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法句経 / 第二十六 婆羅門の部 三九八〜四〇〇 紐と帯と縄を断つ

三九八 紐と、帶と、繩と其の附屬とを斷ち、障壁を毀ち、覺悟せる人を我は婆羅門と謂ふ。 三九九 惡を作さざるに、罵詈、打擲、又は繋縛を忍受し、忍力を具し、其力にて能く耐ゆる人を我は婆羅門と謂ふ。 四〇〇 忿なく、禁を守り、戒を持し、欲なく、調御して最後身なる人を我は婆羅門と謂ふ。

新字:三九八 紐と、帯と、縄と其の附属とを断ち、障壁を毀ち、覚悟せる人を我は婆羅門と謂ふ。 三九九 悪を作さざるに、罵詈、打擲、又は繋縛を忍受し、忍力を具し、其力にて能く耐ゆる人を我は婆羅門と謂ふ。 四〇〇 忿なく、禁を守り、戒を持し、欲なく、調御して最後身なる人を我は婆羅門と謂ふ。

書き下し

三九八 紐と、帯と、縄と其の附属とを断ち、障壁を毀ち、覚悟せる人を我は婆羅門と謂ふ。 三九九 悪を作さざるに、罵詈、打擲、又は繋縛を忍受し、忍力を具し、其力にて能く耐ゆる人を我は婆羅門と謂ふ。 四〇〇 忿なく、禁を守り、戒を持し、欲なく、調御して最後身なる人を我は婆羅門と謂ふ。

現代語訳

紐と、帯と、縄とその付属物とを断ち切り、障壁を打ち壊し、目覚めた人を、私は婆羅門と呼ぶ。悪をなしていないのに、罵られ、打たれ、また縛られることを耐え忍び、忍耐の力を備え、その力によってよく耐える人を、私は婆羅門と呼ぶ。怒りがなく、禁(少欲知足の行儀)を守り、戒を保ち、欲がなく、自らを調え、これが最後の身である人を、私は婆羅門と呼ぶ。

解説

三九八偈は、牛馬を繋ぐ道具立てを思わせる比喩でできている。荻原の注によれば、紐は結ぶ性質をもつ怒り、帯は縛る性質をもつ愛、縄とその付属は六十二の誤った見解、障壁は無明をたとえる。怒りも愛も、人をどこかに結びつける紐だという読みが鋭い。三九九偈は忍耐である。悪をしていないのに罵られ、打たれ、縛られる。その理不尽を耐えるのに、忍力を「具し」、その「力にて」耐えるとあり、忍耐が受け身ではなく一つの力として語られている。四〇〇偈の「最後身」は、もう次の生を受ける煩悩がないこと、輪廻という古代インドの世界観の中での到達点を言う。不当な扱いに耐える力は、弱さではなく蓄えられた強さとして持てるものだという見方がここにある。

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