自警録 / 第五章 心強くなる工夫・弱点の自覚より起こる気弱(2)
前にも僕は子供時代の感情を自白して恥を曝したが、子供のときから顔の醜いことをつねに笑われ、顔がお盆のようだとか、鼻が低いとか、色が黒いとか、眼ばかり大きいとか、お出額がどうとか何とか、つねに人にいわれたために、人の前に出ても、またなんか言われはせぬかという気になり、怖気たのである。公然開放的の顔のことゆえ何ぴとも見るのであるが、その見られるのが怖気を促す。かく何か弱点があって、自分に控目になることの自覚があると怖気る。しかし容貌のごときは腕白小僧にはさほどの感じもないから、幼少のころは平気に聞き流して意に介せなかった。しかるにそれが年頃になると、この自覚を感じ、人の前に出ると恥かしくなり、ことに婦人の前に出ると、前に述べたる生理上の関係のみならず、容貌の醜なるを恥じて気が弱くなる。 かくのごときは歯牙にだもかくる値のなき、まことに些々たることではあるが、世には僕と同じく気の小さなものがあり、あるいは容貌とかあるいは身体の一部に何かの欠点あることを自覚して、羞むものがあるように見受けるから、掲げて参考に供する。
書き下し
前にも僕は子供時代の感情を自白して恥を曝したが、子供のときから顔の醜いことをつねに笑われ、顔がお盆のようだとか、鼻が低いとか、色が黒いとか、眼ばかり大きいとか、お出額がどうとか何とか、つねに人にいわれたために、人の前に出ても、またなんか言われはせぬかという気になり、怖気たのである。公然開放的の顔のことゆえ何ぴとも見るのであるが、その見られるのが怖気を促す。かく何か弱点があって、自分に控目になることの自覚があると怖気る。しかし容貌のごときは腕白小僧にはさほどの感じもないから、幼少のころは平気に聞き流して意に介せなかった。しかるにそれが年頃になると、この自覚を感じ、人の前に出ると恥かしくなり、ことに婦人の前に出ると、前に述べたる生理上の関係のみならず、容貌の醜なるを恥じて気が弱くなる。 かくのごときは歯牙にだもかくる値のなき、まことに些々たることではあるが、世には僕と同じく気の小さなものがあり、あるいは容貌とかあるいは身体の一部に何かの欠点あることを自覚して、羞むものがあるように見受けるから、掲げて参考に供する。
現代語訳
前にも私は子供時代の感情を打ち明けて恥をさらしましたが、子供のときから顔が醜いことをいつも笑われ、顔がお盆のようだとか、鼻が低いとか、色が黒いとか、目ばかり大きいとか、おでこがどうとか、いつも人に言われたために、人前に出ても、また何か言われはしないかという気になり、怖気づいたのです。顔は公然と開け放たれたものですので、誰もが見ますが、その見られることが怖気を促します。このように何か弱点があって、自分が控えめにならざるを得ないという自覚があると、怖気づきます。しかし容貌のようなものは、腕白小僧にはさほど感じられないので、幼少の頃は平気で聞き流して、意に介しませんでした。ところが年頃になると、この自覚を感じ、人前に出ると恥ずかしくなり、とくに婦人の前に出ると、前に述べた生理上の関係のみならず、容貌の醜さを恥じて気が弱くなりました。 このようなことは、歯牙にもかける値打ちのない、まことにささいなことではありますが、世には私と同じく気の小さな者がいて、容貌とか、あるいは身体の一部に何か欠点があることを自覚して、恥じる者があるように見受けますので、掲げて参考に供します。
解説

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自警録・第五章 心強くなる工夫・弱点の自覚より起こる気弱(1)自分の弱点を自覚するために怖気ることがある。これは世間に多く見ることで、笑われはせぬか、憎まれはせぬか、嘲られはせぬかと、つねに心に憂うるゆえに、かかる虞ある場所には成るべく欠席せんとする考えが起こる。そうでなくてさえ、人にはいかなる人にても、秘密はあるものである。もっとも秘密だからといって、決して悪いものとは限らぬ。何らの秘密なしと称する人こそ怪しむべきである。何人も隠すべきものをもっている。秘密といえば何か悪事するごとく思い疑わんが、決してそうでない。 処女の羞かしがるは何が一番甚だしきかというに、自分の体にありて、親にも示すべからざるものあるがためである。これは秘密にすべきものではあるが、善悪の標準をもって論ずる限りではない。いな解剖上よりいえば、婦人が婦人としての身体を有せぬが恥ずべきことである。ゆえに各人が秘密を有すればとて決して怪しむに足らぬ当然なことである。この秘密を発見せられはせぬかという観念が人をして怖気させるのである。 京都の人は、「晴がましい」という言葉を使う、すなわち東京のいわゆる、「きまりが悪い」の意で、目立つ所に立ち、多数の環視のもとに出ることを晴がましいといって引込むが、これは何か秘密とすることを発見されはせぬかというに起こる。しかしてこの秘すべきことに、何らかの弱点があれば、この念がいっそう深くなる。
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自警録・第五章 心強くなる工夫・身体局部の故障より来る気弱気弱は生理的原因に由来することがあるゆえ、これを矯正するには、生理的方法によらねばならぬ。すなわち冷水浴を実行するとか、睡眠が不足するものであれば、充分にこれを取るとか、あるいは営養が不足するの虞があれば、食物を改良するとかせねばならぬ。一般の健康状態はさて措き、ある局部が不良なるために卑屈となり引込勝ちとなり、憂欝にに沈む傾向がありはせぬか。これは僕の推測で、あるいは誤っているかも知らぬが、多くの事実よりかく帰納したく思う。 たとえば目の不良なる人はつねに欝陶しく感じ、したがってますます不愉快を覚え、人の前に出るのを厭うにいたる。それが一歩を進めると、衆人の前に出るのを恐れるようになり、いわゆる気弱となる。また胃弱者のごときもまた同じく、気が始終苛々し、つねに人と交際するのを煩わしく思う。煩わしいのが進むと、怖れを生じて気弱となる。要するに生理的状態より来る不快の観念を除くを得ば、気がさわやかになり、人に逢うても快楽を感じ、したがってますます衆人のあいだに出入し、気弱とか怖気とかが取去られてしまう。 例により僕は自分の恥曝しの経験を述べて参考に供したい。僕は少年のころ、物に怖気ない、大胆不敵、あまりに無遠慮であった。両親の友人などが来ても、臆面もなくその前に出て、しゃべりたいことをしゃべり、家の人々の手にもてあまされた。それが二十歳前後になると、処女も及ばぬように引込勝ちになり、人の前に出るを嫌い、人に顔見られるのを怖れた。いまになってその理由を顧みると、身体の工合、ことに目に関係したのではないかと思う。かくいわばあるいは一つの笑話のごとくに聞き捨つるものもあろうが、若い人々の参考のために一言したい。しかるにその後七、八年のあいだに、また幾分か逆戻りして、怖気がなくなったのは、その間に日常心懸けたこともあるが、一つには身体の工合がよくなったためと思う。
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自警録・第五章 心強くなる工夫・容貌や秘密の暴露は恥とならぬこれが矯正策としては、顔が醜いとても美顔術をほどこす必要もなかろう。蓼食う虫もある世の中にはまったく棄てる物はない。いかに顔が醜いとても、またそれ相応の天職もあろう。ことに容貌は解剖的のものでなく、心の作用によりては、少なくともその表情を変えることが出来る。そして人の顔色を読むには、骨格肉付きの如何よりも、むしろその表情によることが多い。米国の大統領リンカーンは有名な醜男子であった。しかるに親しくこの人に接したものは、彼の青ざめた顔、大きな口、凹んだ眼を忘れてその慈愛に富んだ表情にのみチャームされた。 顔の改造は出来なくとも、心の改良は出来る。また心を改良すればただちにそれが顔に現るることなくとも、またその見分けのつかぬぐらいの人から親しみを受ける価値もないように思わるるが、何を苦しんでか外部の顔のために進取の気象を奪われ、いたずらに卑屈に引込勝ちになろう、と思えば心も晴々しくなって来る。 また外部に現れぬ秘密の事にしても、道徳上恥ずるに足らぬ秘密ならば、すなわち人には明せられぬが、己れが心に明し、あるいは天に明して恥ずべきことでない秘密ならば、暴露したところでこれまた一場の笑話となるか、愛嬌談となるにとどまり、これがために心を痛め、胸を苦しめ、人に顔見らるるを怖るるにあたらない。 田舎から上京した人は東京風を知らぬゆえに、何かにつき無礼を振舞いはせぬかとどきどきする。自分の心に尋ねて人に無礼を加うる念が毛頭なければ、動作の調わぬことなどは、人も宥すであろう、また自分の良心も必ずこれを宥すものである。
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自警録・第六章 怖気の矯正・始めて試みた英語演説怖気は自信力のとぼしい場合に起こることが多い。「自分はとうていこの任に堪えられぬ」と思えば、手を出すことも怖くなる。 僕がはじめて外国で外国語の演説をしたときは、草稿を携えて行ったが、慣れぬことばで語ることでもあり、かつ聴衆は千有余人もあり、しかも燕尾服着用で聴講料を払って入場した紳士や淑女――一目しても一片の書生たる僕以上の人と見受けられ、加之この時は僕の独り演説であったから、これらの聴衆を見ると、思わず慄然と震えた。 やがて司会者は起って五、六分間、紹介の辞を述べた。この間は僕にとって、生涯忘れられぬ苦痛の瞬間である。場の中央には演壇と椅子があり、その両側には市の有名なる人々が十人ばかりずつ控え、その壮厳なる光景を見ては、なおさら怖気て、手足はブルブルと戦慄した。幸いにして明るくなかったからよかったものの、もし電燈の下にでも立ったなら、いかに顔が青ざめていたであろう。とにかくも、戦きを抑えられぬ。愚かなことをしたものかな、こんな演説を引受けねばよかった、いっそ急病と称して御免を蒙ろうか、何か他の理由をつけて退席せんかと思い煩っている時、ふと浮いた考えが二つあった。一つは、 「ナニ此奴ら、服装こそ美わしけれ、金持ちでこそあれ、高の知れたもののみである。ことに自分の今演べんとすることは、日本に関することではないか、この点については僕は確かに彼らに優れている。少なくとも日本に関する知識においては、彼らはゼロ同然である、否なゼロよりもかえってマイナスであろう。僕が今述ぶる問題の範囲内においては、彼らは取りも直さずまったく無知同様である。かかる人を相手として演説するに、何の怖るることかあらん、この馬鹿者奴らがッ」 としきりに彼らを呑んでかからんとつとめたが、なかなか呑めない。いかに心中では豪傑を衒わんとするも、真底よりの豪傑でないから、ますます怖気てガタガタ戦える。
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