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法句経 / 第二十六 婆羅門の部 三八三〜三八五 勇敢に流れを截れ

三八三 勇敢に流を截れ、欲を除け、婆羅門よ、變化の滅盡を知り了りて汝は無作を知る、婆羅門よ。 三八四 婆羅門あり、若し二法の彼岸に達しぬれば此の智者の一切の繋縛は滅盡す。 三八五 彼岸も非彼岸も彼岸非彼岸もなき無畏無繋縛の人を我は婆羅門と謂ふ。

新字:三八三 勇敢に流を截れ、欲を除け、婆羅門よ、変化の滅尽を知り了りて汝は無作を知る、婆羅門よ。 三八四 婆羅門あり、若し二法の彼岸に達しぬれば此の智者の一切の繋縛は滅尽す。 三八五 彼岸も非彼岸も彼岸非彼岸もなき無畏無繋縛の人を我は婆羅門と謂ふ。

書き下し

三八三 勇敢に流を截れ、欲を除け、婆羅門よ、変化の滅尽を知り了りて汝は無作を知る、婆羅門よ。 三八四 婆羅門あり、若し二法の彼岸に達しぬれば此の智者の一切の繋縛は滅尽す。 三八五 彼岸も非彼岸も彼岸非彼岸もなき無畏無繋縛の人を我は婆羅門と謂ふ。

現代語訳

勇敢に流れ(渇愛)を断ち切れ。欲を除け、婆羅門よ。移り変わるものの滅び尽きることを知り終えたならば、あなたは無作(作られたものでないもの、涅槃)を知る、婆羅門よ。婆羅門が、もし二つの法(止と観)の彼岸に達したならば、この智者の一切の束縛は滅び尽きる。彼岸もなく、此岸もなく、彼岸と此岸の両方もない、恐れなく束縛のない人を、私は婆羅門と呼ぶ。

解説

最終章「婆羅門の部」が始まる。婆羅門は古代インドの身分制で最上位に置かれた祭司階級で、神に近い人とされた。仏教はこの語を生まれではなく行いの名として読み替え、荻原の注のとおり阿羅漢、すなわち煩悩を尽くした人と同じ意味で用いる。以後、「我は婆羅門と謂ふ」の句が繰り返されていく。三八三偈の「流」は渇愛の激流で、それを勇敢に截れという。三八四偈の二法は、注によれば静止(止)と観察(観)である。そして三八五偈は、彼岸すら無いと言う。渡るべき向こう岸を目指してきた旅が、最後には岸という区別そのものを離れるところで終わる。到達目標にしがみつくこともまた一つの縛りだという逆説は、目標管理の時代にあって考えさせられる。

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