことに婦人の前に出ると、前に述べたる生理上の関係のみならず、容貌の醜なるを恥じて気が弱くなる。 かくのごときは歯牙にだもかくる値のなき、まことに些々たることではあるが、世には僕と同じく気の小さなものがあり、あるいは容貌とかあるいは身体の一部に何かの欠点あることを自覚して、羞むものがあるように見受けるから、掲げて参考に供する。