法句経 / 第二十六 婆羅門の部 三八九〜三九一 婆羅門を打つなかれ
三八九 婆羅門を打たざれ、(打たれたる)婆羅門は(打ちたる人に)向はざれ、いかで婆羅門を打たんや、況やいかで(打ちたる)人に向はんや。 三九〇 所愛に對して心を抑止するは是れ婆羅門の少なからざる勝事なり、傷害の意輟むに應じてそれだけの苦即ち滅す。 三九一 身と語と意にて惡を造らずして(此の)三處を護る人を我は婆羅門と謂ふ。
新字:三八九 婆羅門を打たざれ、(打たれたる)婆羅門は(打ちたる人に)向はざれ、いかで婆羅門を打たんや、況やいかで(打ちたる)人に向はんや。 三九〇 所愛に対して心を抑止するは是れ婆羅門の少なからざる勝事なり、傷害の意輟むに応じてそれだけの苦即ち滅す。 三九一 身と語と意にて悪を造らずして(此の)三処を護る人を我は婆羅門と謂ふ。
書き下し
三八九 婆羅門を打たざれ、(打たれたる)婆羅門は(打ちたる人に)向はざれ、いかで婆羅門を打たんや、況やいかで(打ちたる)人に向はんや。 三九〇 所愛に対して心を抑止するは是れ婆羅門の少なからざる勝事なり、傷害の意輟むに応じてそれだけの苦即ち滅す。 三九一 身と語と意にて悪を造らずして(此の)三処を護る人を我は婆羅門と謂ふ。
現代語訳
婆羅門を打ってはならない。打たれた婆羅門は、打った人に向かって(怒りを)返してはならない。どうして婆羅門を打つことがあろうか。まして、どうして打った人に向かって(怒りを)返すことがあろうか。愛する者に対して(怒りの)心を抑えることは、婆羅門にとって少なからぬ優れたことである。傷つけようとする心がやむのに応じて、それだけ苦しみは滅する。身と言葉と心とで悪をなさず、この三つのところを護る人を、私は婆羅門と呼ぶ。
解説
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