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法句経 / 第二十六 婆羅門の部 四〇四〜四〇六 争いの中で争わず

四〇四 在家も無家も兩ながら交らず、定住處なく、少欲なる人を我は婆羅門と謂ふ。 四〇五 若し人群生の弱きと強きとに拘らず其の中に居て刀杖を捨て(自ら)殺さず、又他をして殺さしめざれば、彼を我は婆羅門と謂ふ。 四〇六 爭の中に處して爭はず、暴き中に處して慍らず、有取の中に處して無取なる人を我は婆羅門と謂ふ。

新字:四〇四 在家も無家も両ながら交らず、定住処なく、少欲なる人を我は婆羅門と謂ふ。 四〇五 若し人群生の弱きと強きとに拘らず其の中に居て刀杖を捨て(自ら)殺さず、又他をして殺さしめざれば、彼を我は婆羅門と謂ふ。 四〇六 争の中に処して争はず、暴き中に処して慍らず、有取の中に処して無取なる人を我は婆羅門と謂ふ。

書き下し

四〇四 在家も無家も両ながら交らず、定住処なく、少欲なる人を我は婆羅門と謂ふ。 四〇五 若し人群生の弱きと強きとに拘らず其の中に居て刀杖を捨て(自ら)殺さず、又他をして殺さしめざれば、彼を我は婆羅門と謂ふ。 四〇六 争の中に処して争はず、暴き中に処して慍らず、有取の中に処して無取なる人を我は婆羅門と謂ふ。

現代語訳

在家の人とも出家の人とも、どちらとも交わらず、定まった住まいを持たず、欲の少ない人を、私は婆羅門と呼ぶ。もし人が、生きものの弱いものにも強いものにも関わりなく、その中にあって刀や杖を捨て、自ら殺さず、また他人に殺させないならば、その人を私は婆羅門と呼ぶ。争いの中にいて争わず、荒々しい者たちの中にいて怒らず、執著する者たちの中にいて執著しない人を、私は婆羅門と呼ぶ。

解説

四〇六偈の構文が印象に残る。争の中に処して争わず、暴き中に処して慍らず、有取の中に処して無取。三度とも「中に処して」とあり、争いや荒々しさから離れた場所に逃れるのではなく、その只中にいることが前提になっている。有取とは、荻原の注によれば心と体に自我を認めること、つまり「これが私だ」とつかむことである。周囲がそうである中で、ひとりつかまない。四〇五偈も同じ形をとる。弱い者にも強い者にも刀杖を向けず、自ら殺さず、他人にも殺させない。自分の手を汚さないだけでなく、人を使って害することも退けている点が周到だ。四〇四偈の、群れない独りの姿がそれを支える。対立の渦中にいながら渦に加わらずにいられるかどうかは、場を預かる人の器を測る一つの目安になる。

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