文昌帝君陰騭文 / 第六段・独を慎むを衾影に知る
作事須循天理,出言要順人心。見先哲於羹牆,慎獨知於衾影。
新字:作事須循天理,出言要順人心。見先哲於羹牆,慎独知於衾影。
書き下し
事を作すには須らく天理に循ふべく、言を出すには人心に順ふを要す。先哲を羹牆に見、独を慎むを衾影に知る。
現代語訳
事を行うときは天の道理にしたがうべきであり、言葉を発するときは人の心にかなうようにしなければなりません。先人の姿を、あつものの湯気にも壁にも見るようにし、ひとりのときの慎みを、夜具と自分の影に照らして知るのです。
解説
この文のなかでもっとも凝った四句です。羹牆は、舜が堯を慕うあまり、食事のあつものにも壁にも堯の姿が見えたという故事から来ています。先人を思うとはこういうことだ、という具体の示し方でしょう。衾影は、ひとり寝る夜具と、ひとり歩くときの自分の影のこと。誰も見ていなくても、夜具と影は知っているという意味で、儒家の慎独をきわめて肉体的な形に言い換えています。前半の二句も対になっていて、することは天の理にしたがい、言うことは人の心にかなうようにする。行いの基準は外にあり、言葉の基準は相手の中にあるという分け方です。どちらも自分の都合ではありません。
この章句が説くこと
慎独羹牆衾影天理言葉
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