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自警録 / 第三章 強き人・文明時代の強き力

世には、かくのごとき児戯に類した示威運動により怖れたり、またはこれを偉いもののように思う者も多くある。論より証拠、おりおり日比谷の近辺をはじめ諸所に行わるるモッブ騒ぎを見ても分かる。自分から進んで他を威赫したり、あるいは苦しめたりするのは、未開の社会における強さである。もちろん文明の進んだ今日とても、なさけないことには、かくのごとき示威運動の必要なる場合もある。しかしこれは他の手段方法がすでにまったく尽きた最後になすべきことで、未開国ならいざ知らず、法治国においてはかくのごとき方法によりて自己の意志の鞏固なることを示すを必要とする場合ははなはだ少ない。 かつまた人を威して克つのは、みずから恥ずべき下劣なる勝利である。また個人々々の一身上にとりても攻撃的態度をもって他人にせまる必要は、はなはだ少ないと思う。しからば文明国にては文明の進歩とともに強力が減退してますます人が柔弱になるかというに、決してそうではない。減退するのでなく、強さの形、力の現れ方が変化するのである。 いわゆる強さの形が変化するというは、克の字について前の「説文」にいえるがごとく、重荷を荷うて堪えること、すなわち辛苦艱難に堪える、耐忍の力あることをもってその強さが計られる。他人より侮辱をうけ、カッとなりてこれに手向かいするは、一見極めて勇ましく思われ、第三者より見てにぎやかにおもしろく、見物としては誂え向きである。これに反し打たれても蹴られてもジッとこれに堪えるのは、はなはだ陰気で卑屈のごとく、普通の人にはちょっとその強さを見ることが出来ぬ。韓信が市井の間に股をくぐったことは、非凡の人でなければ、張飛が長板橋上に一人で百万の敵を退けたに比し、その勇気あるを喜ぶものはなかろう。進歩したる人にあらねば真の強さは忍耐にあることを会得し得ぬ。

書き下し

世には、かくのごとき児戯に類した示威運動により怖れたり、またはこれを偉いもののように思う者も多くある。論より証拠、おりおり日比谷の近辺をはじめ諸所に行わるるモッブ騒ぎを見ても分かる。自分から進んで他を威赫したり、あるいは苦しめたりするのは、未開の社会における強さである。もちろん文明の進んだ今日とても、なさけないことには、かくのごとき示威運動の必要なる場合もある。しかしこれは他の手段方法がすでにまったく尽きた最後になすべきことで、未開国ならいざ知らず、法治国においてはかくのごとき方法によりて自己の意志の鞏固なることを示すを必要とする場合ははなはだ少ない。 かつまた人を威して克つのは、みずから恥ずべき下劣なる勝利である。また個人々々の一身上にとりても攻撃的態度をもって他人にせまる必要は、はなはだ少ないと思う。しからば文明国にては文明の進歩とともに強力が減退してますます人が柔弱になるかというに、決してそうではない。減退するのでなく、強さの形、力の現れ方が変化するのである。 いわゆる強さの形が変化するというは、克の字について前の「説文」にいえるがごとく、重荷を荷うて堪えること、すなわち辛苦艱難に堪える、耐忍の力あることをもってその強さが計られる。他人より侮辱をうけ、カッとなりてこれに手向かいするは、一見極めて勇ましく思われ、第三者より見てにぎやかにおもしろく、見物としては誂え向きである。これに反し打たれても蹴られてもジッとこれに堪えるのは、はなはだ陰気で卑屈のごとく、普通の人にはちょっとその強さを見ることが出来ぬ。韓信が市井の間に股をくぐったことは、非凡の人でなければ、張飛が長板橋上に一人で百万の敵を退けたに比し、その勇気あるを喜ぶものはなかろう。進歩したる人にあらねば真の強さは忍耐にあることを会得し得ぬ。

現代語訳

世の中には、こうした子どもの遊びのような示威運動で人を怖がらせたり、あるいはそれをえらいことのように思ったりする者も多くいます。理屈より証拠で、ときどき日比谷のあたりをはじめ各地で起こる群衆騒ぎを見れば分かります。自分から進んで他人を脅したり苦しめたりするのは、未開の社会における強さです。もちろん文明が進んだ今日でも、情けないことに、こうした示威運動が必要な場合もあります。しかしそれは、ほかの手段や方法がすっかり尽きた最後にすべきことで、未開の国ならともかく、法の支配する国で、そうした方法で自分の意志の固さを示す必要がある場合は、ごくまれです。 加えて、人を脅して勝つのは、自分で恥じるべき下劣な勝利です。また個人の身の上にとっても、攻撃的な態度で他人に迫る必要はごく少ないと思います。では、文明国では文明の進歩とともに強い力が衰え、人はますます軟弱になるのかといえば、決してそうではありません。衰えるのではなく、強さの形、力の現れ方が変わるのです。 強さの形が変わるというのは、「克」の字について先に「説文」を引いて述べたとおり、重い荷を担って耐えること、つまり苦しみや困難に耐える忍耐の力があるかどうかで、その強さが測られるということです。他人から侮辱を受けてカッとなり、やり返すのは、一見たいへん勇ましく、第三者から見ればにぎやかで面白く、見世物としてはおあつらえ向きです。これに対し、殴られても蹴られてもじっと耐えるのは、ひどく陰気で卑屈に見え、普通の人にはその強さがちょっと見えません。韓信が町なかで人の股をくぐったことを、張飛が長坂橋の上でひとりで大軍を退けた話のように喜ぶ者は、非凡な人でなければいないでしょう。進歩した人でなければ、本当の強さが忍耐にあることは理解できないのです。

解説

新渡戸は、人を威圧して見せる力を未開の強さとし、文明の世の強さは耐え忍ぶ力に移ると述べます。日比谷の騒ぎは、当時たびたび起きた群衆の示威行動を指しています。韓信の股くぐりは、のちに大将となる韓信が若い頃に町の無頼に絡まれ、争わず股の下をくぐったという『史記』の逸話です。現代の職場でも、声の大きさや強い言葉で押し切る人が頼もしく見えがちです。しかし批判や理不尽に耐えて目的を見失わない人のほうが、結果を残します。強さの見えにくさを知ることが管理職の目利きになります。
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この章句が説くこと

示威忍耐強さの形文明韓信の股くぐり克己

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