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法句経 / 第二十六 婆羅門の部 四一六〜四一八 人の軛と神の軛

四一六 人若し現世に於て愛を斷ち、家を捨てて遍歴し、愛の存在を盡せば、彼を我は婆羅門と謂ふ。 四一七 人の軛を斷ち、神の軛を超え、一切軛の束縛を離るれば、彼を我は婆羅門と謂ふ。 四一八 樂と不樂とを捨て、清涼に、變化的生存の素因なく、一切世間に勝つ勇者を我は婆羅門と謂ふ。

新字:四一六 人若し現世に於て愛を断ち、家を捨てて遍歴し、愛の存在を尽せば、彼を我は婆羅門と謂ふ。 四一七 人の軛を断ち、神の軛を超え、一切軛の束縛を離るれば、彼を我は婆羅門と謂ふ。 四一八 楽と不楽とを捨て、清涼に、変化的生存の素因なく、一切世間に勝つ勇者を我は婆羅門と謂ふ。

書き下し

四一六 人若し現世に於て愛を断ち、家を捨てて遍歴し、愛の存在を尽せば、彼を我は婆羅門と謂ふ。 四一七 人の軛を断ち、神の軛を超え、一切軛の束縛を離るれば、彼を我は婆羅門と謂ふ。 四一八 楽と不楽とを捨て、清涼に、変化的生存の素因なく、一切世間に勝つ勇者を我は婆羅門と謂ふ。

現代語訳

もし人がこの世において渇愛を断ち、家を捨てて遍歴し、渇愛による生存を尽くしたならば、その人を私は婆羅門と呼ぶ。人の軛を断ち、神の軛を超え、一切の軛の束縛を離れたならば、その人を私は婆羅門と呼ぶ。楽しみと楽しくないこととを捨て、清らかに涼しく、移り変わる生存のもととなるものがなく、一切の世間に打ち勝った勇者を、私は婆羅門と呼ぶ。

解説

四一六偈は直前の四一五偈と一語違いで、「欲」が「愛」に置き換わっている。反復の中で少しずつ言葉をずらしていくのがこの章の語り方である。四一七偈の軛は、牛馬の首にかけて車を引かせる横木で、荻原の注は煩悩の喩えとし、人や神を使役して自由にさせないからだと説く。ここでの「神」は、古代インドの世界観で人間より上にありながら、なお輪廻を離れていない天界の存在を指す。人の世の縛りを断つだけでなく、天上の楽しみへの憧れという、より上等な縛りも超えよという。四一八偈は楽と不楽をともに捨て、「清涼」になった人を勇者と呼ぶ。熱を帯びた執著が冷めた状態を、涼しさという体感で語っている。昇進や名誉のような望ましい目標もまた軛になりうる、という視点は持っておいてよい。

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