法句経 / 第十七 忿怒の部 二三一〜二三四
二三一 身の怒を護れ、身を覆護すべし、身惡行を捨てて身にて妙行を行へ。 二三二 語の怒を護れ、語を覆護すべし、語惡行を捨てて語にて妙行を行へ。 二三三 意の怒を護れ、意を覆護すべし、意惡行を捨てて意にて妙行を行へ。 二三四 身を護り又語を護る賢人は、(又)意を護る賢人は實に能く護れるなり。
新字:二三一 身の怒を護れ、身を覆護すべし、身悪行を捨てて身にて妙行を行へ。 二三二 語の怒を護れ、語を覆護すべし、語悪行を捨てて語にて妙行を行へ。 二三三 意の怒を護れ、意を覆護すべし、意悪行を捨てて意にて妙行を行へ。 二三四 身を護り又語を護る賢人は、(又)意を護る賢人は実に能く護れるなり。
書き下し
二三一 身の怒を護れ、身を覆護すべし、身悪行を捨てて身にて妙行を行へ。 二三二 語の怒を護れ、語を覆護すべし、語悪行を捨てて語にて妙行を行へ。 二三三 意の怒を護れ、意を覆護すべし、意悪行を捨てて意にて妙行を行へ。 二三四 身を護り又語を護る賢人は、(又)意を護る賢人は実に能く護れるなり。
現代語訳
身の怒りを護れ、身を覆い護れ。身の悪しき行いを捨てて、身で善き行いを行え。語の怒りを護れ、語を覆い護れ。語の悪しき行いを捨てて、語で善き行いを行え。意の怒りを護れ、意を覆い護れ。意の悪しき行いを捨てて、意で善き行いを行え。身を護り語を護る賢人は、また意を護る賢人は、実によく護っているのである。
解説
身・語・意という三つの門を、まったく同じ構文で三度繰り返す。行い、言葉、心。仏教が人の営みを分けるときの基本の三分類である。並べ方が示すのは、この三つが同格だということだ。心さえ正しければ行いは問わない、でもなく、行いさえ正しければ心は問わない、でもない。三つそれぞれに戸締まりが要る。しかも各偈は「捨てる」だけで終わらず「善き行いを行え」まで進む。悪をやめただけでは半分で、空いた場所に善を置くまでが一組になっている。二三四の結びで三つがまとめられ、「實に能く護れるなり」と念を押される。一つでも欠ければ、護ったことにならないという含みである。
この章句が説くこと
身語意三業怒りを護る悪を捨て善を行う
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