自警録 / 第二章 一人前の人と一人前の仕事・職業上の一人前と全人としての一人前(2)
しかるに専門家中には、その専門に熱中し、他の天稟の力を発達せしめない者がたくさんある。その怠りたる力をもって測れば遠くノルムに及ばぬ者も間々ある。すなわちかかる人は全人として見れば一人前に足らぬ人である。己れの職業については一人前の仕事をしたと称するも、人としては一人前の人ならぬ人が多い。学者などのうちにはほとんど人間失格者のごとき人がある。自分の専門の範囲については大家であるが、人間としてはまったく成っておらぬ場合も往々ある。むかし孔子は、 「君子は器ならず」 といったが、学者はとかく器械化しやすい。ゆえに、世俗の人がややもすれば学者をぼんやりした人間失格者のごとくいう。しかし実地家の中にも同じ過ちに陥るものが多い。すなわち実業家と称する人の中には自分の商売を進むるに鋭く、その成功のためにはほとんど人倫を紊すも恬として恥じざるのみか、かえってこれを誇りとするがごとき人をしばしば見受ける。かかる風あるものは人間失格者としか思われぬ。 おそらく人間として平均の調和を失えるものは、学者よりも実業家にかえって多いかと思われる。譬えていえば、人の腕は身幹に比して何分とか、たいてい一定した割合がある。この割合を越えても不具であり、不足しても不具である。いわゆる世の実務家あるいは実業家などには手の長過ぎる人があるとすれば、学者間に短か過ぎる人のあると同然、両者ともに不具なりとの譏はまぬがれまい。
書き下し
しかるに専門家中には、その専門に熱中し、他の天稟の力を発達せしめない者がたくさんある。その怠りたる力をもって測れば遠くノルムに及ばぬ者も間々ある。すなわちかかる人は全人として見れば一人前に足らぬ人である。己れの職業については一人前の仕事をしたと称するも、人としては一人前の人ならぬ人が多い。学者などのうちにはほとんど人間失格者のごとき人がある。自分の専門の範囲については大家であるが、人間としてはまったく成っておらぬ場合も往々ある。むかし孔子は、 「君子は器ならず」 といったが、学者はとかく器械化しやすい。ゆえに、世俗の人がややもすれば学者をぼんやりした人間失格者のごとくいう。しかし実地家の中にも同じ過ちに陥るものが多い。すなわち実業家と称する人の中には自分の商売を進むるに鋭く、その成功のためにはほとんど人倫を紊すも恬として恥じざるのみか、かえってこれを誇りとするがごとき人をしばしば見受ける。かかる風あるものは人間失格者としか思われぬ。 おそらく人間として平均の調和を失えるものは、学者よりも実業家にかえって多いかと思われる。譬えていえば、人の腕は身幹に比して何分とか、たいてい一定した割合がある。この割合を越えても不具であり、不足しても不具である。いわゆる世の実務家あるいは実業家などには手の長過ぎる人があるとすれば、学者間に短か過ぎる人のあると同然、両者ともに不具なりとの譏はまぬがれまい。
現代語訳
ところが専門家のなかには、その専門に熱中して、ほかの天賦の力を伸ばさない者がたくさんいます。その怠った力で測れば、ノルムにはるかに及ばない者もときどきいます。つまりこういう人は、全人として見れば一人前に足りない人です。自分の職業については一人前の仕事をしたと言えても、人としては一人前でない人が多い。学者などのなかには、ほとんど人間失格者のような人がいます。自分の専門の範囲については大家でも、人間としてはまったくできていない場合も往々にしてあります。昔、孔子は、 「君子は器ではない」 と言いましたが、学者はとかく器械化しやすいものです。そこで世間の人は、ともすれば学者をぼんやりした人間失格者のように言います。しかし実地家のなかにも同じ過ちに陥る者が多いのです。つまり実業家と称する人のなかには、自分の商売を進めるのに鋭く、その成功のためにはほとんど人倫を乱しても平気で恥じないばかりか、かえってそれを誇りとするような人をしばしば見かけます。こうした風のある者は、人間失格者としか思えません。 おそらく、人間として平均の調和を失っている者は、学者より実業家のほうが多いのではないかと思われます。譬えて言えば、人の腕は身の幹に比べて何分というように、たいてい一定した割合があります。この割合を越えても不具であり、不足しても不具です。いわゆる世の実務家や実業家には手が長すぎる人がいるとすれば、学者の間には短すぎる人がいるのと同じで、両者とも不具だという謗りは免れないでしょう。
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