自警録 / 第三章 強き人・戦場における日露兵の比較
かつてある軍人に満州の戦場において日露両国兵の優劣如何を問いしに、その人の言に、 「ロシア人は死するも活くるも神の力により、働くも働かぬも神のためなりと、こう考えていたらしい。ゆえに卑怯者もたくさんあったが、何ごとなりとも命令を受くると、人が居ろうと居るまいとを問わず、神のためと思ってその任務を果たすことにつとめた。しかるに日本兵は煽てなければ働かない。決死隊と称するものも、何人か彼らの花のごとく散るありさまを目撃する者がなければ、ことに将校が現場に居る場合でなければ、士気はなはだ振わなかった」 と物語ったが、あるいはそうであったかも知れぬ。いまだ一般民衆の中には強いという観念ははなはだ幼稚である。むしろ猛獣的の一見して人が己れを怖れるとか、あるいはいつでも人に噛みつかんとする気が顕われねば強いと思わぬものもあるが、これがそもそも人を弱からしめる手段ではあるまいかと思う。議論をしても、理屈を述ぶるよりは声の高いほうが勝つと思い、あるいは悪口でも吐くを元気と思うごとき世の中では、真の強さはちょっと解りかねるであろう。
書き下し
かつてある軍人に満州の戦場において日露両国兵の優劣如何を問いしに、その人の言に、 「ロシア人は死するも活くるも神の力により、働くも働かぬも神のためなりと、こう考えていたらしい。ゆえに卑怯者もたくさんあったが、何ごとなりとも命令を受くると、人が居ろうと居るまいとを問わず、神のためと思ってその任務を果たすことにつとめた。しかるに日本兵は煽てなければ働かない。決死隊と称するものも、何人か彼らの花のごとく散るありさまを目撃する者がなければ、ことに将校が現場に居る場合でなければ、士気はなはだ振わなかった」 と物語ったが、あるいはそうであったかも知れぬ。いまだ一般民衆の中には強いという観念ははなはだ幼稚である。むしろ猛獣的の一見して人が己れを怖れるとか、あるいはいつでも人に噛みつかんとする気が顕われねば強いと思わぬものもあるが、これがそもそも人を弱からしめる手段ではあるまいかと思う。議論をしても、理屈を述ぶるよりは声の高いほうが勝つと思い、あるいは悪口でも吐くを元気と思うごとき世の中では、真の強さはちょっと解りかねるであろう。
現代語訳
以前、ある軍人に、満州の戦場における日露両国の兵の優劣はどうだったかと尋ねたところ、その人はこう語りました。 「ロシア人は、死ぬも生きるも神の力により、働くも働かぬも神のためだと、そう考えていたようだ。だから卑怯者もたくさんいたが、何事であれ命令を受けると、人が見ていようといまいと関係なく、神のためと思って任務を果たそうとした。ところが日本の兵は、おだてなければ働かない。決死隊と称するものも、彼らが花のように散るさまを目撃する者がいなければ、とくに将校が現場にいる場合でなければ、士気がまことに振るわなかった」 と物語りましたが、あるいはそうだったのかもしれません。まだ一般の民衆の間では、強いという観念はたいへん幼稚です。むしろ猛獣のように、一目見て人が自分を恐れるとか、いつでも人に噛みつこうとする気配が見えなければ、強いと思わない者もいますが、これこそ人を弱くする手段ではないかと思います。議論をしても、理屈を述べるより声の高いほうが勝つと思ったり、悪口を吐くのを元気と思うような世の中では、本当の強さはちょっと分かりにくいでしょう。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
啓発録・振氣此気は生ある者にはみなある者にて、禽獣にさへこれありて、禽獣にても甚しく気の立たる時は、人を害し人を苦しむことありまして、人に於てをや。人の中にても士は一番此気強く有之故、世俗にこれを士気と唱へ、いかほど年若な者にても両刀を帯したる者に不礼を不致は、此士気に畏れ候事にて、其人の武芸や力量や位職のみに畏れ候にてはこれなし。
-
『呻吟語』外篇・品藻・士氣と傲氣士氣は無かる可からず、傲氣は有る可からず。士氣なる者は、人己の分に明らかにして、正を守りて詭隨せず。傲氣なる者は、上下の等に昧くして、高きを好みて位に素せず。自ら處する者は每に人に傲るを以て士氣と為し、人を觀る者は每に士氣を以て人に傲ると為す。悲しいかな。故に惟だ士氣有る者のみ能く己を謙りて人に下る。
-
司馬法・用眾親に書するを絶つ、是れを顧みるを絶つの慮と謂う。
-
孫子・作戦篇故に智将は敵に食するを務む。敵に食する一鍾は、吾が二十鍾に当たり、萁稈一石は、吾が二十石に当たる。
-
尉繚子・兵教下今戦国相攻め、大いに有徳を伐つ。伍よりして両、両よりして師、其の令を一にせず、率ね民心をして定まらざらしめ、徒らに驕侈を尚び、謀患辨訟し、吏其の事を究め、累ねて且に敗れんとす。日暮れ路遠く、還るに剉気有り、師老い将貪り、争掠して敗れ易し。凡そ将軽く、塁卑く、衆動けば、攻むべきなり。将重く、塁高く、衆懼るれば、囲むべきなり。凡そ囲むには必ず其の小利を開き、漸く夷弱ならしむれば、則ち節吝して食はざる者有り。衆夜撃つ者は、驚くなり。衆事を避くる者は、離るるなり。人の救を待ち、戦を期して蹙まるは、皆心失はれて気傷るるなり。気を傷れば軍を敗り、曲謀は国を敗る。
-
『講孟余話』萬章下 第七章此の章、官職ある者の君命に趨くと、庶人敢へて諸侯に見えざると、義自ら別なるを論ず。但し方今官職ある者の君命に趨かざるを患へず、庶人敢へて諸侯に見えざるの風、断えてなきこと、廉恥なきの世間、深く憂ふべし。古人も忠臣を求むるは孝子の門に於てす、事に臨み節に死するの士を求むるは、平時直言の士に於てすべしと云へば、士気を培養するは、兎角平素に在ることなり。平素廉恥なきの極、一旦変起こることあらば、万官奔竄、鳥栖を択ぶに至ること、鏡に掛けて見るが如し。是れ憂ふべしとする所以なり。是を憂へば他なし、千乗の国の士に事ふるの故事を修むるに若かず。是れ久遠の謀なり。