自警録 / 第五章 心強くなる工夫・自分の心得の最善を尽せば無作法も宥される
事の真偽は知らぬが、明治の初年ごろに西郷はじめ維新の豪傑連がはじめて御陪食を仰付けられたことがあったという。いずれも田舎侍で、西洋料理などは見たことのない連中のみで、中には作法を知らぬゆえ、いかなるご無礼をせぬとも限らぬと、戦々兢々とし、むしろ御陪食の栄をご辞退申し上げんとしたものもあった。 いよいよ当日になり、玉座に近き食卓につくと、ろくろく落着いて手を出すものも、口を開くものもなかった。そこで西郷は起って口を開き厚くご陪食の御礼を申し上げ、かつこれに加えて、 「小臣らはいずれも田舎侍で、九重の御作法にははなはだ心得が薄いもののみでござりまする。ただ一身をもって陛下の御ために捧げ奉ることのみを心得、他には何らの心得なきものであれば、今この席においてもあるいは御作法に背くごときことがあるかも存じませぬ。ただ陛下に対し奉る至誠に免じてお許しを願う」 と挨拶して席につき、スープを飲むに、両手を皿にかけて捧げグイと飲んだという。 もしこれが知っておりながら、少しく奇人を衒い、英雄を真似たとすれば、無礼の誹をまぬかれぬが、自分の心得の最善を尽している以上は、行儀作法に多少の欠点ありとするも、人はこれを宥すものである。自分は行儀を知らず、作法が分からぬと、自分の弱点を知ったとても、人の前に出て、決して臆することはない。またそんなことを気にして、かれこれいうような人なれば、友として交際する価値なきものと思う。 後藤男爵が少年のころ、何かの折りに、岩倉公の前に召され、菓子を饗された。地方からポット出の男は怯めず臆せず、その席上でムシャムシャと菓子を食った。しかし決して岩倉公に無礼を加うる考えなく、ただ食えといわれたから食ったまでで、いわば至当のことをなしたに過ぎぬ。しかるに後になって、かかる饗応の前で妄りに食うものでないと言い聞かされ、男は定めし岩倉公の御不興を受けたであろうと思いしが、翌日にいたり公より昨日来た青年は菓子が嗜だと見えるというて、かえって一箱の菓子を送られたという。しかし僕は繰り返していう。かくのごときことを聞き、豪傑才子を気取って、わざと礼儀作法を破るものがあれば、これすなわち自己と他人を欺くものであるが、この欺く心がなければ、たとえ自己の弱点を見られたところで、たいした恥にならぬ。したがって一向怖るべきこともない。
書き下し
事の真偽は知らぬが、明治の初年ごろに西郷はじめ維新の豪傑連がはじめて御陪食を仰付けられたことがあったという。いずれも田舎侍で、西洋料理などは見たことのない連中のみで、中には作法を知らぬゆえ、いかなるご無礼をせぬとも限らぬと、戦々兢々とし、むしろ御陪食の栄をご辞退申し上げんとしたものもあった。 いよいよ当日になり、玉座に近き食卓につくと、ろくろく落着いて手を出すものも、口を開くものもなかった。そこで西郷は起って口を開き厚くご陪食の御礼を申し上げ、かつこれに加えて、 「小臣らはいずれも田舎侍で、九重の御作法にははなはだ心得が薄いもののみでござりまする。ただ一身をもって陛下の御ために捧げ奉ることのみを心得、他には何らの心得なきものであれば、今この席においてもあるいは御作法に背くごときことがあるかも存じませぬ。ただ陛下に対し奉る至誠に免じてお許しを願う」 と挨拶して席につき、スープを飲むに、両手を皿にかけて捧げグイと飲んだという。 もしこれが知っておりながら、少しく奇人を衒い、英雄を真似たとすれば、無礼の誹をまぬかれぬが、自分の心得の最善を尽している以上は、行儀作法に多少の欠点ありとするも、人はこれを宥すものである。自分は行儀を知らず、作法が分からぬと、自分の弱点を知ったとても、人の前に出て、決して臆することはない。またそんなことを気にして、かれこれいうような人なれば、友として交際する価値なきものと思う。 後藤男爵が少年のころ、何かの折りに、岩倉公の前に召され、菓子を饗された。地方からポット出の男は怯めず臆せず、その席上でムシャムシャと菓子を食った。しかし決して岩倉公に無礼を加うる考えなく、ただ食えといわれたから食ったまでで、いわば至当のことをなしたに過ぎぬ。しかるに後になって、かかる饗応の前で妄りに食うものでないと言い聞かされ、男は定めし岩倉公の御不興を受けたであろうと思いしが、翌日にいたり公より昨日来た青年は菓子が嗜だと見えるというて、かえって一箱の菓子を送られたという。しかし僕は繰り返していう。かくのごときことを聞き、豪傑才子を気取って、わざと礼儀作法を破るものがあれば、これすなわち自己と他人を欺くものであるが、この欺く心がなければ、たとえ自己の弱点を見られたところで、たいした恥にならぬ。したがって一向怖るべきこともない。
現代語訳
真偽のほどは知りませんが、明治の初年ごろ、西郷隆盛をはじめ維新の豪傑たちが、初めて天皇の陪食を仰せつけられたことがあったそうです。いずれも田舎侍で、西洋料理など見たこともない者ばかりでした。中には作法を知らないので、どんな無礼をしでかすかわからないと戦々恐々とし、むしろ陪食の栄をご辞退申し上げようとした者もいました。 いよいよ当日になり、玉座に近い食卓につくと、落ち着いて手を出す者も口を開く者もいませんでした。そこで西郷が立ち上がり、陪食を賜ったことへの厚い御礼を述べ、さらにこう加えました。 「私どもはいずれも田舎侍で、宮中のご作法についてはまことに心得の薄い者ばかりでございます。ただ一身を陛下のためにささげ奉ることだけを心得とし、ほかには何の心得もない者でございますので、今この席でも、ご作法に背くようなことがあるかもしれません。ただ陛下に対し奉る真心に免じて、お許しを願います」 こう挨拶して席につき、スープを飲むのに、両手で皿を持ち上げてぐいと飲んだといいます。 もし知っていながら、少し変わり者ぶって英雄の真似をしたのであれば、無礼のそしりを免れませんが、自分の心得の最善を尽くしている以上、行儀作法に多少の欠点があっても、人は許してくれるものです。自分は行儀を知らず、作法がわからないと、自分の弱点を知っていたとしても、人の前に出て決して臆することはありません。またそんなことを気にして、あれこれ言うような人なら、友として付き合う価値のない人だと思います。 後藤男爵が少年のころ、何かの折に岩倉公の前に召され、菓子をふるまわれました。地方から出てきたばかりの男は、ひるまず臆せず、その席でむしゃむしゃと菓子を食べました。しかし岩倉公に無礼を加える考えは決してなく、ただ食べよと言われたから食べただけで、いわば当然のことをしたにすぎません。ところが後になって、このような饗応の席でむやみに食べるものではないと言い聞かされ、さぞ岩倉公のご不興を買っただろうと思っていたところ、翌日になって公から、昨日来た青年は菓子が好きなようだと言って、かえって一箱の菓子を送られたといいます。しかし僕は繰り返して言います。こうした話を聞いて、豪傑や才子を気取り、わざと礼儀作法を破る者がいれば、それは自分も他人も欺くことですが、この欺く心がなければ、たとえ自分の弱点を見られたところで、たいした恥にはなりません。したがって、少しも恐れることはないのです。
解説

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本の中身を見るこの章句が説くこと
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自警録・第四章 外は柔、内は剛・英雄に現れた内外の差違西郷南洲が始めて橋本左内に会うたとき、こんな柔しい男が何で国事を談ずるに足るだろうかと、心ひそかに軽蔑したことを、後にいたって自白している。さもあったろうと思う。聞くところによれば橋本という人は、外見はまことに温和に柔順な好男子であったから、この人の心情を知らぬものは、この柔順らしい皮の下に、いかに燃ゆるがごとき熱血が流れつつあったかを悟ることが出来なかった。また同じ西郷が藤田東湖に会った後、人に向い、 「追剥ぎみたいな人物だ」 と評したという。これもさもあったであろう。氏は躯幹長大にしてたくましく、色が黒かったそうであるから、外観を見ては、その血管にいかに柔和な心があり、しかして母の危急を救うためには自分の生命までも投げ出すことを常人は察し得ぬであろう。また南洲自身についていえば、見ようによりては外貌が怖ろしい人のようにも思われ、あるいは子供も馴染むような柔和な点もあった。ちょっと見ても、その烱々として大きくかがやく眼は怖ろしいが、その奥底にはいうべからざる愛情がこもり、近づくものをみな惹きつけねばやまぬ趣があったという。 こういうことは決して世に稀でない。ちょっと会っては虫も殺さぬような柔和な、ほとんど女のごとき人でも、だんだん交際ってみるにしたがい、なかなか硬骨で、一たび言い出すと決してあとへ退かぬ人もあるし、また外部から見るといかにも凛々しく、衣は骭に至り袖腕に至り、鬼とも組打ちしそうな風采をなしていても、内心柔和な女のような人を往々見受ける。 外貌と内実との相反することは稀でない。この柔と剛とは善い意味にも悪い意味にも解される。いま述べた女のごとくというのも、また同じく善悪両様に解される。女々しいとか、意気地なしにも解れるが、僕のここに用いた女らしいというは善意に解いたので、温和柔順の意味である。
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自警録・第六章 怖気の矯正・怖気に処する二種の考えその後、僕はこの経験を思い出すごとに自分の教訓とすることがある。それは天性英雄豪傑ならぬものが、英雄豪傑を気取り、傍若無人を衒い、なに彼奴らがという態度を持することは、あるいはこの方法で成功するものもあるか知らぬが、自分にははなはだ愚かなる方法であると思った。恐らくは他人にも、かかる借り元気は一時の成功を来たすことがあるとも、これをもって常に用うべき策とすべからざるものと思う。これ消極もまたはなはだしきものである。自分に偉い力がないと思いながら、そのない力をあるかのごとく見せ、力ある人を力なきものと仮定し、己れを欺き、人を欺く芸であるから、なかなか骨が折れよう。 これに反し第二の考えは相手の人には力がある、しかも自分より優れた力がある。しかし彼らはこの力を濫用せぬ。自分に対して善用するだろう。我もこれに酬ゆるに相手を軽蔑しあるいは馬鹿者視したりせず、最善を尽すべしと決心する。双方が共に相許し合い、尊敬と同情をもって結びつけられる。何の怖気が起こるべき理由かあらん、何で怖気の起こるべき余地かあらん。
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自警録・第五章 心強くなる工夫・弱点の自覚より起こる気弱(2)前にも僕は子供時代の感情を自白して恥を曝したが、子供のときから顔の醜いことをつねに笑われ、顔がお盆のようだとか、鼻が低いとか、色が黒いとか、眼ばかり大きいとか、お出額がどうとか何とか、つねに人にいわれたために、人の前に出ても、またなんか言われはせぬかという気になり、怖気たのである。公然開放的の顔のことゆえ何ぴとも見るのであるが、その見られるのが怖気を促す。かく何か弱点があって、自分に控目になることの自覚があると怖気る。しかし容貌のごときは腕白小僧にはさほどの感じもないから、幼少のころは平気に聞き流して意に介せなかった。しかるにそれが年頃になると、この自覚を感じ、人の前に出ると恥かしくなり、ことに婦人の前に出ると、前に述べたる生理上の関係のみならず、容貌の醜なるを恥じて気が弱くなる。 かくのごときは歯牙にだもかくる値のなき、まことに些々たることではあるが、世には僕と同じく気の小さなものがあり、あるいは容貌とかあるいは身体の一部に何かの欠点あることを自覚して、羞むものがあるように見受けるから、掲げて参考に供する。
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自警録・第六章 怖気の矯正・信じてかかれば怖気ないそこで僕が自分の恥を晒らして物語り、怖気る人の参考に供したき要点は、相手を信じてかかれということである。渡る世間に鬼はない、鬼でさえ頼めば人を食わぬ。窮鳥懐に入れば猟夫もこれを殺さぬ。怖気たり臆病な人も、他に信じてかかれば怖るることがなくなる。僕はこの一時の経験により、自分の心理状態に一大改革を経たように思う。あるいは読者中には、粗雑にしてかつ乱雑なる僕の演説を聞かれた人もあろうが、こんにち日本においても聴衆の前に立ち、何らの腹案もなく述べ出す。 学術上のことはさて措き、日ごろ思っている考え、日ごろ懐ける感情を述ぶるに、何の怖れることもない。ありのままに口を開け、「腸見せる柘榴」同然にやる。隠したところが、数百の聴衆は僕よりもいっそう鋭敏なる眼をもって見つつある。隠さんとしても隠しきれぬ。急に君子顔を装ったとて、また言葉だけに珠をつらねたとても、音調に得た所がなければ、聴衆の嘲弄を招くばかりである。またその場に急に英雄豪傑を真似たとて、その腹の底に胆力がなければ、話しているあいだの姿勢にて暴露する。聴衆は自分よりも具眼の士であると、彼らを信じてかかれば、かえって怖しくなくなる。同じ獅子の穴に入るにしても、相手が己れを食らうなど思えばおそろしくなるが、この獅子は妄りに人を食わぬことが分かれば、恐怖の念が去る。ゆえに僕は怖気る人に対し特筆して注意したきことは、相手の人を疑うことなかれ、相手の人に好意をもってすれば、彼らもまた君に対し好意を懐くものであると。