自警録 / 第四章 外は柔、内は剛・英雄に現れた内外の差違
西郷南洲が始めて橋本左内に会うたとき、こんな柔しい男が何で国事を談ずるに足るだろうかと、心ひそかに軽蔑したことを、後にいたって自白している。さもあったろうと思う。聞くところによれば橋本という人は、外見はまことに温和に柔順な好男子であったから、この人の心情を知らぬものは、この柔順らしい皮の下に、いかに燃ゆるがごとき熱血が流れつつあったかを悟ることが出来なかった。また同じ西郷が藤田東湖に会った後、人に向い、 「追剥ぎみたいな人物だ」 と評したという。これもさもあったであろう。氏は躯幹長大にしてたくましく、色が黒かったそうであるから、外観を見ては、その血管にいかに柔和な心があり、しかして母の危急を救うためには自分の生命までも投げ出すことを常人は察し得ぬであろう。また南洲自身についていえば、見ようによりては外貌が怖ろしい人のようにも思われ、あるいは子供も馴染むような柔和な点もあった。ちょっと見ても、その烱々として大きくかがやく眼は怖ろしいが、その奥底にはいうべからざる愛情がこもり、近づくものをみな惹きつけねばやまぬ趣があったという。 こういうことは決して世に稀でない。ちょっと会っては虫も殺さぬような柔和な、ほとんど女のごとき人でも、だんだん交際ってみるにしたがい、なかなか硬骨で、一たび言い出すと決してあとへ退かぬ人もあるし、また外部から見るといかにも凛々しく、衣は骭に至り袖腕に至り、鬼とも組打ちしそうな風采をなしていても、内心柔和な女のような人を往々見受ける。 外貌と内実との相反することは稀でない。この柔と剛とは善い意味にも悪い意味にも解される。いま述べた女のごとくというのも、また同じく善悪両様に解される。女々しいとか、意気地なしにも解れるが、僕のここに用いた女らしいというは善意に解いたので、温和柔順の意味である。
書き下し
西郷南洲が始めて橋本左内に会うたとき、こんな柔しい男が何で国事を談ずるに足るだろうかと、心ひそかに軽蔑したことを、後にいたって自白している。さもあったろうと思う。聞くところによれば橋本という人は、外見はまことに温和に柔順な好男子であったから、この人の心情を知らぬものは、この柔順らしい皮の下に、いかに燃ゆるがごとき熱血が流れつつあったかを悟ることが出来なかった。また同じ西郷が藤田東湖に会った後、人に向い、 「追剥ぎみたいな人物だ」 と評したという。これもさもあったであろう。氏は躯幹長大にしてたくましく、色が黒かったそうであるから、外観を見ては、その血管にいかに柔和な心があり、しかして母の危急を救うためには自分の生命までも投げ出すことを常人は察し得ぬであろう。また南洲自身についていえば、見ようによりては外貌が怖ろしい人のようにも思われ、あるいは子供も馴染むような柔和な点もあった。ちょっと見ても、その烱々として大きくかがやく眼は怖ろしいが、その奥底にはいうべからざる愛情がこもり、近づくものをみな惹きつけねばやまぬ趣があったという。 こういうことは決して世に稀でない。ちょっと会っては虫も殺さぬような柔和な、ほとんど女のごとき人でも、だんだん交際ってみるにしたがい、なかなか硬骨で、一たび言い出すと決してあとへ退かぬ人もあるし、また外部から見るといかにも凛々しく、衣は骭に至り袖腕に至り、鬼とも組打ちしそうな風采をなしていても、内心柔和な女のような人を往々見受ける。 外貌と内実との相反することは稀でない。この柔と剛とは善い意味にも悪い意味にも解される。いま述べた女のごとくというのも、また同じく善悪両様に解される。女々しいとか、意気地なしにも解れるが、僕のここに用いた女らしいというは善意に解いたので、温和柔順の意味である。
現代語訳
西郷南洲が初めて橋本左内に会ったとき、こんな優しい男に国事を語る資格があるだろうかと、心ひそかに軽蔑したことを、後になって自ら打ち明けています。さもありなんと思います。聞くところでは、橋本という人は、外見はまことに温和で素直な好男子でしたから、その心情を知らない者は、この柔順らしい皮の下に、どれほど燃えるような熱い血が流れているかを悟ることができませんでした。また同じ西郷は、藤田東湖に会った後、人に向かって 「追いはぎみたいな人物だ」 と評したそうです。これもさもありなんと思います。東湖は体つきが大きくたくましく、色が黒かったそうですから、外見を見ては、その血管にどれほど柔和な心が流れ、母の危急を救うためには自分の命まで投げ出すほどだとは、普通の人には察せられません。また南洲自身についていえば、見ようによっては外見が恐ろしい人のようにも思われ、あるいは子供もなつくような柔和な点もありました。ちょっと見ても、爛々と大きく輝く目は恐ろしいが、その奥底には言いようのない愛情がこもり、近づく者をみな惹きつけずにはおかない趣があったといいます。 こういうことは決して世に珍しくありません。ちょっと会っては虫も殺さないような柔和な、ほとんど女のような人でも、だんだん付き合ってみると、なかなか硬骨で、一度言い出したら決して退かない人もいます。また外から見るといかにも凛々しく、着物の裾は脛まで、袖は腕までまくり上げ、鬼とも組み打ちしそうな風采をしていても、内心は柔和な女のような人を、しばしば見かけます。 外見と中身が相反することは珍しくありません。この柔と剛とは、よい意味にも悪い意味にも解されます。いま述べた「女のごとく」というのも、同じくよい悪いの両様に解されます。女々しいとか意気地なしの意味にもなりますが、私がここで用いた女らしいというのは、よい意味で、温和柔順という意味です。
解説

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自警録・第四章 外は柔、内は剛・身を処するには剛柔がおのおの必要先天的に剛に出来ている人と、同じく先天的に柔に出来ている人とあるは、あたかも動物にも亀もあれば海月もあり、植物にも栗もあれば苺もあるがごとくである。すでに先天的に出来ているものを、強いて俺はこれから剛にする、俺はこれから柔にすると、天賦の性質を矯め、束縛することはすこぶる難事であるが、しかし俺はあくまでも剛である、俺は何事にも柔であると一貫して遂行することも出来ぬ。これは矛盾するようであるが、人がこの世に処するあいだには、あるいは剛に出ねばならぬことあり、あるいは柔ならねばならぬことがある。 人間の体躯も骨ばかりでは用をなさぬ、筋肉もあれば脂肪もある、腹や股が柔であるから、人体は柔であるといえぬ。爪や歯牙があるから剛だともいわれぬ。ゆえに剛だとか柔だとかいって、いずれか一方を主義とすべきものでなく、事に触れ機に接して、身を処するにこれは剛にすべく、是は柔にすべく、その場合に応じて二者の調和よろしきを得て、人間は始めて円満となるのである。事によってあるいは剛となりあるいは柔となるというも、それは決して矛盾でない。前にいった橋本にしても藤田・西郷にしても、両方の性質があったから、外見と性質とがちがうように見えたのであろう。
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自警録・第四章 外は柔、内は剛・曲解されたる教訓なおこれと関連して世に誤解された教訓は、「巧言令色鮮かな仁」ということである。言語を鄭重にしたり温和にすれば、すぐに巧言と解し、威儀をもって語れば令色と曲解し、すぐに鮮かな仁と結論をくだす。この苛酷なる判決を避けるために、言を巧にし色を令くせんとする者も、つとめて荒あらしくする風がある。心の内と外の風采と一致せぬことは、西洋よりも日本において最も烈しい。 僕は今このことについて善悪を議論せんとするものでない。事実がかくあると単純に剛柔の区別につき一言したいのである。往事の書生が、なるべく外貌を粗暴にし、衣はなるべく短くし、髪はなるべく梳らず、足はなるべく足袋を穿かなかったような、粗暴の風采はなさぬ人が多かろう。ゆえに外貌のことにつきここにかれこれいう必要はなかろうと思う。僕がここに剛柔を説くにも、外貌に現れた剛柔と説かんとしない。ことに実業に従事する者のうちにも、 「商人の、道に賢き笑い様」 商業のごとく客を相手にする職業にある人は損得の関係上からも外貌をなるたけ柔和にし、もって人を惹きつけるにつとめるから、なおさら外貌のことを述ぶる必要はあるまいと思う。これらの点に関してはむしろ学生に述ぶべきことゆえ、今はここにこれを見合わす。
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自警録・第四章 外は柔、内は剛・剛柔、分を守りて人格が円満さて心の剛柔とは、すでに前に女という字についていえるごとく、善意にも悪意にも解せられる。剛が過ぎれば剛情となり、頑固となり、意気地となる。柔に過ぐれば木偶となり、薄志弱行となる。極端に失すればいずれも悪しくなるが、度に過ぎぬ以上は、すべからく剛毅でなければならぬ。 自分の所信を貫徹するためには、一たび固めた決心を抂げぬ、あくまでも、左右の言にも耳を借さずに猛進するくらいの強いところが必要である。さればといって、剛ばかりで、慈悲もなく、人情も捨て、全然柔和のところを失えば、これ他人に不幸を与うるのみならず、自分も心の全部を尽すわけに行かぬから、つねに不幸を感ずる。剛柔が能くその分を守りその調和を保ちて、はじめて円満なる人格を作り上げる。
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自警録・第四章 外は柔、内は剛・こういう強みを処世上に持ちたいこれは婦人などによく見ることである。柔和にして他のいうことを聴き容れ、いくら無理をいうてもハイハイと忍ぶ。どこまでもそれに付け込んで彼女の名誉や生命にまで関渉せんとするときには、どっこい、それは不可と毅然としてこれを斥ける。 むかし袈裟が遠藤盛遠に挑まれたときには、無理を忍んでハイハイと返事し、もって母の危急を防いだが、いよいよ最後の守らねばならぬ点にいたっては、身を殺してまでも毅然として自己を操持した。この点にいたると婦人は侮るべからざる強いところがある。日ごろは一つの柔しき飾りに過ぎぬ「簪も逆手に持てば恐ろしい」。こういう強味は世に処する上において、どうしてももたなくてはならぬ。 僕は種々なる人のなすところを見るに、とかく表面には剛毅を装うているものが、何か事に当たると、たちまち脆く倒れる、松の木が風に折れると同じである。これに反し風のまにまに動く柳は動きながらも本性を失わず、かつ折れることなくして、その一生を完うする。
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自警録・第四章 外は柔、内は剛・柔和なる者はこの世を嗣ぐ「憎まれ子世にはびこる」という俗諺があるが、これは原因と結果とを顛倒したことである。世にはびこるものは憎まれる、はびこらずに謙遜に柔順なるこそ真に世に処する妙法である。かつこれが持久の基と思う。聖書に、 「柔和なる者はこの世を嗣ぐべし」 とある。この世を承けて引き継ぐ者は柔和なる者なりとは、柔順なる人は永久にこの世の継続者である。 換言すれば柔順は永久の徳なり、剛いもの、力をもって世を圧倒するものは、たとえ一時の効はあるとも、永久には継続せぬ。獣を見ても分かる、虎、獅子、熊などのごとき猛獣は年々その数が減じつつある。もし統計を取ることが出来れば、彼らの減少率のはなはだ迅速なることを示すであろう。こんにちの状態にて進行すれば、数年ならずしてこれらの猛獣はこの世に跡を絶つであろうと、動物学者はかえって心配し、彼らの保存法を講じている。 しかるにこれらの猛獣より見れば、卑屈らしく女々しく思わるる牛馬羊のごときはかえって年々増殖する。すなわち柔和なる動物がこの世を継いで、烈しい猛獣は年々歳々にその跡を絶ちつつある。人間においてもまたそうと思う。野蛮時代には武ばる一方で、永久に続くことは出来ぬ。喧嘩して世を渡るものは喧嘩両成敗で共倒れして後がつづかぬ。 武士のけんくゎに後家が二人出来 相互に殺し合うゆえに永続せぬのである。猛烈をもって勇気なりと思う時代はまだまだ野蛮時代たるを免れぬ。武骨で強そうなるをもって武士道の教訓のごとく思うははなはだ幼稚なる武士道である。理想に富める武士はものの哀れを知り、仁の徳に長け、温和に柔順なものである。 かつて英国のある子供が、その父に gentlemanly とはなんの意味かと問うたとき、父は通例の書籍に書いてある文句の切り方は違う、ふつにはジェントルマンとリーとに切る、と思うであろうが、これは文法上正しいだけで、その内容はジェントルで切り、マンリーを加え、柔和で男らしいという意味であると答えたという。
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自警録・第四章 外は柔、内は剛・心の持方は剛柔いずれとすべきか僕は近ごろある人が僕の知人を批評するのを聞いた。その言に曰く、 「あの男はまことによい男だが、惜しいことには、宗教家であるため、弱くて不可ぬ。あれにいっそう骨っぽいところがあれば、実に見上げた人間だのに」と。 この知人は耶蘇教信者たることを思うて、僕は、この批評が一部あたれることを考えた。一部あたれるというは、この知人は言葉遣いと言い、行動と言い、まことに柔和なところがあるゆえである。氏がかつて心を宗教に寄せる前には、剛情で始末におえぬ硬骨漢であったが、ひとたび信者となってからは手を覆したごとく温和な柔順な、涙もろい人に変った。この点より見れば彼に対する某氏の批評は一部あたれるものであるが、さるにても宗教なるものが人を柔化するの力あるも、剛化させる力はないものであろうかという問題が浮び出る。 かつこの問題は一歩を進めると、彼のいう骨っぽいとは何を意味するかという疑問も起こり、延いては近ごろ称せらるる硬教育もいかなるものであるか、疑問として胸に浮ぶ。しかしこれらは余談に流れるからしばらくこれを措き、お互いにその心の持ち方を果たして剛に向けるか柔に向けるか、いずれに重きを置くべきかは、重大なる問題で、各自が慎重なる判断を下すべきことと思う。