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自警録 / 第六章 怖気の矯正・顧みて疚しからずば怖気は起こらぬ

話頭は岐路に入ったようであるが、自分の胸中に正しからざる種子が潜伏する以上は、いかに最初は勇敢なるも、いかに初対面のときに豪傑風を装うとも、いかに人に接して偉大なる感を与うることあるも、年を経るにしたがい、その金箔がだんだんに剥げると同時に、その人はますます小さく、臆病にかつ卑怯になる。ゆえに僕は何か人に逢ったり、多数の前に立つ時、怖気を覚ゆればすぐに自分を呼び出し、 「これ稲造、汝は近ごろ、何かバクテリアに罹りはせぬか、どこかで病いの種子を宿しはせぬか」 と自問を発し、あるいは、 「汝は人の前に立ち、少しでもよく自分を思われたいと、自分の真価以上に看板をかけたい了簡なるか、相手の人に褒められたいと思っておりはせぬか、あるいは何か求むる所があって、相手の人にお世辞を述べるか、あるいは妄りに自分を卑下して、なさずともよいお辞儀をなし、みずから五尺四寸の体躯を四尺三尺に縮め、それでも不足すれば、ミルトンの悪魔同然に鳥なり蛇なり蛙なりの程度まで一身を引下げておりはせぬか」。 かく発問すると、なるほどもっともだ、自分は予ての心がけよりも、この点において大いに堕落したと思いあたり、心を取り直し、己れに帰る心地する。して己れの心をそのまま存する者は怖がりもせぬ。怖気は自己の心を離るるより起こる。漢字で立心扁に去る(怯)布く(怖)芒ふ(恾)をつけてこわがるの意を現すも故ありというべし。

書き下し

話頭は岐路に入ったようであるが、自分の胸中に正しからざる種子が潜伏する以上は、いかに最初は勇敢なるも、いかに初対面のときに豪傑風を装うとも、いかに人に接して偉大なる感を与うることあるも、年を経るにしたがい、その金箔がだんだんに剥げると同時に、その人はますます小さく、臆病にかつ卑怯になる。ゆえに僕は何か人に逢ったり、多数の前に立つ時、怖気を覚ゆればすぐに自分を呼び出し、 「これ稲造、汝は近ごろ、何かバクテリアに罹りはせぬか、どこかで病いの種子を宿しはせぬか」 と自問を発し、あるいは、 「汝は人の前に立ち、少しでもよく自分を思われたいと、自分の真価以上に看板をかけたい了簡なるか、相手の人に褒められたいと思っておりはせぬか、あるいは何か求むる所があって、相手の人にお世辞を述べるか、あるいは妄りに自分を卑下して、なさずともよいお辞儀をなし、みずから五尺四寸の体躯を四尺三尺に縮め、それでも不足すれば、ミルトンの悪魔同然に鳥なり蛇なり蛙なりの程度まで一身を引下げておりはせぬか」。 かく発問すると、なるほどもっともだ、自分は予ての心がけよりも、この点において大いに堕落したと思いあたり、心を取り直し、己れに帰る心地する。して己れの心をそのまま存する者は怖がりもせぬ。怖気は自己の心を離るるより起こる。漢字で立心扁に去る(怯)布く(怖)芒ふ(恾)をつけてこわがるの意を現すも故ありというべし。

現代語訳

話は脇道に入ったようですが、自分の胸中に正しくない種子が潜んでいる以上は、最初はどれほど勇敢であっても、初対面のときにどれほど豪傑風を装っても、人に接して偉大な感じを与えることがあっても、年月を経るにつれて、その金箔がだんだんはげるとともに、その人はますます小さく、臆病に、そして卑怯になります。ですから僕は、誰かに会ったり、大勢の前に立ったりして怖気を覚えると、すぐに自分を呼び出して、 「これ稲造、おまえは近ごろ、何かバクテリアにかかってはいないか、どこかで病の種子を宿してはいないか」 と自問します。あるいは、 「おまえは人の前に立って、少しでもよく思われたいと、自分の真価以上に看板をかけるつもりなのか、相手の人に褒められたいと思ってはいないか、あるいは何か求めるところがあって相手にお世辞を述べてはいないか、あるいはむやみに自分を卑下して、しなくてもよいお辞儀をし、自ら五尺四寸の体を四尺三尺に縮め、それでも足りなければ、ミルトンの悪魔のように鳥や蛇や蛙の程度にまで身を引き下げてはいないか」 このように問うと、なるほどもっともだ、自分は日ごろの心がけよりも、この点で大いに堕落したと思い当たり、心を取り直して、自分に帰る心地がします。そして自分の心をそのまま保っている者は、怖がりもしません。怖気は、自己の心を離れることから起こります。漢字で、立心偏に去(怯)、布(怖)、芒(恾)をつけて、こわがるという意味を表すのも、理由のあることといえましょう。

解説

第六章のまとめです。新渡戸は怖気を感じたとき、自分に病の種子が入り込んでいないかと問いかけます。見栄を張っていないか、お世辞を言っていないか、必要以上に卑下していないか。怖気は自己の心を離れることから起こる、という洞察が核です。ここで挙げられた、水増しの看板と過剰な卑下は、方向は逆でも同じ偽りです。営業や交渉の場で萎縮したときも、相手が怖いのではなく自分の姿勢がずれていないかを点検する、という実践的な方法です。
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この章句が説くこと

怖気自問見栄卑下自己に帰る怯

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