文昌帝君陰騭文 / 第六段・数百年崎嶇の路を修め、千万人往来の橋を造る
翦礙道之荊榛,除當途之瓦石。修數百年崎嶇之路,造千萬人來往之橋。垂訓以格人非,捐貲以成人美。
新字:翦礙道之荊榛,除当途之瓦石。修数百年崎嶇之路,造千万人来往之橋。垂訓以格人非,捐貲以成人美。
書き下し
道を礙ぐる荊榛を翦り、途に当たる瓦石を除く。数百年崎嶇の路を修め、千万人来往の橋を造る。訓を垂れて以て人の非を格し、貲を捐てて以て人の美を成す。
現代語訳
道をふさぐいばらを刈り取り、通り道にある瓦や石を取り除きます。何百年も荒れて険しかった道を直し、千万の人が行き来する橋をかけます。教えを残して人の誤りを正し、財を投じて人の善いことを成し遂げさせます。
解説
この文のなかでもっとも遠くを見ている段です。いばらを刈り、石を取り除くのは、今日そこを通る一人のための行い。それに続けて、数百年の道と千万人の橋が出てきます。同じ道の話をしながら、時間の尺度が一気に伸びるところに工夫があります。目の前の石をどけることと、橋をかけることは、同じ心から出ているという並べ方です。最後の二句は人に対する同じ働きかけで、教えを残して誤りを正し、財を出して人の善事を成させる。自分が成すのではなく、人が成すのを助ける側に回っています。自分の代で見届けられない仕事に手を出せるかどうかが、この段の問いでしょう。
この章句が説くこと
橋道後世寄付垂訓
関連する章句
-
老子 第1章道たる可く道も、常の道に非ず。名たる可く名づくるも、常の名に非ず。名無くして天地の始まり、名有りて萬物の母。故に常に欲無くして以てその妙を観、常に欲有りて以てその窮を観。此二つは、同じく出でて異なる名、同じく之を玄と謂う。玄の又玄、衆妙の門なり。
-
孫子・始計篇道とは、民をして上と意を同じくし、之と死す可く、之と生く可くして、危きを畏れざらしむるなり。
-
論語・公冶長篇子曰く、「道行われず、桴に乗りて海に浮かばん。我に従わん者は、其れ由か。」子路之を聞きて喜ぶ。子曰く、「由や、勇を好むこと我に過ぎたり。材を取る所無し。」
-
孫子・形篇善く兵を用うる者は、道を修めて法を保つ。故に能く勝敗の政を為す。
-
論語・微子篇柳下恵、士師と為り、三たび黜けらる。人曰く、「子未だ以て去る可からざるか。」曰く、「道を直くして人に事うれば、焉くに往くとして三たび黜けられざらん。道を枉げて人に事うれば、何ぞ必ずしも父母の邦を去らん。」
-
うひ山ぶみ・第二十一段そもそも此道は、天照大御神の道にして、天皇の天下をしろしめす道、四海万国にゆきわたりたる、まことの道なるが、ひとり皇国に伝はれるを、其道は、いかなるさまの道ぞといふに、